「絶対ダメだってばっ!」
 
「何を言うか! あれは絶対になくてはならない物なのだ!」
 
「だって邪道だもん! 本来なかった物なのに後から付けるなんて邪道だもん!」
 
「なかった物が付けられるという事はつまり、民衆がそれを必要としてた証拠だろう!」
 
 
放課後の教室で激しくも楽しそうに交わされる会話の余韻が、はためくカーテンに吸い込まれて消えた。
 
一つの机を挟んで。
 
半径1メートル以内の世界で。
 
椅子に後ろ向きに座るは祐一、それを真正面から受けとめるは桜。
 
ついこの間までまったく面識が無かった二人は、今や旧知の間柄のように親しげに言葉を交わしていた。
 
音声抜きの絵だけなら、恋仲に見えない事も無い。
 
呆れるくらいに順応性の高い二人だった。
 
そしてそれに取り残されたるは祐一の、多少疑わしい上に多分に拙いが一応は『恋仲』と称されるに相応しい少女、観空唯。
 
二人の議論を傍から見ているだけの彼女は、少なくとも自分から望んでそのポジションに居る訳ではない様だった。
 
とにかく、二人が何を話しているかが解らない。
 
掃除から帰って来たら既にこの口論の真っ最中。
 
唯はこの時ほど自分の班の掃除担当区域である東昇降口を恨めしく思った事はなかった。
 
 
「ねーねー、二人とも何を話してるのー?」
 
「あのソースと絡む微妙な酸味は絶対にはずしがたい物だ!」
 
「そんな事したらタコの繊細な味が台無しになっちゃうよ!」
 
「ねーったらぁ、二人とも何の話し?」
 
「解らないなら黙ってろっ」
 
「わかんないなら黙っててっ」
 
「ひえぇー、二人とも息がぴったりだよぅ」
 
 
くわっ!ってな感じの擬音が背後に飛び出そうな勢いで唯を睨む二人。
 
驚いた唯がマンガの様に両手を挙げて驚くのも、無理はない事だった。
 
それと同時に膨らむ、二人の間に入れなくて寂しい気持ち。
 
 
「むー、相沢さんと桜ちゃんが私を無視してラブラブですー」
 
「いいか桜。 あれを否定したらお好み焼きにかける事すらも否定する事になるんだぞっ」
 
「お好み焼きはいいのっ! だって『お好み』なんだからっ」
 
「ふえぇ、無視だよぅ……」
 
「ならば百歩譲って焼きそばにかけられているのはどうだ?」
 
「私としてはあれもなし。 ソースだけで充分だもん」
 
「ねー、無視しないでよぅ」
 
「って事は『三平ちゃん夜店の焼きそば』の辛子マヨネーズまでもを否定する気かっ」
 
「当然よ。 それに女の子としてはカロリーだって気になるんだからね」
 
「ねー、ねーったらぁ」
 
「「なにっ!?」」
 
 
またも見事にハモル二人の声。
 
だが、振り向いた二人の前には完全に涙目の唯がいた。
 
これでは無視する訳にはいかない。
 
完全泣きモードに入られたら始末に終えない上に、何やらちくりと心が痛い。
 
祐一と桜は互いの顔を眺め、『しょうがないなぁ』と云う意味の溜息を一つついて、それからようやっとで唯の方に向き直った。
 
 
「無視しないでよぅ……何の話しですかぁ?」
 
「桜がたこ焼きに付けるマヨネーズを完全否定するんだ。 これは人類として許せん」
 
「人類ってあんた。 とにかく、私はマヨネーズをつけるのには絶対反対」
 
