原因不明ながら風呂が壊れてしまった金曜日の夜。
俺は銭湯に行くために、手ぬぐいを頭に乗っけながら道を歩いていた。
目的地はタバコ屋の角を曲がって三件目。
通称、『ガラパゴスゾウ亀の湯』。
何やら噛まれたら指が千切れそうな勢いの名前だが、この際それは気にしない事にした。

「あれ? 祐一じゃん」
「んあ?」

突然に掛けられた声に振り向くと、そこには唯と桜が居た。

「何やってんだお前等」
「えっと……桜ちゃんが『今日の気分は”ぶらり亀の湯湯煙殺人事件、旅情が招いた逢瀬の影に”な気分だからーっ』とか言って」
「早い話が、無理矢理連れ出されたんだな?」
「はい――っていたたっ。 桜ちゃ、つめ、いたっ?」
「無理矢理? あのね唯。 無理矢理ってのはこーゆーのを言うんだよ?」
「ひえぇぇぇ……」
「ふっふっふ、背中を流してあげるとか言って後ろからもみくちゃにしてやる。 そんじゃーねー」
「ふえぇぇぇぇ」

あー、行っちゃった。
桜のセリフの後半、微妙に本音が聞こえてたけど、まいっか。
俺も風呂に入るために来たんだし。
細かい事は後回しだ。

のれんを潜って脱衣所に入ると、男湯には俺以外の客が一人も居なかった。
素晴らしい。
銭湯が時代を超えた交流の場だとか言う奴も多いが、俺にとっての第一目標はまず風呂である。
つまり、思いっきり身体を伸ばせる風呂の大きさこそが最重要なのであって、其処におっさんが居ようが爺さんが居ようが関係が無い。
むしろ居ない方がのんびり出来ると云うものだった。
びばのんのん。

それから五分ほど経っただろうか。
頭を洗う為に座った蛇口の向こう側から、何やら聞き覚えのある声が聞こえてきた。

『ゆーい』
『ふぇ?』
『あんたおっぱい無いね』
『はぅっ!』
『小さいとか控え目とかもうそんな次元じゃないわ。 つるぴかじゃん』
『さ、桜ちゃんだってぺったぺたじゃないですかぁー』
『むっ、人の胸をそんな東北地方の妖怪みたいな呼び方したな? 少なくても揉めるくらいはあるもんねー』
『むぅぅぅぅぅぅ』

何を話してるんだ何を。
丸聞こえだぞお前等。

『いやでもホント。 あんたの身体には色気ってステータスは無いの?』
『ひぐっ』
『どこもかしこも白くて柔くてつるっぺたじゃん。 なに? モチ?』
『ひぅっ……って何で言いながらいちいち触るのぉー?』
『こんな身体でも男の人は欲情するのかな?』
『ふぁっ……もぅ、やぁめてよぉー』
『でー、そこんとこどうなのさー! 聞き耳立ててる祐一くーん!』

がんっ!
驚きのあまり蛇口にヘッドバッドを叩きこんでしまった。
メチャクチャ痛い。

『ゆっ? ぇえっ!? き、聞こえてたんですかぁ?』

壁の向こうから聞こえてくる、阿呆みたいに焦った声。
って言うか聞こえてないとでも思ってたのか?
街の銭湯ってのは大体、ほら、男湯と女湯の間の壁は天井まで行ってないんだぞ。
そりゃ声も聞こえるわ。

『さ、桜ちゃんまさかわざとぉ?』
『ふーむ、あんた中学二年生にもなってまだ一本もはえもがががっ!』
『きゃーきゃーきゃーきゃー!』

案の定、ビンのコーヒー牛乳を腰に手を当てながら飲んでいた俺の前に出てきた唯は涙目だった。
慰める為に『おっぱい無くても大丈夫だぞ』って言ったら、更に涙目になった。
どうしろって言うんだ。