「はわぁぁぁぁっ。 親鸞上人っ、親鸞上人ーっ」
「………あー、唯?」
「みゃーちゃんは寺社仏閣が絡むとちょっと…なんです」
「……ちょっと?」
「……かなり」

流石の唯をもってしても『かなり』と言わしめるほどアレな感じの彩嶺の声が静寂をぶち壊している、午後1時と少しを回った京都の町。
清水直下の坂に点在しているお食事処で軽い昼食を済ませた俺達は、午後の予定の一発目として京都タワーに程近い東本願寺に来ていた。
午前の最後に漂った危なげな雰囲気はすっかり影を潜め、今ここに在るのはひたすらに穏やかな初夏の旅情のみ。
騒がしい人込みを疎ましく思う俺にとっては、こいつらと過ごす五月の昼下がりが静かな仏閣の中であると言うのは実に喜ばしい事だった。
はずだった。

「ゆんちゃんほらっ、『東本願寺スタンプラリー』だってっ。 すごいよっ、楽しそうだよっ」

全然ちっともこれっぽっちも楽しそうじゃないスタンプラリーだなそれは。
思うだけにして決して口にしなかった俺は、どうやら危機回避能力に関してだけは人一倍の能力を持っているらしかった。
逆らったら、最後。
恐らく俺の髪の毛は、ただの一本も残さずに毟られて『毛綱』の中に組み込まれてしまう事だろう。
うわ、おっかねぇ。

「楽しそうだね、みゃーちゃん」
「ん? ああ、そうだな。 楽しいを通り越して愉悦すら抱いてるなアレは」

自分が話しを振られていないのを良い事に、のほほんとした感想を述べる桜。
のほほんと応える俺も似たような物だと思いながら、まぁ概ね平和だから良いやとか考えていた。
ぼーっとしている俺の視界に映っているのは、キラキラと瞳を輝かせながらさて伽藍から行こうか御影を先にしようかとそわそわしている彩嶺。
普段はどちらかと言えば落ちついた佇まいを見せている奴だけに、そのギャップは中々に微笑ましい物があった。
無論、俺に被害が加わらない限りの事ではあるのだが。

「ごめんなさい皆さんっ。 私はちょっと上人が呼んでいるのでお先に失礼しますっ」

言うが早いか踵を返し、御影堂に向かっていそいそと歩を進める小さな背中。
一瞬だけ「逝くなーっ!」と言おうとしたのは、俺と青空だけの秘密にしておこうと思った。
いやほら、「上人が呼んでるから先に行く」って言われたら普通は三途の向こう側に行くのかと思うだろ。
彩嶺に言ったら「お一人でどうぞ」とか言われそうなので絶対に言わないが。

「しかし本当に楽しそうだな、あいつは」
「うん、よかったよかった」

呆れ半分に呟く俺に対し、満面の笑みを浮かべて頷く桜。
傍目にも判るほど感情が篭っているその言葉には、どこか自責から介抱されたかのような色すら聞いて取れた。
だが『どうして』と訊く前に返って来たのは、『答えません』と言い張るステキな微笑み。
『それじゃあしょうがない』と、本心からそう思った訳ではないけれど、それでもこれ以上の詮索が無駄だと判り切っていたので、俺は小さく溜息をついた。
こいつの頑固さは、筋金入りだ。

「相沢さーん、ハトがいますよー」
「なんと、椋鳩十がこんな所に居るとは」
「祐一、そのボケ判り難いよ」
「俺もそう思った」
「むくはとじゅう、ですか?」

案の定、俺のボケは唯に理解されていなかった。
くそう、ボケ損だ。

「椋鳩十って云うのはほら、基本的に動物が関係する小説を書く人。 教科書とかも載ってたじゃん」
「ふぇ? そうだっけ」
「えーとほら、なんだっけ……あの猟師のお爺さんの名前……祐一判る?」
「だいぞう、だろ」
「そうそう、思い出した。 『だいぞうじいさんはガン』だ」

ちょっと待て。

「桜、桜、お前は今とんでもない事をさらりと言ったぞ」
「んー、なーんかニュアンスが違うんだよなー。 ……『だいぞうじいさんもガン』だったっけ?」

ガン患者増えたし。
いや、むしろ爺さんも鳥だったとか?
……どこでこんなアホな会話の流れになったんだ。
あー、いや、確かに鳩十ってボケたのは俺なんだが。

「とりあえず唯、桜の発言は九割方流しとけ」
「ふぇ? だいぞうお爺さんの闘病日誌がどうかしたんですか?」
「帰れ」
「えぇーっ?」

がびーん!とショックを受けて涙目になる唯。
その表情から判断するに、どうやら本気でだいぞう爺さんを悪性新生物に蝕まれた老人だと勘違いしているらしかった。
まったく……どれだけ俺を和ませれば気が済むんだか、お前は。

「うーん……『だいぞうおじいさんがガン』?」

まだやっていた。