「たこ、やき? ……そんな事を今まで二人で熱く語ってたの?」
 
「そんな事とは何ですかっ!」
 
「唯、貴様たこ焼きを愚弄するか?」
 
「だ、だ、だってぇ……私の事を無視して何を語ってたのかなって思ってたら……私はたこ焼き以下なんですかぁ?」
 
 
激しく涙目。
 
そりゃそうだ。
 
自分を無視してまで論議していた内容が、事もあろうにたこ焼きだと言うのだ。
 
しかも議論の邪魔をするなと、二回も二人に怒鳴られている。
 
唯としては不満爆発だろう。
 
しかし祐一はそんな唯の様子など何処拭く風。
 
後ろ座りしていた椅子からふわっと立ちあがり、教科書以外の何かしか入っていない軽い鞄を肩にかけ、ふいっと教室を後にした。
 
唐突な行動に動きを止める唯と桜。
 
そんな二人を肩越しに眺めながら、祐一は誘うでもなくしかし明らかに同行を促すかのような口調で。
 
 
「さーて、それじゃ俺はたこ焼きでも食べに行くかな。 マヨネーズのかかった、たこ焼きをな」
 
「あーっ、ずるーい。 ちょっと待ってよ、私も行くから」
 
 
そう言って桜も自分の席から鞄を引っ掴み、祐一の後に続こうとして教室から走り去った。
 
それもまた、さながら風の様に。
 
時期には少し遅い桜色の風が教室を吹きぬけてから数瞬後、後に残された唯はどうしようもないくらいに凹んでいた。
 
って言うか泣き出しそうだった。
 
 
「……いいもん……たこ焼きよりプリンシェイクのほうが美味しいもん……」
 
 
そんな事を誰に聞かせる為にでもなく小さく呟きながら、一人寂しく佇む唯。
 
醸し出す雰囲気は言わば捨てられた仔犬の様だった。
 
勿論、見かけたらすぐに拾ってあげたいくらいの可愛い仔犬。
 
分不相応な大きさの――それは唯が背負っているからだと言う説もあるが――今日一日分の教科書が詰まったバッグを肩にかけ。
 
環境整備委員会が怒るのでしっかりと窓の戸締りをして、カーテンを閉めて。
 
唯はとぼとぼと歩き出した。
 
恐らくは世界で一番『ドナドナ』が似合いそうな感じで。
 
だが、教室から出ようとしたその間際。
 
痺れを切らしたかのような勢いで廊下側のドアから祐一が顔を出し、唯の姿を見止めてまるで始めからそう云うつもりであったかの様に。
 
 
「おい、早くしろよ」
 
「ふぇ?」
 
「早くしないとたこ焼きが売り切れちまうだろ。 置いてくぞ」
 
「あ………あはっ」
 
「ん? なんだ、いきなり笑顔になって」
 
「なーんでーもなーいでーすよーっ」
 
 
満面の笑みを浮かべながら祐一の腕に抱きつく唯。
 
抱きつかれた祐一は桜の目の前と云う事もあり多少照れていたが、それでも振り払おうとせずにそのまま歩き出した。
 
腕にかかる少しの重さを愛しく想いながら。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Stand by Me 〜 Another story 〜
  
 
その9 『たこ焼きと口付け』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
学校と云う名の監獄が午前中のみで効力を無くす素晴らしき土曜日の放課後。
 
