二時間連続でLHRを行う事が告げられた月曜の三時間目。
班別自主研修のまずは班決めをするために、教室はハチャメチャに喧しくなっていた。
蜂の巣を突付いたって言うか、スズメバチの巣でセパタクローをしているような喧しさ。
それが疎ましくてつい顰めっ面をしてしまっている俺は、やはり意図的に集団の輪から外れようとしている風に見えるらしく、事実誰も俺の傍には近寄ろうとすらしなかった。

それで良いと俺は思っていた。
本人も周囲もそれを望んでいるのだから、孤独である事は何ら問題ではない。
むしろ問題があるとしたら、それは『集団』を盲目的に神聖化している奴等の方だろう。
何が楽しいのだ、『前へならえ』など。

今回も、と言うか今回だからこそか。
修学旅行と云う大きな行事を前にして、俺は孤独である事を許してはもらえなかった。
簡単に言えば、班別自主研修の為の班に俺をねじ込もうとする行為。
受け入れ先なんて思い当たるはずも無いのに、それでも教師は皆に向かって『仲間外れのような事はするな』とのたまって見せた。
コイツは馬鹿だ、と思った。

予想通り、班のメンバー決めは異様なほどスムーズに決められていった。
中学生は若いが、決して馬鹿ではない。
班別自主研修の話を耳にした時点で、大抵の生徒は談合を進めていたのだ。
土壇場で嫌いな奴と一緒の班にでもなったら、旅行もクソもあったもんじゃないから。
勿論、その『嫌いな奴』に俺が第一候補としてランクインしている事は言うまでもなかった。

ふと、その喧騒の中に唯の姿を見止めた。
見知らぬ(少なくとも俺の見解では)女子に声をかけて、二言三言交わして、途端に相手が嫌そうな顔をして、ごめんねと断る。
落胆の色を見せぬようあからさまに創った笑顔で手を振りながら、また別の女子に声をかける。
これで何度目だろうか。
俺と一緒に居る時を除けば、あいつはクラスの中でも人気がある方の部類に属すると桜から聞いた事がある。
自主研のメンバー集めだって、誰かを誘うと云うよりは誰かに誘われる方が圧倒的に多いはず。
だから、こんな場面で苦労する姿なんて本来は無いはずだった。
俺と一緒だなんて条件さえなきゃ、唯はどんなトコにだって笑顔で迎え入れられるはずなのに。
俺がいなきゃ……

「その顔、NG。 余計に唯を追い詰める」
「……そう言うお前は何してる」
「無駄に動くのキライ」
「まぁ……確かに無駄だな」
「違う違う。
 あたしが言ってんのはアンタを受け入れる人を探すのが無駄って事じゃなくて、アンタを受け入れる人を探すのにあたしが動くのが無駄って事」
「はぁ?」
「多分だけどね。 みゃーちゃん辺りが動いてくれると思う」
「……誰だ、みゃーちゃん」
「ほら、あれ。 一回くらいは見た事あると思うけど?」

桜が指差した先にいたのは、ショートカットの女の娘。
既に五人で組んでいる班の中の一人だったが、何やらしきりに唯の方を気にしていた。
むぅ、確かに一回くらいは見た事があるかもしれんが。

「どうしよっかな……ゆんちゃん、すっごく困ってるみたいだし」
「……何の真似だ」
「みゃーちゃんの心情を実況レポート」
「……好きにしろ」
「相沢さんと一緒の班になるのは……ちょっと、結構、かなり恐いけど……でも」

そこまで桜が実況した所で、件の『みゃーちゃん』なる人物が立ち上がった。
班員の四人と少し話して、しきりに頭を下げて、半ば逃げる様に班から離れて。
何人目になるか判らない『ごめんね』を受けてしょんぼりしている唯の元に走りよって―――

