「おはようございますっ、相沢さん」
 
「んあ? ………おう、偶然だな」
 
「偶然じゃないですよ………狙っちゃいました」
 
「………そらご苦労なこった」
 
 
次の日の朝。
 
いつも通りたらたら歩いている俺の背後から、最近ではまったくもって聴いた覚えの無い類の挨拶が聞こえてきた。
 
久し振りだな、誰かに『おはよう』とか言われるのは。
 
自慢する事では全然無いが、既にこの近所で俺に軽々しく声をかけれる奴なんて存在しない。
 
なので、声の主は一発で判った。
 
言うまでもない、昨日の少女だ。
 
名前は確か……えーと、観空 唯とか言ってたな。
 
あんな最悪な出会い方をしたって言うのに、次の日にはもう挨拶を交わすまでになってる。
 
まったくもって不思議だ。
 
 
「ほえ? 私の顔に何かついてますか?」
 
 
身長が低い為、下から覗き込みながら首を傾げる感じで俺の顔を見ている唯。
 
くりくりと大きな瞳。
 
どことなく柔らかそうな頬。
 
両の結い髪。
 
ふむ、やはり小学生にしか見えないな。
 
実は産まれた年を二年ばかしごまかしてないか?
 
とかそんな事を考えてると、横にいる唯の顔が見る見るうちに涙目になり、その後でぷーっと頬をふくらませた。
 
 
「何でそんな事言うんですかぁ………気にしてるのにぃ」
 
「……声に出てたか?」
 
「それはもう……しっかりばっちりと」
 
「あー、ひょっとして謝ったほうがいいのか?」
 
「いいですよぅ………ホントの事だから」
 
 
『いい』と言いつつも、その表情は決して『いい』表情ではなかった。
 
これはかなりの確率で落ち込んでいる。
 
他人の感情を読むのが苦手な俺でも流石に判る。
 
つまりはそれほど『ドナドナ』な表情だった訳で。
 
なんとなく可哀想になった俺は、これで許してもらえるとも思っていなかったが、それでも唯の頭を撫でてやった。
 
さらさらの髪の感触が、いつも硬く握られてばかりいた指に、気持ちよかった。
 
 
「はわっ、何ですか?」
 
「いや……ちょうどいい位置に頭があったもんで」
 
「それって………結局小さいって言ってるんじゃないですかぁ」
 
「気にすんなって」
 
「気にしますっ」
 
「気になるか?」
 
「気になります」
 
「木になるか?」
 
「なりませんっ!」
 
 
ちっ、失敗。
 
一度はやってみたい会話だったのに。
 
等とくだらない事をやっていたら、本当に拗ねられてしまった。
 
下をむいて、無言でとぼとぼと歩く。
 
ドナドナの子牛よりも哀愁を漂わせていた。
 
このままでは市場に連れて行かれかねん。
 
頼むからそんな表情と態度で道端の小石を蹴らないでくれ。
 
何やら人として最低な事をしてしまった気になるではないか。
 
そんな事を思った俺は、もう一度その頭を撫でてやった。
 
今度はさっきよりも優しく。
 
 
「……またバカにするんですか?」
 
「小さいって言われるのは嫌か?」
 
「嫌ですよぅ」
 
「ちっちゃい方が可愛いぞ」
 
「…………嘘です」
 
「俺はそんなくだらない嘘はつかない」
 
「……それじゃ本当ですか?」
 
「ああ、本当だ」
 
「本当に本当ですか?」
 
「本当に本当だ」
 
「本当に本当に本当ですか?」
 
「本当に本当に本当だ」
 
「本当に本当に本当に―――――――――本当ですか?」
 
「そこまで信じられないなら、神にでも誓ってやろうか?」
 
 
俺は神を信じちゃいないが。
 
 
「いいですよぅ、そこまでしなくても」
 
「そうか?」
 
「はい、相沢さんが可愛いって言ってくれたから、それでもういいんです」
 
 
そう言った唯の顔は、何でか判らないが少し赤いような気がした。
 
だが、何はともあれ機嫌は直ったようなので細かい事は気にしないでおく。
 
そのまま俺達は二人でたらたらと歩いた。
 
どうでもいい会話をしながら。
 
暖かい風と。
 
降りそそぐ春の日差しと。
 
咲き誇る桜並木の下で笑いあいながら。
 
ただ、のんびりと。
 
時が流れているのを忘れたように穏やかな時間を、昨日知り合ったばかりの俺たちは共有した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、気がついたら二人とも遅刻確定だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Stand by Me 〜 Another story 〜
 