そろそろ夏に近くなってきた日差しの中を俺たちは歩いていた。
 
目的地は、公園。
 
唯と初めて逢った公園とは違う、俺たちの通う学校から少し離れた所に在る小さな公園だ。
 
平日は子供連れの主婦などが居て、日曜日はゲートボールが盛んに行われ、一ヶ月に一度くらいの頻度でフリーマーケットが開催されている。
 
つまりは日々を通して人の途切れる間が無いのがウリのような場所だった。
 
その所為か、ほぼ一年中を通して何かしらの出店が出ている。
 
その中でも俺が贔屓にしているタコ焼き屋というのは季節を問わない商売なので、行けば必ず在るような類の屋台だった。
 
タコ焼き屋の親父曰く、『うちのタコは刺身用にでも仕える鮮度の奴だぜ』だそうなのだが。
 
元々が味に対した拘りがある訳ではなく、ジャンクな物の食べ過ぎで舌がバカになってるっぽい俺には明確な違いがよく判らなかった。
 
だが、確かにスーパーなどで売っているたこ焼きのタコとは何かが違うような気もする。
 
単純に言えば、屋台のたこ焼きの方が美味しい。
 
その他にも例えば生地自体に味がついているとか揚げ玉にも工夫があるとか。
 
客にそんな所まで教えて良いのかってほどの知識を、この屋台のおっさんは教えてくれた。
 
その余りの熱心さは、当時の俺をして『将来の職業はタコ焼き屋でもいいかなー』とか思わせたほどだ。
 
今考えるとあれは後継者を求めたおっさんの手練手誰だったのではないだろうか。
 
恐るべし、タコ焼き屋の親父。
 
何はともあれ、俺たちはそんなたこ焼き屋に来ていた。
 
 
「おいっす」
 
「おっ、久しぶりだな不良学生」
 
「不良学生って……別に俺は不良じゃねーよ」
 
「平日の昼にたこ焼き買いに来てた奴がなに言ってんだか」
 
「それは昔の話だろ。 今はちゃんと授業受けてるよ」
 
「ウソばかっり。 あんた三日に一回は午後の授業サボってるでしょ」
 
「ぬっ。 や、やかましいぞ桜」
 
「はぇ? 私は具合が悪いから保健室に行ってるって聞かされてましたよ?」
 
「唯、あんたね。 そんな0.2秒でばれるようなウソに騙されてどうするのよ」
 
「う、そ? えぇー! ウソだったんですかぁ?」
 
「……気付いてなかったのか? 俺はまたてっきりウソを承知で頷いてくれてるものだとばかり」
 
 
忘れてた訳じゃないけど再確認。
 
こいつはかなりの天然だ。
 
記念物に指定した方が良いかもしれん。
 
 
「むー、授業をサボるなんて不良ですよ? 相沢さん」
 
「前にも言っただろ、一日に三回までパスが使えるんだ」
 
「ゲームみたいな人生だね」
 
「うむ、いい突っ込みだ桜」
 
「じゅ、授業パスばっかりしてたらバカになっちゃいますよ?」
 
「でも祐一って唯より頭いいんだよね、確か」
 
「ぅ……ひどいよー、桜ちゃん」
 
「事実だろ。 諦めろ」
 
「あ、相沢さんまでそんな事言うー」
 
 
ぷんむくれの唯。
 
だが、いくら頬を膨らまされてもこの事実だけは曲げようがなかった。
 
何よりも厳然たる事実。
 
抗い様の無い非情なまでの現実。
 
唯は可愛いが、バカだ。
 
桜と二人で嫌がる唯から取り上げて見た前回のテストの回答など、ギャグとしか受け取り様が無かった。
 
一次関数のグラフは曲線を描かないし、ナンシーは高性能な自動車でもない。
 
ドイツの首都を答える回答欄に書かれていた『ナチス』にいたっては地名ですらない。
 
なので唯が俺よりもバカであると云う事実は曲げようがないが、このままぷんむくれのままでいられるのも俺としては困る所であった。
 
いやこれはこれで何やらげっ歯類っぽい可愛さがあるのだが、何しろ本格的に拗ね出したら手に負えない。
 
どうしたもんかと考えた挙句、俺は一つの提案をした。
 
 
「それじゃ今度のテスト前には俺が勉強でも見てやろうか?」
 
「べんきょう……ですか?」
 
「何だその嫌そうな顔は。 俺が教えるのじゃ不服か?」
 
「そーゆー訳じゃないんですけど……あんまり好きじゃないんですよぅ、勉強」
 
 
好きな奴なんているのか、勉強。
 
聞いてみた所でどうせ返って来る答えは一つしかないと思ったので、俺は口に出すのを止めた。
 
 
「唯は小学校の頃から勉強が嫌いだもんね」
 
