やたらデカイ門を保有する知恩院の荘厳さに驚き、加茂川沿いに規則正しい距離を置きつつ座っているカップルの姿にまた驚き。
吐く息がすっかり疲れの色に染まろうかと云う頃、気がつけば修学旅行の一日目は静かに終わりを迎えようとしていた。

京都五条近くに在る古い旅館が、今日の宿。
ビルのような外観をしているくせに『旅館』と銘打っているその建物は、しかし部屋に入れば『旅館』だと名乗っている事に納得せざるを得なかった。
『風情がある』とか『赴き深い』とか色々言いつくろえはするが、結局は『ボロい』の一言に尽きる。
元々は青かったのだろう畳の伊草も既に黄ばみがかっている辺り、もう少し良い宿に泊まりたかったと思うのはそんなに贅沢な言い分ではないだろうと思った。

「……てか十人部屋って多すぎだろオイ」

自分の荷物含め十人分の荷物が乱雑に置かれた大部屋を見まわし、誰も居ない空間で一人ごちる。
同室の奴等はあからさまにも程があるだろうってな感じで他の部屋に逃げていってしまった為、無駄に広い部屋の中には俺一人しか居なかった。
人込みは好きじゃないし、誰かと馴れ合うのも好きじゃない。
だがそれでも、こんな風に旅行に出た先でまで家と同じ様に一人で居ることしか出来ない自分を思うのは、少し胸が苦しかった。

馴れない旅の所為で心まで疲れてしまったのか。
柄にもない思考を振り切る為、俺は部屋に備え付けの小さなユニットバスで汗を流した。
はて、そう言えばロビーで『部屋の風呂は使うな』って誰かが注意してたような気もするが……
まぁいいか。
入浴時間五分以内とか戯けた規則を設けた、しかも数十人が一斉に浸かるような風呂になんか、1秒だって入りたいとは思えなかった。

長らく放置した所為でやたらと長くなった髪を無造作に掻き上げ、これまた『手を付けるな』と言われていた備え付けの浴衣を着る。
季節柄か土地柄か、風呂上がり故かそれとも旅の興奮からは判らなかったが、火照った肌に風通しのよい浴衣はとても着心地が良かった。
まさか京都に着てまでテレビでもないだろうと思い、そのまま部屋を出る。
自販機を求めてうろうろしている姿を教師に発見されなかったのは、きっと普段の行いが良いからだと思った。

と、その時。
数人の男子が廊下で話している声が耳に入ってきた。
断片的情報から察するに、女子の風呂場が覗ける場所があるやら無いやら。
まったく興味が無いって言ったら嘘になるけど、そこまで鼻息を荒くしながら覗きたいと思う物でもなかった。
そう思った俺は、そいつらの行動を咎めるでもなくその場をスルーしようとした。
だが。

奴等の声がそんなに大きかった訳じゃないし、興味津々に聞き耳を立てていた訳でもない。
なのに、会話の中に含まれていたあまりにも聞きなれた単語の所為だろうか、去り際に耳にしたそいつらの会話はヤケにはっきりと俺の鼓膜を揺るがした。

「今は2組だろ? って事は草薙とか観空も入ってんじゃん」

そこから先は、よく覚えていない。
ただ、気付けばその場にいた奴の首根っこを掴んで場所を聞き出し、『覗きスポット』に群がっていた数人を相手にして殴り合いをやらかしていた。
大抵の奴は尻込みしがちな覗きを実行に移すのは学年の中でも結構アウトローな奴等で、まぁ当然と言えば当然の如く殴られたら殴り返す訳で。
10人からいた相手に対して完全な乱戦の最中、流石の俺でも頬にイイカンジの一撃を喰らったりもした。
無論、八倍ぐらいにして返したが。

数分後。
完全に沈黙したクズ共の死骸(死んでない)の中に一人佇む俺を、野次馬の垣根をやっとの事で越えた教師陣が取り囲んだ。
口先では『何があったんだ』って問いながらも、その目は明らかに『またお前か』と言っていた。
恐らくは、何を言っても無駄だろう。
始めから一方的な疑いの眼差しを向ける教師にどうせ何を言っても無駄ならばと、俺は口を噤む事を決意した。

「ゆ、祐一っ?」
「相沢さんっ?」

半ば以上引きずられる様にして事情聴取を行う部屋に連れて行かれる途中。
俺の名を呼ぶ声に振り向けば、そこには驚きの表情を隠そうともしない唯と桜の姿があった。
俺の置かれた状況の異様さを問おうとし、しかし教師に睨まれて二の句をうまく紡げずにいる。
その髪は、二人とも乾いていた。

「……あれ? お前等、風呂は?」
「後でこっそり部屋のユニットバス使おうカナーって、って言うかそんなん置いといてっ」

……なんだ。
お前等、入ってなかったのかよ。

「……っく、はははははっ」
「あ、相沢さん?」
「いや、何でも無い。 明日になったら詳しく話してやるよ。 そうか、部屋の使おうとしてたか。 ははははっ」

終始『?』を頭に浮かべる二人を置いて、問題行動を起こしておきながら不謹慎だと怒る教師もさて置いて。
俺は、何故だか込み上げてくる笑いを堪えきれなかった。
無駄な努力だとも知らずに焦って暴れたりした自分が可笑しかったのか、欲望に腐った視線が二人に届かなかった事が嬉しかったのか。
どちらかは判らなかったけれど、どちらでもやはり旅の昂揚が成せる業なのだろうと思い。
俺の口元の笑みは、長い長い説教の最中においても途絶える事が無かった。