 
その5 『日常』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「二日連続で遅刻か、この不良生徒めが」
 
「あ、相沢さんだって二日連続で遅刻じゃないですかぁ」
 
「俺はいいんだよ。 自他共に認める不良だからな」
 
「そんなの威張れる事じゃないですよぅ」
 
「む……そうかもしれん」
 
 
今は朝のSHR中。
 
加えて言うならば、SHR中の廊下である。
 
平成になってから久しい今現在の教育現場において、遅刻で廊下に立たされる学校というのも珍しいと思うのだが。
 
って言うか無いだろ、そんな学校。
 
するとこの学校はとっても変な学校と言う事になる。
 
学食だって普通中学校には無い。
 
まぁ、そんなこんなでとりあえず今、俺たちは廊下に立たされているって訳だ。
 
 
「大体して、昨日はお前なんで遅刻したんだ?」
 
「き、昨日ですか?」
 
「ああ、今日はともかく昨日は俺の所為ではないはずだぞ」
 
「………」
 
「どうした?」
 
「………笑わないって約束してくれます?」
 
「おう、約束だ」
 
「…………犬が」
 
「はい?」
 
「………家を出た所で恐い犬に追いかけられて、それで学校とは反対方向に逃げちゃったんです」
 
「うわはははははははははは!!」
 
「は、はぅっ。 笑わないって言ったじゃないですかぁ」
 
「犬に追いかけられて? っくくくくく、お前はのび太か?」
 
「のび……むぅー。 私はそんなにドジじゃないですよぅ」
 
「静かにしろお前らっ!!」
 
 
けたたましい音と共に教室のドアが開き、怒りの形相の担任が顔を出す。
 
その怒声に唯はかなりびっくりしたようで、俺の隣でその小さな肩をびくっと震わせた。
 
んで俺はと言うと、びっくりするどころか朝ののんびりとした空気をぶち壊された事に腹を立てていたりしていた。
 
世間ではこれを逆切れと呼ぶ。
 
元々は遅刻した俺たちが悪いらしい。
 
加えて、罰則の為に廊下に立たされていたのにその廊下で談笑していたと云うのはかなりの不届き者らしい。
 
なるほど、納得といえば納得だ。
 
だが、いきなり怒鳴りつけたこの先公の態度は頂けない。
 
俺が怒鳴られているのは半ばいつもの事。
 
『そこ』は怒りを覚える場所ではない。
 
ただ――――――
 
 
「観空! 後で職員室に来い!」
 
「っ……は…はい」
 
 
しゅんとして、うつむく唯。
 
教師如きに必要以上に脅える必要なんて無いのに。
 
先に話を振ったのは俺であって、大本を正せばお前が怒られる筋は無いはずなのに。
 
はずなのに、何故か唯だけが怒られている。
 
俺の方を見ようともせず、ひたすらに脅える唯だけに向けて怒声を上げる教師。
 
その答えは瞬時に出た。
 
おとなしくて教師の言う事に従順な生徒と、説教をすれば明らかに反抗する事が判り切っている生徒。
 
生徒を怒る事によって給料が上がる歩合制ならば話は別だが、実際にそんな規定があるだなんてのは聞いた事が無い。
 
故に、後者をわざわざ呼び出して怒るのは一教師として割に合わない。
 
教師のくせに生徒によって態度を変えるなんて、腐ってやがる。
 
それと、もう一つ。
 
こいつは脅える唯の姿を鏡として自分を映す事によって、己の姿を『教師』として固定していた。
 
自分よりも弱く、脆く。
 
『教師』である自分に畏れ、崇める様を見て愉悦に浸っている。
 
この事は俺をさらに苛立たせた。
 
―――誰に断ってコイツを脅えさせてんだ固羅!
 