「ほう、お前等は小学校の時からの知り合いなのか?」
 
「んーん。 桜ちゃんとはねー、幼稚園の頃からの知り合いなんだよ」
 
「なあ、桜。 その頃から唯はこんな感じだったのか?」
 
「こ、こんな感じってどういう意味ですかぁっ」
 
「んー……覚えてる限りでは初めて逢った時からこんな感じだった」
 
「桜ちゃんまでー」
 
「いっつもほぇーっとして、ほわーってしてたんだよ、この子。 想像しやすいでしょ」
 
 
言いながら自分より頭一つ分小さい唯の頭に手を置く。
 
置かれた方の唯は子供扱いされた事が不満なのか、さらにぷんむくれな表情を見せていた。
 
リスみたいだ、と思った。
 
 
「ほぇーっとなんてしてないもんっ」
 
「いやいや、それだけほぇーっとしてれば充分だ。 世界だって狙える」
 
「そうそう、いい意味なんだよ? ほぇーっていうのは」
 
「いい意味に聞こえないもん……」
 
 
あまりよく判らない内容の会話。
 
内容があるのかと問いたくなるような会話。
 
だが、何の意味も無いような会話が今日は妙に心地良かった。
 
蒼く、高く。
 
空がこんなにも遠くに在る日の午後にはぴったりだと思った。
 
 
少し経って焼きたてのたこ焼きを受け取った俺たちは、芝生の方に向かって歩き出した。
 
こんな天気の日には、ベンチに座るよりも芝生の上の方がピクニック風でいい感じだろう。
 
たこ焼きも美味しく感じるだろう。
 
とか言ったくせに、俺は一口も食べないうちからその場に仰向けに寝転がってしまった。
 
顔の部分だけちょうど日陰になっているので、陽射しを気にしなくて済む。
 
寝転がった俺の顔のすぐ横には名も無き雑草があり、緑色のソイツからは確かに草の匂いがした。
 
何でだろうな、懐かしく感じるのは。
 
別に子供の頃に草の中で育った訳でもないのに、草の匂いを嗅ぐと懐かしさが込み上げて来る。
 
きっと俺の前世は名も無き雑草だったに違いない。
 
 
「祐一、食べないの?」
 
「食べるぞー 
 
 
そう返事はしたものの、俺の身体は起き上がる事を拒否していた。
 
草と風と陽射しが邪魔をする。
 
眼を開ける気すら起こらない。
 
きっと俺の所だけ地球からの重力が強いんだな。
 
万有引力の法則万歳。
 
 
「相沢さーん、冷たくなっちゃいますよー」
 
「優しくしてくれー」
 
「い、意味がわかんないですよぅ」
 
 
そりゃそうだ。
 
 
「もー、さめちゃいますよー?」
 
「醒める? お、俺を捨てないでくれー」
 
「そ、それも意味がわかんないですよぅ」
 
 
それもそうだな。
 
 
「っとに。 早く起きなさいよ、ほらー」
 
 
そんな声と同時に、腕がぐいっと引っ張られた。
 
声からして桜のようだ。
 
しょーがないそろそろ起きるかと頭では思ったのだがしかし、それでも俺の身体は起きるのを拒否する。
 
それどころか逆にその腕を自分の方に引っ張ってみたりもしていた。
 
 
「ぅきゃっ!」
 
 
小さい悲鳴と共に、俺の胸板に覆い被さる柔らかい重み。
 
意外なほどに軽い。
 
びっくりして眼を開ければ、そこには僅か数センチの距離で桜の顔があった。
 
俺と繋いでいる手と逆側の手を地面に着き、下がる後れ毛が頬をくすぐる。
 
まったくもって場違いだが、桜はかなり可愛い部類に入るんじゃないかと思った。
 
普段意識して見る事が少ないだけに、こんな時にはより際立って見える。
 
あくまで俺の私見なのであてにはならないと思ったが、少なくとも侮蔑している訳ではないのでまぁいいかと自分に言い聞かせた。
 
 
「ちょ、ちょっと。 少しは驚くとか謝るとかしなさいよこのバカチン」
  
 
俺が無言のままその姿勢を保っていると、桜が少し照れたような表情でそう言った。
 
いや、一応はびっくりしたんだが。
 
しかしそう言う桜も覆い被さった姿勢のまま動こうとしない。
 
眼を逸らそうともしない。
 
たった五センチばかりの距離をおいて、俺たちは互いの顔を見詰め合っていた。
 
不思議と違和感は無かった。
 
 
「お前も叫ぶとか飛び退くとかしろよ」
 
「……いいや、めんどくさい」
 
 
ばふっと言い放ち、桜はそのまま自分の身体を支えている腕の力を抜いた。
 
見えなくなる間際、桜の顔は笑っていたように見えた。
 
