ある程度は予想していた事だったから、そんなに驚いたりはしなかった。
悲しいとも思わなかった。
ただ、それはやっぱり『俺』と云う存在がこの場所に居るべきではないと思わせるのに充分な事柄だった。

京都へ向かう新幹線の車内。
三人乗りの座席。
周囲の談笑。
隣席の沈黙。
教師から座席間移動の許可がおりるまでの僅か数十分程度だったが、その短い時間の中ですら、嫌と言うほど思い知らされた。
何もしていなくとも、『不良』の存在自体が彼等の楽しい時間を奪っている。
居るだけで空気が壊されていく。
俺は、此処に居てはいけない。

冷え切った空気に耐え切れなくなった俺は、教師の注意を覚悟の上で席を立った。
向かった先は車両と車両の連結部分。
そこならば、誰の空気をも不快にさせる事はないだろう。
俺自身も、周囲の空気によって身を切られるような思いをしなくてもいいだろう。
なるほど結局は自己保身かと自嘲しながらも、勝手な移動を咎められる事のない『不良』である事が今だけはラッキーだと思った。

タバコは吸えない。
酒も好き好んで飲む対象ではない。
シンナーの匂いなんて嗅いでると吐き気を覚える。
そんな俺が周囲や教師からの目に届かない所でやる事と言ったら、普段は見せないような間の抜けた表情で窓の外を眺めるくらいだった。
壁、壁、壁。
まだ郊外に出て間も無い所為だろう、俺の視界の半分くらいは灰色の防音壁で埋め尽くされてはいるのだが。
それでも稀に見える風景は俺にとってまるっきりの『非日常』であって。
こんな状況でも充分に旅を楽しめる俺の将来の職業は、ひょっとしたら旅人辺りが妥当なんじゃないかとも思った。

「何で…たのかな」
「…普通はサボる……わざわざ…」

扉越しでも意外と聞こえてくる、『向こう側』の会話。
耳を澄ますつもりは無いのに。
聞きたくない類の会話だって事は判ってるのに。
どうしても。
聞こえてくる。

「迷惑なんだよな、はっきり言って」
「不良なら不良らしくサボれっての」

そこで笑い声。
楽しそうな、笑い声。
俺は思った。
『よかった』、と。

笑ってくれるならまだいい。
笑い飛ばしてくれるならまだマシだ。
どっちにしたってこの胸が詰まるような気持ちは一緒だけど、呼吸が苦しくなるような辛さは変わらないけど。
俺が消えれば、俺がその場から居なくなりさえすれば、其処にまた笑いが戻ると云うのならば。
いっそこのまま京都まで―――

「祐一みーっけ」
「………」
「次はアンタが鬼? それとも別なコトして遊ぶ?」
「あのな桜……」

空気読めよ。
そう言おうとして桜の目を見た瞬間、俺はもう何も言えなくなっていた。
表現として一番適当なのは『怒り』だろうか。
それとも憤りだろうか。
いずれにせよ、あまり歓迎したくない類の感情を桜が持っている事だけは確かだった。

「………」

無言が、えらく恐い。
何に怒っているか見当がつかないだけに、桜の視線は俺にとって余計に恐かった。
ただ言える事は、桜は空気を読めなくてあんな場違いな言葉を発したんじゃないってこと。
それどころか多分、判っているからこそあえてふざけた声の掛け方をしたんだろう。
俺が抱いている感情が、あまりにも修学旅行と云うイベントに相応しくないから。

だが、判ったなら尚更に放って置いて欲しかった。
俺が戻ったら、今まで笑ってた皆の空気がどうなるかを、お前なら判らない訳じゃないだろ。
アイツ等がどうとかじゃない。
俺が嫌なんだ。
排他的になる事によって『内』の結束を深める、そんな空気の中に居るのは。

目は口ほどに物を言う。
故に、俺もまた無言で桜を睨み返した。
篭める意思は勿論、同行拒否。
どんなに脅されても、諭されても、その意思は覆さないつもりだった。

なのに。

それなのに桜と来たら、睨み返した俺の視線を受けて。
てっきり睨み返すと思ってたのに、何だかよく判らないけどめっちゃくちゃな優しい顔して。
一歩後ろに下がって。
連結車両と客車の間にあるドアの『向こう側』から、そっと手を差し伸べて。

「こっちおいで。 こわくないよ」

そんな事を言うもんだから、俺にはもう、その手を突っ撥ねる意地なんてこれっぽっちも残っていなかった。
ただ一言。
不貞腐れたガキの様にたった一言だけの小さな反抗を示すのが、限界。

「……俺は野良犬か」
「どっちかって言うと捨て犬だよ。 ほらおいで」

そしてその反抗すらも軽くいなされて。
桜に手を引かれながら、俺は自分の情けなさに苦笑するより他になかった。

「祐一」
「ん?」
「お手」
「ケンカ売ってんのかテメェ」