朝ぼらけの街が白く霞む、今の時刻は午前の6時。
周囲に学生など誰一人として居なく、遠距離通勤のおっさんが忙しく歩いているのを見かけるだけの駅前ロータリー。
そんな中で修学旅行用の荷物を詰めた為にいつもよりも若干大きめの鞄を持って一人佇んでいる俺は、ひょっとしたら相当にアホっぽいんじゃないかと思った。
時計を見る。
6時2分。
周りを見る。
誰も居ない。
俺は思った。
唯を信用するんじゃなかった……

そもそもの発端は昨日の帰り道。
『旅のしおり』なんかに目を通す暇があったら近代麻雀を読むわい、と言った俺の側頭部に桜のバックブローが突き刺さった辺りの事だった。
集合時間も集合場所も判らない俺の為に、唯が自分の鞄から旅行のしおりを取り出そうとして。
手が滑って鞄の中身を全部道路にぶちまけて。
涙目になりながらそれらを拾って、やっとの事で俺に告げたんだ。

『え、えーっとですねぇ……朝の6時に、駅のハゲワシ広場に集合ですっ』

随分早い時間に集合するもんだと、あの時はそれぐらいにしか思わなかった。
”あの”唯が、あんなに慌てながらの唯が、マトモな情報をくれると思った俺がバカだった。
まさか、まさか―――

「なぁ唯。 この数字は何に見える?」
「ろ、ろく…です」
「正解だ。 じゃあこの数字は何に見える?」
「……は、ち…です」
「………」
「………」
「きしゃー!」
「ぴぃぃぃぃぃっ! ご、ごめんなさいぃぃぃっ」

まさか6時と8時を間違えるとは、流石の俺ですら予想できなかった。
確かにしおりに記載されている文字は小さくて、90歳くらいのおじいちゃんなら見間違える事も無きにしもあらずなのだが。
だからと言って、なぁ唯。
この無駄に清々しい朝ぼらけの街並みを見る為にこの俺は朝の5時頃に起床させられたと言うのか?
三文の得なんて要らない。
俺は、寝たい。

「ふあぁぁぁ。 おひゃあ〜」

盛大なあくびをかましながら、桜の登場。
人様の側頭部にバックブローを入れた割には、どうやらコイツも自分で集合時間を確認しなかったらしい。
寝起きゆえにかいつもよりも元気無さげなアンテナが、ひよっと揺れた。

「おう、被害者その2」
「被害者? 何の?」
「え、えと、その、あの」
「集合時間な、6時じゃなくて8時だとよ」
「へ?」
「唯が、間違えたの。 本当の集合時間は今からおよそ二時間後」

が び ー ん

そんな文字がバックにでかでかと書き記されそうな勢いで、桜が荷物を取り落とした。
次いで、がくっと膝を折る。
もうあたし踊れませんっ、とか言い出しそうなバレリーナムードたっぷりだった。
靴に画鋲でも入ってたのか、とか思ったのも束の間。
見ているこっちが立ち眩みを起こしそうなほどの勢いで立ち上がって、がしっと唯の胸倉を掴んで。

「ぅあたしの暖かい布団の中であとごふーんとか言いながらごろごろとまどろむ人生の中でも上位三つにランクインするほどの素敵な時間を利子付きで今すぐ返せーっ」
「ひうぅぅぅぅぅっ」
「いいぞ桜。 もっと言ってやれ」
「寝坊したーっとか思って朝ご飯も食べずにフラフラになって辿りついてみたら間違いでしたってぬが―――!」
「あうぅぅぅぅぅぅっ」
「解説。 草薙桜は朝に弱く眠りに貪欲な為、早朝時の扱いには充分に気を付けるべきであり、間違っても大義無く眠りを邪魔してはならない」
「説明とかしてないでぇー、た、たすけてぇぇぇぇっ、相沢さぁぁん」
「イヤァ、ムリ」

ホント、無理。
少なくとも『ぬがー』とか言ってる桜には近寄りたくない。
ま、傍目にはじゃれあいにしか見えないし。
唯で遊んでる内に桜の機嫌も元に戻るだろ。
……朝はまだ長いし。

「おはヨガー」
「み、みっちゃぁぁん」
「ん、みゃーちゃん。 おはよがー」

謎の挨拶をしながら、四人目、彩嶺の到着。
ちゃんと制服を着ているところからすると、どうやら朝のジョギング中に駅を通りかかったとかそう言う事ではなさそうだ。
昨日の会話に彩嶺は入ってなかったはずだから、唯に騙された訳ではない。
って事はあれか、素で間違ったのかお前。

「……集合時間をまちがうバカ二人と、集合時間を自分で調べようともしないバカ二人か」

口に出すとこれ以上無く頼りない雰囲気で一杯だった。
こんなんで本当に、異国の地をさ迷えと言うのだろうか。
地図を逆様に見るような奴と、地図すら見ようとしない奴とで。
大丈夫かよ、班別自主研修。

「こら祐一。 誰がバカだって?」
「安心しろ。 俺とお前は同じ種類のバカだ」

寝覚め不機嫌モードからいつもの調子に戻った桜が、軽く噛みつく。
それを受け流しながら、俺は足下に置いてある自分の荷物を肩に掛けた。

「ど、何所に行くんですか?」
「そこのMSバーガー」

指差したのは、駅前には必ずあるようなファーストフード店。
ちなみに『MS』はモスじゃなくてモビルスーツの略だ。

「か、買い食いはダメなんですってばぁ」
「私も行くー。 アッガイバーガーとマゼラポテトーっ」

ててっと走って、桜が俺の横についた。
かなり切実に腹が減っているらしく、既に注文を口走っている。
そう言えば確か朝食抜きとか言ってたな。

「じゃあ私はゾックサラダと61式戦車デニッシュで」

言いながらすっと横に並ぶ彩嶺。
その表情は、朝食をとる事よりもむしろ自分がこっち側に来る事によって引き起こされる結果を楽しみに待っている様に見えた。

「わ、私もっ」
「買い食いはダメなんじゃないのか? 唯」
「で、でもでもそれはっ」
「唯っ。 お母さんは唯をそんな子に育てた覚えはありませんっ」
「桜ちゃんはお母さんじゃないよぅ」
「武士に二言はない、だよね」
「ぶ、武士でもないもんっ」

何だかんだ言いながら、結局は唯も合流して。
人の少ない朝のファーストフード店、二階のボックス席。
今日から始まる非日常に、俺達は少しだけ興奮しながら。

過ぎ行く時間も忘れて、楽しく笑いあった。

四人全員、本来の集合時刻に遅刻した。