次の瞬間。
 
俺の身体に本格的にのしかかる桜の全体重。
 
むしろ桜の全て。
 
薄い夏服に包まれたその柔かい身体や、さらさらの髪の毛までも一緒に。
 
まるで子猫がじゃれつくかのように。
 
さらっと、ふわっと、へにゃっと、ぽやっと。
 
 
「こ、固羅っ、桜っ。 重たいから降りろっ」
 
「そんなに重くないよーだ」
 
「と、年頃の娘が取る行為じゃないぞっ。 恥を知れ恥をっ」
 
「そんなに嫌なら振り落とせばー?」
 
「ぬ……」
 
 
嫌なら振り落とせ。
 
そんな事を言われても、少なくとも俺は嫌だと思って抗っている訳ではなかった。
 
仮にも健康な中学二年生。
 
同年代の、しかもかなり可愛い部類に入る女の娘が自分にくっついてる状態が嫌だと言えばそれは嘘になる。
 
勿論それなりに動揺もしたが、所詮は桜。
 
ドキドキするのも暴れるのも無駄な体力だと思った俺は、最終的には全てを受け流す事にした。
 
感じるのは、誰かと肌が触れ合う事の暖かさだけで良いと。
 
 
「いいよ、俺もめんどくさい。 好きなようにしろ」
 
「ん 
 
 
そう言って二人、身体を重ねたままで居る。
 
薄い制服越しに伝わってくる体温が心地よかった。
 
どこかで聞いた話だが、人間の呼吸や心臓の鼓動の音には一定のリズムがあって、それは人間を一番リラックスさせるらしい。
 
今の今まで信じていなかったが、あながち嘘とも言い切れないと思った。
 
実際にこうやって感じている呼吸の音。
 
二人で一つの肉体を共有しているかのような体温の同調。
 
俺に預けられた、桜の体重。
 
それら全ては今、確かに俺の心を落ち着けてくれていた。
 
 
「ふぁ、あぁーっ。 な、なんで二人ともそんなにらぶらぶなんですかぁっ? ず、ずるいよぉー」
 
 
隣では唯が一人、何事かを喚いていた。
 
どうやら、俺と桜が密着している事がご不満のようだ。
 
最後の方には本音まで覗いている。
 
俺と桜が寄り添う事なんて別に目くじらを立てるほどの事でもないだろうに。
 
そこら辺を歩いてたフェレットと俺がじゃれあってるとでも考えられないのかこいつは。
 
まぁ思えないからこそこうやって騒いでいるんだろうけど。
 
そんな唯の心を知ってか知らずか、おそらくは知っていてだろうが、桜はわざと見せつけるようにして俺の胸板に頬を摺り寄せてきた。
  
 
「んー、祐一はあったかいなぁー」
 
「あ、ああっ、そんなにすりすりしてっ?」
 
「それに結構たくましいよね、祐一って。 ちょい見せてみ?」
 
「はわわぁ、さ、桜ちゃんっ!」
 
 
楽しげに唯をからかう桜と、それにまんまと引っかかって動揺しまくっている唯。
 
傍から見ていれば、とても楽しそうな光景に映っただろう。
 
だが、今の俺はそのダシに使われている。
 
逆らわない以上は共犯なのだろうが、何とも複雑な心境だった。
 
何しろ桜は唯をからかう為に必要以上に俺の身体を弄くりまくっているし、自分の身体をも密着させてくるのだ。
 
だからつまり、えーと、その、なんだなぁ……
 
 
「……さて、そろそろたこ焼きを食べなくちゃな」
 
 
何かが限界を越える前に、俺はもっともらしい言い訳をしながら桜を振り落とした。
 
振り落とされた桜も、一瞬だけ『ちぇっ』とか言いそうな表情を見せたが、それでも思い出したようにたこ焼きを食べ始めた。
 
唯は……拗ねていた。
 
少し離れた所で芝生の草をちぎっては捨てている。
 
頼むから俺の前世の姿をそんなに無下に扱わないでくれ。
 
まったく、子供かお前は。
 
深い溜息を吐きながら、はてどうやったらぷんむくれな唯の機嫌が直るかと思案する。
 
と、一瞬でいい考えが閃いた。
 
機嫌が直るかどうかは判らないが、少なくとも唯が笑顔になる方法。
 
勉学とはまったく無関係にな分野においてのみ驚異的な能力を発動する自身の頭脳に、俺は苦笑するしかなかった。
 
 
「おおっ! 今日のたこ焼きは何時にもまして美味そうだなっ」
 
 
わざとらし過ぎるほどの大きな声と、ハリウッド級のリアクション。
 
突然の挙動に目を丸くして俺を見詰める桜に、目配せのみで『合わせろ』の要請。
 
俺が何をしたいのかを一瞬で理解してくれたのだろう、生来のノリの良さも手伝って、桜は俺以上のオーバーリアクションを見せてくれた。
 
