季節は巡り、唯に出会ってから二回目の春が過ぎた。
 
クラス換えが無い為、三年になっても同じクラスになった俺達三人は変わらない日常の中に身を置いていた。
 
学校に行き、退屈な授業を聞き、その合間にはくだらない話で笑いあった。
 
クラス内で笑う事が増えた所為か、極稀にクラスの奴等との間に会話がなされる事もあった。
 
当初『それ』はとてもぎこちなく、話しの内容も単語のやり取りでしかなかった。
 
俺自身、進んで話しをしようだなんて思う事はなかった。
 
だが、昔のような牽制と拒絶の意味を込めた目付きをする事も少なくなった。
 
それは長い時間を経て自然に。
 
本当に自然に、『誰か』と目を合わせる事が出来るようになったと思う。
 
言葉を交わせるようになったと思う。
 
そして、笑えるようになったと思う。
 
戸惑いもあったし拒絶に対する脅えもあったが、それ以上に奇妙な安心感がそこには在った。
 
  
ずっと拒んでいた。
 
ずっと距離を置いていた。
 
何も得なければ何も失う事は無いと思っていたから。
 
失う怖さに脅えるくらいなら、何も要らないと思っていたから。
 
でも、得なければいつまでも俺には何も無いままで、逆に得る事は俺に沢山の物を与えてくれた。
 
優しく、暖かく、楽しく。
 
どうして今まで拒んでいたのかが判らないほど、『誰か』と居る事が楽しく思えた。
  
 
以前の俺を思うと、絶対にありえない事態。
 
おそらく全てはたった一人の少女のおかげなのだろう。
 
そう思った俺は、隣を歩く小さな奴の頭を撫でた。
 
いつしか隣を歩いているのが自然になっていた少女の、日向の匂いがする柔かい髪を。
 
 
「ほぇ? なんですか?」
 
 
斜め下から俺を見上げるちっこい少女。
 
出逢った時よりも髪が伸びた。
 
ほんの少しだが背も伸びたかもしれない。
 
ずっと一緒に居るから判らないけど、ひょっとしたら大人っぽくもなっているのかもしれない。
 
だが、全てを変えてもらったと感謝するには、彼女はまだあどけなさすぎた。
 
まだまだ世間一般的な標準より背も小さいし、胸も小さい。
 
歩くのも遅いし、成績もあまり良くないし、運動神経も良くない。
 
そして……何よりも可愛い。
  
 
そんな俺と唯の二回目の春は、幸せに過ぎていった。
  
 
幸せな春が過ぎていった。
 
 
最後の春が、音も無く過ぎていった―――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Stand by Me 〜 Another story 〜
 