そして気がつくと、俺は教師に食って掛かっていた。
 
 
「おい、何で俺は呼ばないんだ」
 
「あ、後から呼ぼうと思っていたんだ」
 
「後から? っは、どうだか」
 
「教師に向かってその口の利き方は何だ!」
 
「あんたの職業なんか関係無いだろ。 もっとも、仮に教師だったしても生徒を差別するような教師には敬語なんて使う必要も無いからな」
 
「なっ!」
 
「敬語って字、もっかい思い出してみな。 少なくともあんたは俺にとって『敬う』対象ではない」
 
「貴様っ!」
 
 
怒号と共に、激昂した教師の平手打ちが飛ぶ。
 
勿論、かわすのは容易い事だった。
 
だがここでかわした場合、今の俺では更にカウンターでイイ感じの一撃を入れてしまいそうだった。
 
具体的に言うと、まずは腐れ教師の平手を自身の左手で流れに沿って弾く。
 
必要以上の勢いを付けられて左側に泳いだ顔面に、逆ベクトルからの熱い右拳をぶち込む。
 
考えただけでも素敵な反撃だったが、残念ながら実行に移した場合の騒ぎは甚大なものになってしまうだろう事は火を見るよりも明らかだった。
 
しょうがないので、あえてその平手打ちを喰らう。
 
屈辱だ。
 
 
ばしっ!!
 