中々に察しの良い奴だと思った。
 
 
「ホントだねっ。 青海苔とソースのからみ具合がまた絶妙だよ」
 
「うむ。 やっぱりたこ焼きは焼きたてに限るよなぁ」
 
「あったかい内に食べないなんて、たこ焼きの真の味を分かってないよねー」
 
 
ぴくぴくっ
 
 
唯がかすかに反応している。
 
恐らくは俺たちの会話を聞き、焼きたてアツアツのたこ焼きが食べたくなっているのだろう。
 
そ知らぬ振りをしているつもりだろうが、残念ながら意識がこっちに向いている事はバレバレだった。
 
単純な奴だ。
 
 
「外側はぱりぱりだし中身はアツアツ、タコも大きいし文句のつけようが無いな」
 
「中に刻んで入れてあるネギとか天玉も格別だよねっ」
 
 
そろ〜……
 
 
ゆっくり、ゆっくりとたこ焼きににじみ寄って来る唯。
 
気取られているとも気付かずに、あくまでバレてないと思いながらこっそりと。
 
警戒心たっぷりな仔猫みたいなその仕草がたまらなく可愛いかった。
 
射程距離まで、あと30cm
 
……20
 
…10
 
 
「こんな美味しいたこ焼きを…つかまえたぁっ!」
 
「うきゃぁっ!」
 
 
見事に俺たちの罠に引っかかり射程距離まで入ってきた唯を、俺は神速で抱きしめるような感じで捕まえた。
 
反動で揺れた髪が頬をくすぐる。
 
唯のにおいが身を包む。
 
なんだか当初の目的とは違った所で幸せな気分になっている事は秘密だ。
 
で、捕まえられた方の唯はと云うと、奇妙な声を上げて硬直していた。
 
両手をバンザイの形にして。
 
何が起こったのかまったく判りません、ってな感じの表情をして。
 
 
「ふっふっふ、まんまと引っかかりおったな」
 
「ぇ? ふぇ? な、なんですか?」
 
「『あっちの方で拗ねている唯をおびき寄せよう作戦』、成功だねっ」
 
「して、姫。 捕獲に成功したこの『ミソラユイ』はどうしましょうや」
 
「ふむ……そうだの、『くすぐりの刑』ではどうじゃ?」
 
「姫。 私めが致しますと『セクハラ』と称されるものになってしまいますので、申し訳なくも御手を拝借する事になりますが」
 
「あ、あのぅ? 二人とも何を?」
 
「抱きしめている時点で手遅れな気もしないではないが、うむ、よろしい。 でがこの桜姫自らが刑を執行しよう」
 
「ふぇ? さ、桜ちゃ?」
 
「それーっ」
 
 
言うが早いか、俺に捕獲されて身動きの取れない唯に向かって桜が突貫した。
 
これ以上無くめちゃくちゃ楽しそうな顔で、しかもかなり激しく唯のわき腹をくすぐる。
 
中世ヨーロッパの拷問の一種みたいだと、共犯者の立場ながら俺はそう思った。
 
 
「ひぃやぁはははっ! さ、さくらちゃ、や、やめぇ」
 
「聞かぬ、聞こえぬ、わらわは罪人の戯言など聞く耳は持っておらぬわーっ」
 
「あ、あいざ、はなし、おねがっ、あははははっ!」
 
「ん? どうした唯。 ん、ああ、そうだなぁ、世界的な人口爆発と食糧問題について、俺の口からは今の時点ではなんとも言えないなぁ」
 
 
唯も頑張って抵抗はしている。
 
身をよじり、足をパタパタさせ、首をぶんぶか振って。
 
しかし悲しいかな、唯の細腕ではこの俺の束縛を解く事はできっこないのだった。
 
それどころか、あまりにも弱い抵抗に思わず手を緩めてしまいそうにもなる。
 
だが俺の腕の中にいる唯を、あまりにも可愛い笑顔(強制)を見せる唯を放したくなかったので、やっぱり腕の力を緩める事はしなかった。
 
痛くだけはならないように、出来るだけ優しくはしたが。
 
 
「ゆ、ゆるし、もっ、さく、にゃぁはははははははっ!」
 
「主の言いたい事はよく判らぬわーっ」
 
「ぅひぃやははははっ、たすけ、あいざっ」
 
「ふむ、お前が言いたい事ももっともだ。 だがそれでは中世の経済的概念と何ら変わりは無いではないか。
 産業革命以降、多くの人々が推し進めてきた技術開発の炎を我々の世代で途絶えさせてしまうのはどうかと思うぞ、唯」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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唯が笑い(強制)
 