 
その11 『そんな日のこと』
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「暑いな」
 
「暑いですねぇ」
 
「何でこんなに暑いんだ」
 
「……夏だからじゃないですか?」
 
「いや、俺が考えるにこれはきっと政府の陰謀に違いない」
 
「せーふのいんぼーですか?」
 
「ああ。 日本全体の気温を上昇させ、全国民を猛暑の中に追い込む作戦だ」
 
「迷惑な作戦ですねぇ」
 
「全くもって傍迷惑な作戦だ」
 
「でも、そんな事してなんになるんですか?」
 
「……さぁ」
 
「さぁって、ひょっとしてでたらめだったんですかぁ?」
 
「ひょっとしてってお前。 まさか本気にしてたのか?」
 
「だ、だって相沢さんが真面目な顔して言うから……本気なのかなぁって」
 
「あほ」
 
「ぅ……ひ、ひどいですよぉー」
 
「何処の世界にあんな戯言を本気にする奴がいる。 そんな事をするのはゾマホンかアホかどっちかだ」
 
「私はアホの方なんですかぁ?」
 
「ゾマホンがいいなら明日からそう呼んでやってもいいが」
 
「むぅー、なんて失礼な相沢さんでしょうかっ」
 
「そんなに膨れるなよ。 せっかくの可愛い顔が台無しだぞ?」
 
「むぅぅ、って、ぇ? い、今なんて言いました?」
 
「せっかくの可愛い顔が台無しだって言ったんだ」
 
「な、な、な、あ、相沢さ、ほ、本気ですかぁ?」
 
「ウソ」
 
「う、そ……むぅぅーっ」
 
 
思いっきり膨れっ面で俺の肩をぽかぽかと叩く唯。
 
悪いが全然痛くなかった。
 
痛くないどころか、適度な振動がマッサージとして丁度いい。
 
このままずっと叩いて欲しい気もしたが、そろそろ唯の機嫌を直してやらないとまずいのもまた事実だった。
 
こうやって怒ってくれている内はいいが、落ち込まれたりするとフォローが厄介。
 
それ以前に、俺自身が唯の落ち込んでいる顔なんて見たくなかった。
 
なら初めから虐めなければ良いじゃないかとか云う突っ込みは黙殺する。 
 
笑ってる唯も可愛いが怒ってる唯も可愛いのだ。
 
 
「さて唯、プリンシェイクでも飲むか?」
 
「はー、はー、はー」
 
 
叩き疲れて肩で息をしている唯の顔を覗き見ながら、訊ねる。
 
驚くほどに体力の無い奴だと思いながら。
 
  
「今日は『真夏の出血大サービス、プリンシェイクでわっしょい祭り』だから、プリンシェイクが俺のおごりで飲めるぞ」
 
「はー、はー、はー」
 
「だがこれには参加資格があってな、『主催者の相沢祐一と仲の良い事』が絶対条件なんだ」
 
「ぅ、うー……」
 
「えと、参加締め切りはあと五秒後となっておりますが」
 
「は、はわわっ……む、むむぅぅぅ」
 
 
死ぬほど悩んでいる。
 
そりゃあれだけ弄られた直後に、しかも被害者の方から仲直り宣言をしようだなんて誰が考えるだろうか。
 
ならばなんで俺がこんなことを言い出しているのか。
 
答えは簡単。
 
悩んでいる唯の顔も可愛いからだ。
 
 
「ごー、よん、さん、にー、いち」
 
「はうっ、あわわわっ、う、うぅーっ」
 
 
散々悩んだ挙句、奇妙な唸り声をあげながら俺の腕をしっかりと掴む唯。
 
どうやらそれは仲直りの証らしかった。
 
顔が微妙に赤いのは、さっき俺の事を叩きまくって疲れた所為ではないだろう。
 
でも唸りながらって所が、心から俺を許してないって証拠だな。
 
涙目だし。
 
許してないけどプリンシェイクは欲しい、か。
 
なんて自分に正直な奴だ。
  
 
「えー、何やら観空選手が不満そうな表情を見せております。 
 これはつまり相沢祐一さんとあまり仲が良くないと見て宜しいのでしょうか」
 
「相沢さんとは……仲良しだもん……」
 
  
小さく、小さく。
 
拗ねたように呟く。
 
それでも俺の腕は放さない。
 
むしろ縋るように強く掴む。
 
可愛いったらありゃしなかった。
 
 
自分の煩悩にほとほと呆れ果てた俺は、そのまま唯を引きずって自販機の前まで行った。
 
財布を取り出し、小銭をありったけ自販機の中に投入する。
 
これには見ている唯も目を丸くしていた。
 
そんな事はお構い無しな俺は、プリンシェイクのボタンを連打する。
 
もちろん無言で。
 
数十秒後、何本あるんだか判らないプリンシェイクを自販機から取り出して、全て唯に渡した。
 
両手に缶の束を持った唯は茫然と立ち尽くしている。
 
  
「え?あの?」
 
「審査員席の裁定により、『相沢祐一と世界で一番仲の良い人で賞』を受賞されたようです。 これはその賞品です」
 
「世界で一番……相沢さんと?」
 
「よかったな、唯。 世界で一番誉れある賞だぞ? 誇りに思え」
 
「あ……はいっ」
 
 
よし。
 
いい笑顔だ。
 
 
ほのぼのとした日常。
 
夏の強い日差しに彩られて、ちょっと色褪せたような風景の中に俺達はいた。
 
夏草から薫る、噎せ返るような蒼い匂い。
 
少し灰色がかってはいるものの、それでも青い空。
 
まるで絵に描いたような夏の情景がそこには在った。
 
 
だが、最近俺は妙な違和感を感じていた。
 
巧くは言えないけど、何かが『違う』
 
着かず離れずな位置で、『観られている』。
 
それも一つや二つの視線じゃない。
 
勘違いかもしれない以上、俺の方からは何もする事は出来ないが、やはりそれは度を越えて不愉快だった。
  
 
何か俺に用があるのなら、真正面からぶつかってくればいい。
 
今まではそうだった。
 
俺に文句のある奴は直で俺を潰しに来た。
 
ある奴は一対一で。
 
またある奴は人数を集めて。
 
直情的な奴等の行動は、対応する俺の方もそれなりにやり易かった。
 
だが、最近感じているこの雰囲気は違う。
 
狡猾に搦め手を取るような、蜘蛛が巣にかかった獲物にゆっくり糸をかけるような、そんな感じだった。
 
 
「相沢さん? どうしたんですか?」
 
「ん? あ、いや、なんでもない……」
 
 
なんでもない、よな。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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七月のある日のこと
 
 
黙っていても肌に汗が滲むような天気の日のこと
 
 
俺と唯が笑っていた日のこと
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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「今日はいやーな天気ですねぇ」
 
「ああ、暑いなら暑いでせめて青空くらい見せてもらいたいもんだ」
 
 
その日。
 
俺達はいつもと同じように一緒に帰っていた。
 
それはいつもと全く同じ。
 
何一つ変わらない日常だった。
 
学校に行って、退屈な授業を受けて、その合間にはくだらない話で笑いあった。
 
学食に三人で行き、Aランチをめぐる競争に勝利した。
 
俺と桜は一瞬でアイ・コンタクトをなし、目を輝かせている唯からプリンを取り上げた。
 
涙目になりながら必死でプリンを取り返そうとする唯。
 
本気で泣き出さないように気をつけながら弄ぶ俺と桜。
 
呆れるほどに楽しく、いつもと同じように通り過ぎるはずの日常だった。
 
放課後になり、皆が部活に行って誰も居なくなった教室で少し話しをした。
 
その後、校門で手を振る桜と別れた。
 
 
『まった明日ぁー』
 
 
そう言って去っていく桜の後ろ姿。
 
いつもと変わらない明日が来る事を、誰も何の疑いもなく信じていられた。
 
だから俺は桜に向かってこう言った。
 
 
『また明日』
 
 
俺もまた、いつも通りの『明日』が来る事を疑ってなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
  
  
  
  
 
 
いつもの帰り道で唯をからかって
 
 
 
いつもの帰り道で唯と話して
 
 
 
いつもの帰り道で唯と笑いあって
 
 
 
いつもの場所で唯と別れた
 
 
 
馬鹿の一つ覚えのような、決まりきった別れの挨拶
 
 
 
「それじゃ相沢さん。 また明日」
 
「ああ、また明日な」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
七月の蒸し暑い日のこと
 
 
黙っていても肌に汗が滲むような天気の日のこと
 
 
また明日、と笑顔で別れを告げた日のこと
 
 
俺と唯が笑っていられた最後の日のこと
 
 
 




蝉が泣いていた
 
 
そんな日のこと










 










 
 
 
 
 
 
唯の笑顔を最後に見た日のこと 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
To the last……