 
裂けるような痛みの後、殴られたその部分が熱を持ち、その後じわじわと熱くなる。
 
それは我慢できる程度の痛みでしかなかったが、その代わりに物凄くむかついた。
 
こっちが避けないとでも、教師を殴れないとでも思っているのだろうか。
 
確かによっぽどでもない限り、教師に反撃をする奴なんていないだろう。
 
ただし、俺を除いてな。
 
 
教師の胸座を掴み、それを自分の方に一瞬で引き寄せる。
 
その距離、数センチ。
 
目の前にある脅えた顔。
 
さっきまでの威勢はどこへ消えたのやら。
 
その脅えた顔に向かってこう言ってやる。
 
 
「………覚えとけ。 たまにはどうでもよくなる時だってあるんだぜ」
 
 
視線に込める、確固たる殺意。
 
案の定教師は顔面蒼白になり、その場に固まってしまった。
 
身動き一つ取れなくなった教師を廊下に投げ捨て、俺は屋上に向かう。
 
授業自体もそうだったが、このままだとマジでどうでもよくなりそうだった。
 
何もかも、が。
 
今この時。
 
怒りに任せて教師を殴れたら、どんなにすっきりしただろうか。
 
引き寄せた無防備な顔面に掌を叩き込んでやったら、少しはこの日常がマシになっただろうか。
 
確か中学校に退学は無いはずだからな、一回やってみるのもいいかも知れん。
 
世の為人の為、何よりも俺の為に。
 
あの腐れ教師はどうにかした方が良い。
 
そんな事を考えてみた。
 
 
廊下を歩く俺の後ろから何か声が聞こえたが、内容はよく判らなかった。
 
どうせくだらない事だろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ギイ―――――
 
 
硬く重い鉄製のドアを開け、俺は『そこ』に出る。
 
ドアを開けると同時に、俺の身体は心地よい風に強く吹かれた。
 
学校の屋上。
 
お決まりのようだが、生徒は立ち入り禁止になっている。
 
だからと言って先生の溜まり場になっているかと云えば、そうでもなかった。
 
先生も生徒も立ち入り禁止にするならば、いっそ創らなければ良いものを………
 
とは言ってみたものの、実はこの俺、屋上が大好きだったりする。
 
学校そのものは大嫌いだし何より高所恐怖症の俺だが、何故か屋上は好きだった。
 
確かに『高い』のだろうが、そもそも高さの相対とされるべき地面が視界に入らないのだから、何の問題も無い。
 
それに、ここは、空に近い。
 
地上よりも強く、そして優しい風が俺の身体を通り抜けていく感覚。
 
中央付近までてくてく歩き、その場にあお向けに寝転がって空を眺める。
 
そこには何も遮る物は無く、原色の青がただ一面に広がっているだけだった。
 
ダ・ヴィンチも、ヴォナローティオも、ラッセンも。
 
どんなに高名な画家が必死になろうとも、この空の色は出せないだろう。
 
絵画や芸術には全く無知な俺でもそう思うほど、それは綺麗な色だった。
 
網膜が使い物にならなくなるまでその色を焼きつけてもみたかったが、さすがに座頭市になるのは困るのでおとなしく目を閉じる。
 
瞬時に世界は色を無くし、代わりに春の風と陽射しの暖かさが俺を包み、何時の間にか俺は眠りに落ちていた。
 
 
 
 
 
「………さん………」
 
「……相沢さ………起きてくださいよぅ………」
 
 
それからどのくらい経ったのだろうか。
 
眠りの世界でふわふわしていた俺の精神を現実世界に引き戻すかのごとく、頭の上で声が響いていた。
 
どうやら起こそうとしているようだが、気持ちいい眠りに入っている俺の睡眠を妨げるとは中々にいい度胸だ。
 
てか、そもそも俺を起こすような事ができる奴なんてこの学校にいただろうか?
 