桜が笑い。
 
俺も笑った。
 
手をつけた頃にはたこ焼きはすっかり冷めてしまっていた。
 
それでも俺達は美味しく頂いた。
 
そしてまた、三人で笑った。
 
どのくらいそうしていただろうか、気が付けば辺りは夕焼けに彩られていた。
 
 
「さて、それでは帰りますか」
 
「ん? 桜の家はあっち側なのか?」
 
 
カバンを肩に掛け、俺たちの家とは逆方向へと足を進める桜の背に問う。
 
すらりとした体躯。
 
振り返る、斜め45°からの表情。
 
揺れるポニーとアンテナが可愛かった。
 
 
「そだよ。 だから、唯を送る役目は祐一に任せるね」
 
「えー? 俺ー?」
 
「な、何でそんなに嫌そうなんですかぁ」
 
「冗談だ」
 
「むー」
 
「はいはい、夫婦漫才は私がいないところにしてよね。 それじゃっ」
 
「じゃーねー」
 
「じゃな」
 
 
手を振って別れる俺たち。
 
『じゃあ』
 
続く言葉は、『また明日』
 
今日は楽しい一日だった。
 
だから多分、明日もきっと。
 
その先もずっと。
 
 
桜と別れて二人でてくてく歩いているうちに、俺はふと唯が無口な事に気付いた。
 
別に普段から多弁な方ではないが、さっきからずっと喋っていないと云うのはあまりに異常。
 
ひょっとしたら何か怒らせるような事を言ってしまったのかも知れないと思い、俺は隣りを歩く唯に声を掛けた。
 
 
「なあ、唯」
 
「………」
 
「おーい、観空唯さーん?」
 
「え、あ、はいっ。 な、なんですか?」
 
「それは俺が聞きたい。 公園で桜と別れてからずっと無言じゃないか。 一体どうしたってんだ?」
 
「え、えと……そのですね」
 
「おう」
 
「あの……うーっと……」
 
「早く言え。 言いたくないなら言わなくていい。 無理に訊こうとは思わない」
 
「今日は相沢さん……ずっと桜ちゃんとばっかりお話してました」
 
「あ?」
 
「二人が仲良いのはいいんですけど、その、なんか二人がいっぱい楽しそうにしてると、胸の辺りがきゅーってなるんです」
 
「………」
 
「きゅーって、なるんですよぅ」
 
 
小さな胸の辺りに手を置きながら、唯はいつしか涙目になっていた。
 
言葉を借りれば『きゅー』っとなっている胸が本当に痛むかのように、ぎゅっとぎゅっと制服を握って。
 
自分の中に生まれた、恐らくは産まれて初めての感情に戸惑いながら。
 
 
自分の親友と自分の大好きな人。
 
どっちも大切で、どっちも大好き。
 
仲良くしてくれるのは、凄く嬉しい。
 
それは自分も望んだ幸せの形。
 
だのに芽生える、悲しい気持ち。
 
二人に対してだけは抱きたくなかった気持ち。
 
気付いてしまえばその先は速い。
 
嫌だ。
 
こんな気持ちで二人を見るのは嫌だよぅ。
 
 
「はぁ……」
 
 
俺は小さくため息をつき、唯の頭にぽむっと手を置いた。
 
鷲掴みに出来そうなほど、小さい頭。
 
二三度かいぐった後、そのまま無言で自分の胸に引き寄せた。
 
自慢じゃないがあまり柔らかくはないだろう俺の胸に、それでもぼふっと収まる唯の頭。
 
瞬時の事で反応が遅れた唯が、抱き寄せられてから数秒後にやっと反応を返した。
 
 
「わぷっ。 な、なんですかぁ?」
 
「……アホ!」
 
「はうっ」
 
「………」
 
「……でも、知ってます。 自分があほだって」
 
「まったくだ」
 
「はい」
 
「それじゃあ、俺が桜を無視するようになれば満足か?」
 
「だめっ! そんなの……嫌ですよぅ」
 
「お前も以外とワガママな奴だな」
 
「……ごめんなさい」
 
「それじゃ、ここでお前にキスでもしてやれば満足か?」
 
「ぇ、え? えぇーっ?」
 
「どうだ?」
 
