「草薙さんって……桜の事か?」
「相沢さん。 今のこの話の流れを加味した上で考えて、他にお心当たりの草薙さんが?」
「あー、いや、その…」

俺の呆けたような答えが気に喰わなかったのか、彩嶺の口にする言葉がどことなく棘を含んでいるような気がする、京都夕暮れ新京極。
まだ知り合って一ヶ月足らずの間柄だが、むしろだからこそなのかもしれないが、彩嶺を怒らせてはいけないと本能が警鐘を鳴らす。
しかしそうかと思えば彩嶺はまた軽やかに視線を逸らし、まるで意図的に感情を隠そうとしているかのような優しい声を出すのであった。

「その、草薙さんで正解ですよ。 我らが第六班の班長さんで、物凄く寝起きが悪くて、それで…いつも相沢さんの事を優しく見守っている人」
「……俺は清水の舞台で奴に物凄い勢いでいじめられた訳だが?」

泣かされた、とまでは言わない。
現状あるかなしかの瀬戸際レベルに陥ってはいるものの、俺にだって一応プライドと云うものはある。
と、そんな俺の情けない思考を読み取っての事だろうか。
白塗りの壁に背中を預けた姿勢のまま、彩嶺はふと零れるような綻びをその表情に浮かばせた。
微笑みと呼ぶには微かに過ぎて、だけど柔らかさは確かに感じられる、本当に仄かな笑顔の欠片。
あまりにも穏やかな表情に心を奪われていた俺は、口を開いた彩嶺の言葉に対してまたしても、反応を大いに遅らせてしまうのだった。

「ゆんちゃんも、いじめられてましたよね」
「へ? あ、ああ…まあ、確かに…」
「草薙さんとゆんちゃん、仲良しですよね」
「……なるほど」

唯と桜が仲良しである事は、何をさておいても否定する事ができない事実である。
そしてその上で、俺は唯とがほぼ同じような事を清水の舞台で桜にやられたと云う事実を組み合わせると、どうなるか。
A = Bであり、A = Cであるならば、B = Cである。
つまり桜にとっては俺も唯も、同じくらいの仲良しさんって事になる訳だな。
この方程式だと。
多分。

「しかしだとしたら、何とも歪んだ愛情表現だとは思わないか? 唯なんか半分以上マジ泣きだったぞ」
「相沢さんもでしたけどね」
「んなっ!?」

内々陣ばかりに気を取られていると思いきや、この小娘!!
貴様見ていたな!

「久し振りですよ。 見ててこっちまで楽しくなってくるくらい仲のいい人たちと、一緒に行動するの」
「見てた…のか?」
「さすがに、参加させてはもらえませんでしたね」

さらりと言い放たれた、彩嶺の一言。
それは、俺が意図していた『見てた』の意味とは全く違う、ニュアンス的にはどこか寂しさを伴った傍観者としての台詞だった。
俺が泣いていた所を見たとか見ないとか、そんな次元の話ではない。
もっと包括的な意味で、もっとずっと切ない意味で、彩嶺は俺たちの事を一歩手前の位置から眺めていた。
眺める事を余儀なくされた人間としての、重すぎる一言だった。
なのに――

「あーあー、私も「ほーらみゃーちゃん落ちちゃうよー」とかやってほしかったなー」
「………」
「寂しかったですよー。 私だけ仲間はずれは悲しいですよー」
「あー……彩嶺?」
「あい?」
「仲間はずれだとか寂しいだとか重い言葉を連発する割に、今のお前、全っ然そんな顔してないんだけど」
「どうも性格的にウソがつけないみたいでして、私」

悪びれもせず「えへへー」と、涼風を纏いながら彩嶺が笑う。
そりゃ本気で「仲間はずれは寂しかった」と告白されても困るのだが、それにしたって素敵な笑顔はあまりにも場違いなんじゃないかと俺は思った。
寂しいと云う言葉が嘘なのか、俺に見せた笑顔が嘘なのか。
疑い始めれば切りがないし疑うこと自体あまりしたくもなかったので、俺は彩嶺の言動に対して裏を勘ぐると云う事を一切やめる事にした。
彩嶺が嘘だと言うのだから、寂しいとか悲しいとかは嘘だったに違いない。
疑いようのない笑顔を見せるくらいだから、それを信じて間違いはないに決まっている。
多分、恐らく、そうだったら良いなとは思うのだけれども。

「少し歩きませんか、相沢さん。 夕暮れの鴨川沿いを、二人きりで」

前の決意から0.5秒で『これは罠に違いない』と彩嶺を疑ってしまった自分は、いっそ五条大橋で弁慶に斬られて死ぬべきなんだと思った。