………ああ、居たな。
 
この学校で、たった一人だけ。
 
俺の態度や噂に何ら臆する事無く、まるで子犬の様に懐いてきた奴が。
 
無視し続けると昨日のような状況になりかねないので、しょうがないので目を開けて一応誰かを確認する。
 
勿論、確認するまでも無くその声の主は判っていたのだが。
 
 
「あっ、やっと起きた」
 
「……俺の眠りを妨げるとはいい度胸だな」
 
「す、凄んだって無駄ですからね」
 
「何が?」
 
「相沢さんがホントはそんなに恐い人じゃないって知ってますから」
 
「ついさっき教師に啖呵切ってたの見てなかったのか?」
 
「見てましたけど……それでもやっぱり恐く無かったですよ?」
 
「……お前、何者だ?」
 
「私ですか? きのう自己紹介したと思うんですけど」
 
「………」
 
 
緩やかなカーブを描きながら逸れていく話の方向性に小さく溜息をつき、俺は寝たままの姿勢で目線を上げた。
 
どうやら唯は俺の頭の上に立って話しているようだったから。
 
そして、上を向いた俺の目には素敵な光景が飛びこんできた。
 
言うまでも無いが、この学校の女子の制服はスカートだ。
 
スカートをはいた女が頭のすぐ上に立っていると言う状況がどんな結果をもたらすかと言えば……
 
はっきり言えば丸見えだった。
 
中学二年生ともあろう者が、バックプリント……しかもタヌキ柄。

なんだよ『PON POKO PON』って。
 
年を考えろ、年を。
 
そんな俺の思考には気付かず、当の本人は相変わらずの表情で平然としている。
 
 
「早く教室に戻らないとサボりになっちゃいますよ?」
 
「あの先公がむかつくから今日はパス」
 
「パスって……そんなの通用する訳無いじゃないですかぁ」
 
「一日に三回まではOKなんだ」
 
「相沢さんの人生は七並べですかっ」
 
「似たようなもんだ」
 
「もー、早くしないとほんとに授業始まっちゃいますよぅ」
 
「お前まで巻き添え喰う事も無いだろ、戻れよ」
 
「相沢さんを連れてくまで、私も動きません」
 
「ただでさえ遅刻常習者なんだから。 これ以上不良ぶりを発揮するな」
 
「じ、常習者って……二日しかしてないじゃないですかぁ」
 
「新学期始まってまだ二日だぞ。 今のところ遅刻率100%じゃないか」
 
「ぅ……た、たまたまですよぅ」
 
「いいから早く戻れよ、タヌキさん」
 
「ほぇ? たぬき?」
 
「ああ、白っていうのは清潔感があって良いが、中二にもなってバックプリントはどうかと思うぞ」
 
「しろ………バックプリント………っ!?」
 
 
ようやく気付いたようだ。
 
自分のスカートの中身が丸見えだと言う事に。
 
ばふっ、と音がするほどの勢いでスカートを押さえ、めちゃくちゃに真っ赤な顔をしてる。
 
まったく、恥らうならもう少し早くしろ。
 
おかげで数分間に渡ってばっちり見てしまったではないか。
 
いや、目の保養にはなったんだがな。
 
 
「………何時から……見えてたんですか?」
 
「ついさっきだ」
 
 
嘘だ。
 
 
「……正直に言うと?」
 
「お前が来たときからずっと。 おかげで目の保養はバッチリだ」
 
「はぅっ。 な、何で早く言ってくれないんですかぁ」
 
「お前がわざと見せてるのかと思って」
 
「見せてる訳ないじゃないですかぁっ」
 
「ふむ、一理あるな」
 
「一理じゃなくて全部ですっ」
 
「そんなに怒るな、タヌキさん」
 
「タヌキさんじゃないですっ」
 
「そんなに怒るな、PON POKO PON」
 
「ぽんぽこぽんでもないですっ」
 
 
キーンコーンカーンコーン
 
 
二人で言い合っている時、授業の開始を告げる本鈴が高らかに鳴り響いた。
 
ふむ、授業開始か。
 
 
「はわっ、あ、相沢さんの所為で授業が始まっちゃったじゃないですかぁ」
 
「……授業が始まるのは俺の所為なのか?」
 
「そうじゃないですけど………ぅー、これで私、不良確定ですか?」
 
「ああ、問答無用で不良だ。 それもトップクラスのな」
 
「はぅっ、ホントは真面目な生徒なのにぃ」
 
 
泣きそうな顔で、俺の横にぺたしと座り込む。
 
走って教室に向かわないところを見ると、どうやら授業は諦めたようだ。
 
少しくらい遅刻したからと言ってすぐに授業を諦める辺り、どう見ても立派な不良生徒だと思うのだが。
 
 
「よし、そんなお前に古来より伝わる伝説の言葉を贈ろう。 ”男は諦めが肝心”、だっ」
 
「私は女の子ですっ」
 
「気付かなかったっ!」
 
「ほ、ホントっぽく言わないで下さいっ」
 
 
膨れっ面でぷいっと横を向く。
 
本日二度目のぷんむくれだ。
 
もともと幼い顔立ちをしている唯が口を尖らせていると、その表情はさらに幼く見える。
 
さらに、可愛く見える。
 
風に吹かれて乱れた髪を押さえている姿も、まだ不満そうにぶつぶつと言っている姿も。
 
それはそれでやっぱり可愛かったのだが、スカートの中を見られた事を気にしているらしい横顔は、少し雲って見えたりもした。
 
