「修学旅行? んなもん誰が行くか」
「な、なんでですかぁっ」

実際には半分じゃないけど気分的には半日の授業を終えた、授業がある週の土曜日の放課後。
午後から何をしようかと思案していた俺に、唯が修学旅行の話を持ちかけてきた。
それはもう、うっきうきな表情で。
そして、俺はそれを一瞬にして打ち砕いた訳なんだが。

「何でもクソも。 何が楽しくて寺社仏閣なんぞ見て回らねばならんのだ。 断っておくが俺は無信教だぞ?」
「別に信仰を深めに行くわけじゃないですよぅ」
「じゃあ何か。 新京極で木刀でも買い求めろと言うのか。 悪いが俺は素手の方が強いぞ?」
「け、ケンカの道具を買いに行くわけでもなくってですねぇ……」

気が付けば、唯は微妙に呆れ顔をしていた。
むぅ。
最近ではこんな表情も多く見るようになってきたな。
なるほど、いつまでも『はわはわ』してばっかりじゃないって訳か。
成長したなぁ、お前も。
父さんは嬉しいぞ。
俺は父さんじゃないけど。
それはさておき。

「冗談抜きでな。 俺は修学旅行になんて行く気は無い」
「どうしてか……訊いてもいいですか?」
「聴かなきゃお前が納得しないと言うなら、な」
「………聴いても納得しませんけど、でも聴いてみます」

あんまり言いたくはないんだがな……
でも、それをお前が望むなら。

「お前は、この俺に。 『相沢祐一』に。 学校行事である修学旅行に参加しろと言うのか?」
「………」
「自分で言うのもなんだがな、俺が修学旅行に参加する事によって不快な思いをする奴が確実に出て来るんだよ。
 それも一人や二人じゃなく……場合によっちゃこのクラス全員が不愉快な思いをするだろう。
 楽しめる訳ないだろ? 例えそれが誤解だとしても、いつ暴れ出すか判らないような不良と一緒の旅行だなんて」

電車の中だろうが。
バスの中だろうが。
宿だろうが寺だろうが神社だろうが。
俺がそこに居るだけで、その場の雰囲気は壊れる。
誰に悪いと思っている訳じゃなく、俺自身がそんな雰囲気の中に居るのが嫌だった。
自分を拒む空気の中に、好き好んで居続ける奴なんかいないだろう。
それが二泊三日もの間ともなれば尚更だ。
比喩表現抜きで、窒息してしまう。

「お土産は鹿煎餅でいいからな。 存分に京都を楽しんでこいよ」
「そんなの……無理ですよぅ」
「む?」
「……ぁいざ…んが…」

そこで、いったん区切って。
俯いていた顔をぐっと持ち上げて。
半分泣いてるような眼と、声で。

「相沢さんが居ない修学旅行なんてっ………面白くないです……つまんない、ですよぅ」
「……唯」
「よく言ったぁ!」
「「っ!?」」

突如として響いた声に、二人して同時に振り向いた。
ベランダ。
誰も居ないかのようにも見えたが、風にひよひよと揺れるアンテナが一人の親友の存在を如実に物語っていた。
てめぇ、盗み聞きとはあまり良い趣味じゃないなコノヤロウ。

「日の当たるベランダは私の聖域。 そこまで声が届くほどの青春ドラマを繰り広げてたのはアンタ達の勝手」
「ちっ、何処かで聴いた事のあるような台詞を」
「いやそれよりも。 唯。 よく言ったね」

にぱっと笑って、開け放たれた窓から教室に飛び込む桜。
初夏の陽光に照らされたその姿は、本人の意図とは別次元でえらく颯爽としていた。
そのまま教室の中ほどに立っている唯の元まで歩み寄り、頭をよしよしと撫でる。
唯には悪いが、どうにも母親が子どもを誉めている様にしか見えなかった。

「んで、祐一。 どーすんの?」
「何が」
「修学旅行。 来るの、来ないの」
「だから俺は―――」
「そっから先はよーく考えて言いなよ。 言っとくけど、私は唯を泣かせるような奴は大っ嫌いだからね」

おっかない。
純粋にそう思った。
もっともそれが桜の視線に対する感情か、桜に嫌われる事に対する感情かは判らなかったが。
それでも漠然と、おっかないと思った。

「私はとんでもない自己中心的な女だからね。 私と唯と、一応だけどアンタが笑えるなら他の誰がどうなったっていいと思ってる。
 私が笑顔でいる為には唯が必要。 唯が笑顔でいる為にはアンタが必要。 って事は私にとってもアンタは必要なの。 判る?」

その理論からは、俺の笑顔が完全に抜け落ちている。
なんて事は微塵も思い浮かばなかった。
なにしろ、この二人といる事が既に俺の笑顔なのだから。

「あ、相沢さんが……その、修学旅行に行く事でヤな思いするなら……無理にとは言わないですけど……」

友達いないし。
団体行動嫌いだし。
陰口ばっか叩かれてんの知ってる。
寺にも神社にもこれっぽっちも興味無い。
でも……

「大丈夫。 一緒に居たげるよ、私と唯が。 それ以上の何が必要さ。 言ってみ?」

……だよな。
行き先なんか何処だっていい。
他の奴等もどうだっていい。
ただ、お前等が一緒なら。

「判った。 おーけー。 行くよ、修学旅行」
「ホントですかっ?」
「ったく。 初めっからそう言いなさいよヒネクレ者」
「デフォ設定だ。 すまないな」
「相沢さん相沢さんっ。 シカ煎餅、あげましょうね」
「ああ」
「おっきな大仏も見ましょうね」
「ああ」
「修学旅行、楽しみですよねっ」
「……ああ、楽しみだな」

嘘じゃなく、楽しみだと思った。