「あ、あの、その、でも、わ、私なんかでっ?」
 
「冗談だ」
 
「じょう、だ……ひ、ひどいですよぅっ」
 
「ソース味のキスなんて御免だからな」
 
「女の娘に向かってそんなウソを、って、ふぇ?」
 
「どうせならプリン味の方が良い。 そっちの方がいかにも『唯』って感じがするからな」
 
「はぇ? ふぇ? ええぇぇぇーーっ?」
 
「なんだ、俺じゃ不満か」
 
「そ、そんなことは…ないん、です、け、ど」
 
 
最後の方の言葉なんて聞き取れないくらい小さく呟く。
 
俯いてしまっている唯の顔は夕焼けの所為なんかじゃなく真っ赤だった。
 
目線も何所を見て良いのか判らずにさ迷っている。
 
どうやら少しからかいすぎたようだと反省しながら、頭を胸に押し付けていた手を離して唯を自由にしてやった。
 
 
「つまりは、そういう事だ」
 
「そういうこと?」
 
「俺は基本的に自分に正直、って言うか自己中な奴だからな」
 
「知ってます」
 
「ぬ……まぁ、嫌な事は大抵の場合しないし、逆にしたいと思った事はどんな障害があってもやり遂げる」
 
「それも知って……」
 
 
『知ってます』と言おうとした唯の唇を、自分の唇で塞ぐ。
 
コンマゼロイチ程度の、ほんの一瞬だけの短い口付け。
 
したいと思った事は、どんな障害があってもやり遂げる。
 
俺は今、唯にキスしたかった。
 
口付けが唯の不安を取り去ってやれると確信していたから。
 
目の前にいる少女を本当に大好きだと思ったから、した。
 
大好きだと思った。
 
それ以外の感情は無い。
 
そして、口付けをするのにそれ以上に必要な感情も俺は知らない。
 
ものすごく単純だけど、たったそれだけの単純な気持ちが一番大切なものだと思う。
 
あ、唯の気持ちも大切だった。
 
 
「……悪い」
 
「なんで、謝るん、ですか?」
 
「キスして良いか訊いてなかった」
 
「………」
 
「お前が嫌だったらとんでもないこ―――」
 
 
言いかけた時、今度は唯の唇で俺の言葉が塞がれた。
 
つんっと。
 
またしても触れるだけの拙い口付け。
 
背が低いので一生懸命に背伸びをしながらの、短い口付け。
 
不意の事とは言え、この俺が微動だに出来なかった。
 
 
「……今のが私の返事です」
 
 
夕日に照らされている顔がさらに真っ赤になる。
 
そんな唯の顔を見て、俺までもが赤面してしまった。
 
頬が、凄く、熱い。
 
自分でも頬が赤くなっている事が実感でき、それ故にまた俺は顔を赤くした。
 
なんか、むちゃくちゃ照れる。
 
 
「えーと……帰るか」
 
「はいっ」
 
 
さっきまで曇り空だった唯のご機嫌は、綺麗な茜色の空と同じように完全に回復していた。
 
それが嬉しくて、なんとなく俺まで上機嫌になる。
 
別れ道までの時間を少しでも長くしたくて、歩幅を狭めてみたりもする。
 
いつもより少しだけ優しい言葉遣いになったりもする。
 
キスした事で何かが変わるかと思っていたが、俺たちは何も変わらなかった。
 
世界も何も変わらなかった。
 
変わらずにいられる事が、例えば二人の幼さ故の事だったとしても。
 
気恥ずかしさも、少しの憤りも。
 
優しさも嬉しさも愛しさも。
 
全てを含めて俺たちは、互いを大切に想いあっていた。
 
互いが互いを必要としていた。
 
 
それが俺たちの日常。
 
あまりにも当たり前になりつつあった俺たちの日常。
 
壊れる事なんて無いと、そう思っていた。
 
 
五月中頃、梅雨間近。
 
蝉はまだ、鳴かない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
To be continued . . . . .