何か言ってやろうと思うが、何分アレは不可効力だった訳で。
 
見ようとして見たんじゃないから(途中からは自分の意思で見ていたが)、俺が謝る筋でもないと思うし。
 
なので、何の根拠も無いが取り敢えず手を伸ばして唯の頭を撫でてみた。
 
朝にも感じた、さらさらの感触。
 
なんとなく心が落ち着くような気がして、俺はずっと撫で続けていた。
 
 
「相沢さん…….」
 
「そんなにスカートの中を見られたのが嫌だったのか?」
 
「嬉しい訳無いじゃないですかぁ」
 
「大丈夫だ。 お子様のパンツに興味は無いから、きっぱりすっかり忘れたぞ」
 
「興味……無いですか」
 
「何で残念そうなんだお前は」
 
「べ、別に残念なんかじゃないですよぅ」
 
「ならもういいだろ。 タヌキの事は忘れてお前も少しはのほほんとしろ」
 
「のほほん……ですか?」
 
「ああ、せっかく屋上に来てるんだ。 横になって、目を閉じて、風を受けてみろ。 気持ちいいぞ」
 
「……はい」
 
 
その言葉を最後に、俺達の間から言葉が消えた。
 
俺も目を瞑って寝ているのでどんな状況かは判らないが、多分唯も目を閉じて寝転がっているのだろう。
 
不良生徒が二人、春の日差しと風を感じながら眠る。
 
煩わしい事が多すぎる世界の中で、ここだけは時が止まっているような気がした。
 
穏やかで、麗らかで、心地良い。
 
数分後、ふと気がつくと隣からは小さな寝息が聞こえてきていた。
 
どうやら目を瞑っているうちに寝てしまったようだ。
 
いくら緩やかな陽射しが気持ち良かったからって、授業をサボってここまで素直に寝に入れるとは。
 
やれやれ、ほんとにガキだなお前は。
 
等と呆れつつ、でもなんとなく気になって。
 
俺は隣で寝息をたてている唯の寝顔を覗き込んでみた。
 
整った眉。
 
軽く閉じられた瞳。
 
桜色の小さな唇。
 
少しだけ開いたその唇からは、規則正しい小さな吐息が漏れる。
 
あまりにあどけない寝顔をずっと見ていると、何処までも惹き込まれるような気がしてきた。
 
隣で寝ている少女がどうしようもなく可愛く見えて。
 
もう少し近く、もう少しだけ近くで……
 
 
「……ぅん……」
 
 
息を殺して近付いていた矢先、まったくの不意打ちで唯が寝返りをうった。
 
心臓が飛び出るかと思うほど驚き、俺は即座に飛びのいた。
 
別にやましい事をしようとしていた訳でもないのに。
 
そんな言い訳をしつつ、それでも一度はね上がった心拍数は即座には下がらなかった。
 
 
それから数分後。
 
ようやくの事で落ち着きを取り戻した俺も唯に習ってその場に寝転んだ。
 
瞼をも透過する春の陽射しを受けながら思う事は、さっきの失態。
 
まったくもって俺らしく無い。
 
一体どうしたと言うのか、この俺ともあろう者が……
 
 
でも。
 
 
何時から俺は『俺』を固定してきたんだろう。
 
何時から俺は、『俺』を創って生きてきたんだろう。
 
強い自分。
 
冷静な自分。
 
他人には頼らずに、一人で生きていこうとする自分。
 
それらは全て『俺』であって、しかし『俺』ではない。
 
『そうしよう』と云う意思の元でしか形を維持できない器でしか、所詮ないのだ。
 
だからと言って何も意識していない俺の姿ですら、今となっては本当に『自分』なのかが判らない。
 
そもそも『自分』が判らない。
 
何をどうすれば『俺』は『俺』で居られるのか。
 
いくら考えても全く判らなかった。
 
 
だがそれでも。
 
俺が他人との関わりを徹底して嫌っている事だけは確かだ。
 
半ば本能的に、半ば意識的に。
 
自分から近付く事は決して無く、近付こうとする者を避けていた。
 
それは両親に対しても変わる事は無かったし、それまでは仲良くしていた知り合いの女性(ひと)に対しても変わる事は無かった。
 
ひたすらに、拒絶した。
 
いつしかそれが普通になり、他人と心を交わらせる事が無くなった俺は”誰か”を傷付ける事も厭わなくなった。
 
何故だろう。
 
恐らくは切っ掛けがあるはずなのだが……
 
 
深く考えを進めて行くと同時に俺を襲う、言い知れぬ不快感。
 
それは昔を思い出す事を拒むかのような、無意識の意思。
 
本能の、警鐘。
 
これ以上の不快感に襲われることを拒絶した俺は、またいつものように考える事を止めた。
 
面倒臭いのは嫌い。
 
今はただ、暖かな日差しに身を委ねよう。
 
全ての思考を停止し、心を空にして。
 
暖かな空気の中、俺の意識は急速にまどろんでいった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「相沢さんっ。 ちょっ、起きてくださいっ」
 
「ん……喧しいな。 俺の眠りを妨げるとはいい度胸を……」
 
「もう四時間目が終わっちゃう時間なんですよぅ」
 
「なにぃっ!」
 
 
 
 
 
その日、屋上には二人の不良生徒がいた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
To be continued . . . . .