「ほら、ね」
「……どーなってんだお前等」

桜の読心術も、みゃーちゃんなる女の娘のとった行動も。
両方ともが俺にとっては理解不能な域に達していた。
だって、そんな。

「相沢さんっ。 メンバー決まりましたよっ」
「あ、あぁ」

唯に背中を押されながら、昔の唯に負けないくらいおどおどしながら。
生贄の様に俺の前に差し出されたその女の娘は、決して俺と眼を合わせようとしなかった。
やっぱ、そうだろうなぁ。
自嘲気味に溜息をつきながら、ジャージの胸に縫い付けられたネームを覗き見る。
『彩嶺 京都(あやみね みやこ)』
ぜんっぜん知らない名前だった。

「あー……彩嶺、さん?」
「は、はい」
「まずは謝っとく。 ごめんな、俺の所為で。 せっかくの班別自主研なのに、好きな奴等と組めなくて」
「そんな、謝らなくても……私、ゆんちゃんも草薙さんも好きですし」
「だから、さ。 俺がそのメンバーの中に入ってる事は、少なくとも彩嶺さんにとってはマイナス要素でしかない」
「あ、そ、そう云う意味じゃなくて……」
「ていっ」

どずむっ!

全く予期しないタイミングで、脇腹に抉るような右フックが叩き込まれた。
この俺をして『ナイスボディ!』と言わしめるほどの、キッツイ一撃が。
微塵も衝撃を予知していない肉体ってのは、驚くほどに脆い。
例えそれが普段から鍛えられている部位であってもそうなのだから、脇腹なんてデンジャーな箇所に到っては言うまでもなかった。
白昼の教室で痛みにもがく俺の姿は、それはもう情けなかったのではないかと。
後々になってからも俺はそう思うのであった。

「き……さま……何を…」
「と、まぁこの通り。 祐一は基本的に女の娘の事は殴んないからさ。 何やったって安全だよ」
「ぇ、あ、え?」
「みゃーちゃんも一発いっとく? こーゆーのは経験が大切」
「え、遠慮しとくよ」
「そ? ならいいけど」

ちっともよくない。
はわはわしながら殴られたトコを必死にさすろうとする唯をとりあえず置いといて、俺は文句を言おうとして桜を睨んだ。
そして、何にも言えなくなるくらい睨み返された。

「祐一。 男のくせに無駄な言葉が多い」
「お前は女のくせに言葉をつかわな過ぎる」
「それはさて置き。 さっきのアンタは自虐が過ぎて格好悪い。 あの場であんたが言うべきなのは、たった一言で充分でしょ」

判ってた。
そんな事、判ってた。
だけど、そんなありふれた一言で俺の存在が許されるだなんて、どうしても思えなかった。
基本的に俺は、自分を信じちゃいないんだから。

「あのー?」
「ん」
「私は、その、そんなにびっくりするくらいイヤって訳じゃないですよ?」
「………マジで?」
「はい、マジで」
「いきなり故も無く暴れ出すかもしれんぞ?」
「マジですか?」
「いや、ごめん、ウソだが」
「ですよねぇ。 少なくとも教室で暴れ出したのは見た事ないし」

……あれ?
なんでこの娘、こんな普通に―――

「唯からいろいろ聞いてますんで。 なんでもカタギの人には手を出さない義理人情に溢れた人だとか」
「みゃ、みゃーちゃんっ?」
「ほう……興味深いな。 その話しは後で詳しく聴かせてもらおうか、唯」
「はぅぅぅ、みゃーちゃんの裏切り者ぉー」
「裏切り者って事はさ、少なくとも言ったのは事実だって認めるんだよね、唯」
「ひぁうっ。 さ、桜ちゃんまでぇー?」

四面楚歌の状況でわたわたする唯。
見てて飽きないなぁとか思いつつ、気がつけば俺は小さく笑っていた。
笑ってる時の俺なら、さっき言えなかった『たった一言』が言えるような気がした。

「あー。 あや、みね、さん」
「はい?」
「よろし、く……おねがい、します」
「はいこちらこそ」

柔らかい笑顔が俺を赦す。
だけどやっぱり、言い慣れない言葉を使うのは酷く疲れる行為だった。