何処までも青い空と、激しい自己主張を続ける太陽と、短い命の中で己の所業を成そうとする蝉の鳴き声が印象的だった。
 
燦々と降り注ぐ金色の光は、地上に居る自分の移し身、向日葵の花をよりいっそう明るく咲かせていた。
 
埃を押さえる為、涼しさを際立たせる為の打ち水もすぐに蒸発し、その代わりに焼けたアスファルトが言いようのない馨りを残す。
 
野良猫は軒下の日陰で涼み、新聞配達の人は暑い陽射しの中でも爽やかに鼻歌なんかを歌っていた。
 
そう、今日はこんなにもいい天気。
 
今すぐにでもお出かけの準備をして何処かへと出かけたいような、そんな天気。
 
それなのに。
 
それなのに、今日も今日とて学校と言う監獄は若者達の自由を縛りつけようとしていた。
 
それが学生の仕事なのだと言われてしまえばそれだけの事なのかも知れないけれども、それでもやっぱりこんな天気のいい日には。
 
 
 
 
出かけよう。
 
 
 
 
薄い生地のズボンを履き、上に着るのは袖の無い黒シャツ。
 
上に羽織ったのは透けるような白い前空き。
 
胸には白地で描かれた文字。
 
決して大きくは無いけれど、見る者にその存在を主張するには充分な文字。
 
そして、これからも俺があいつに対して抱き続ける言葉。
 
  
今日は平日。
 
学生は学校に行く事を義務付けられている日。
 
 
今日は特別な日。
 
学校なんかは忘却の彼方へと追いやっても良いくらいに大事な用がある日。
 
 
 
 
 
 
暑い暑い、それはとても暑い夏の日のこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   Stand by Me 〜 Another story 〜
 
 
 最終話 『蝉時雨』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あれ? 祐一、まだ着替えてなかったの?」
 
 
珍しく覚醒した状態で食卓に着いている名雪が不思議そうな顔をして尋ねた。
 
既に見慣れてしまった夏服は、それでも名雪の可愛さを三割ぐらい上昇させているような気がした。
 
俺がこの街で通う学校の女子の夏服は、冬服に負けず劣らず県下でも評判が良い。
 
それに比べて男子の夏服は簡単簡素質実剛健、武士は喰わねど高楊枝。
 
最後のは関係無い気もするが、とにかく男子の夏服は冬服のズボンに指定のYシャツを着ているだけの仕様となっている。
 
別に男子にも可愛い制服をよこせと言っている訳ではないが、それでも不平等感があるのは否めなかった。
 
 
そんな俺の思考にはまったく気付かず、名雪は依然として不思議顔で首を傾げていたりした。
 
つられる様にしてあゆも真琴も興味深そうに俺を見ている。
 
それも至極当然のこと。
 
普段の俺ならば朝食の席に着く時は既に制服に着替えているはずなのだから。
 
寝ぼすけな名雪は別として、朝はたいてい余裕をもって起きている俺には少々稀有な状況。
 
だが、今日だけはこれで良かった。
 
制服とは学校に着ていく為の物。
 
したがって今日の俺に、制服を着る必要は無い。
 
 
「今日は俺、学校には行かないから」
 
「えっ? 祐一、何処か身体の具合でも悪いの?」
 
 
今度は一転して心配そうな顔をしてくれる名雪。
 
俺の身体を気遣ってくれるのは嬉しいが、残念ながら俺は健康優良児だ。
 
学校に行かないのには、他の理由がある。
 
 
「祐一君、サボリはいけないよ?」
 
 
箸を口に咥えた状態であゆ。
 
まぁ、なんと言うか……流石だと思った。
 
俺がこれから成さんとしている事をしっかりと理解しているようだ。
 
そう、あゆの推測通り、俺は今日学校をサボる。
 
サボタージュ。
 
ポタージュに響きが似ているなんて云うのはまったく持って関係が無い事だった。
 
 
「ご馳走様でした」
 
「はい、お粗末さまでした」
 
「あっ、ねぇ祐一。 本当にどうしたの?」
 
 
一足先に食卓を立った俺の背中にかけられる声。
 
どうやら名雪は未だ納得していないらしかった。
 
納得の行く説明をした覚えも無いんだが。
 
 
「ま、大体はあゆが言った通りだな。 今日は学校をサボる」
 
「えー、ダメだよそんなの。 祐一だって一応は受験生なんだよ?」
 
 
『一応』は余計だと思った。
 
名雪の言う事はいちいちなるほどごもっともなのだが、それでも今日は譲れない用事がある。
 
それは学校なんかよりも大切で、勉強如きじゃ阻めない事。
 
別に学校自体を軽視している訳じゃない。
 
学校に行って、この街で出来た友人達と楽しく過ごす時間は俺にとって掛け替えの無い物だと思っている。
 
本当にそう思っている。
 
でも、今日だけは―――
 
 
「じゃ、そう云う事で」
 
「あっ、ちょ、ちょっと待ってよー」
 
 
ぱたぱたと俺の後をついてくる名雪。
 
その顔にはしっかりと『不満です』と書いてあった。
 
そりゃ俺だって北川が理由も無く学校をサボっていればその後ろ頭を引っぱたくだろうが。
 
 
「ねーねー、学校サボって何処行くの?」
 
 
そう聞いてくるのは真琴。
 
なんて言うか、ついて来る気たっぷりって感じだった。
 
きっと真琴の頭の中では学校をサボる事と何か楽しい事をするってのは等式で結ばれているんだろう。
 
でも、残念ながら真琴。
 
お前の事は連れていけない。
 
お前だけじゃなく、この街の誰をも俺は連れていけない。
 
だってこれから俺が行くのは―――
 
  
「………」
 
「祐一? どったの?」
 
「……でーと」
 
「え?」
 
「デートだよデート。 俺がこれから行くのはデートなの。 お邪魔虫は要らないからな。 そんじゃっ」
 
 
しゅたっと右手を上げて玄関を後にする。
 
爽やか青年、ユウイチ・アイザワ。
 
半ば逃げるように外に出た瞬間、真っ白な陽射しが網膜を刺激した。
 
思わず額に手をかざして、口の中でだけ小さく呟く。
 
いい天気だ、と。
 
そしてそのままポケットに手を突っ込み、俺はゆっくりと歩き出した。
 
急ぐ必要は何処にも無い。
 
通学路には疎らながらにも制服姿の学生の姿が見て取れた。
 
ちょっとした優越感に思わず顔がにやけてしまう。
 
こんなにも天気がいいこの夏の日を、彼らは窮屈な服に身を包み、四角い部屋の中で、退屈な話しを聞きながら過ごすのだろう、と。
 
 
 
『ええええぇぇぇぇ―――――――っ?』
 
 
祐一が家を出てからたっぷり五分後、水瀬家は三人の少女の悲鳴ともつかない大声によって局地的に揺れた。
 
いくらショックだったからと言って、五分間の硬直は長いと思うのだが。
 
だがそれすらも彼女達の思いの強さ故だと思えば納得のいくものだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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電車は走る。
 
近くの物を線に変え、遠くの物を移動させながら。
 
冬の間白かった山は、今ではその面影すら見せない程の木々を生い茂らせている。
 
悠然とした風体でそこに居続ける山と、眼前を流れていく様々な建築物とのコントラストが俺の心を魅了した。
 
流れていくもの。
 
変わらないもの。
 
絶対だと思っていたものほど脆く、変わらないと思っていたものほど移ろいを見せる世界の条理。
 
盛者必衰 色即是空。
 
誰も居ない車内で俺は窓を全開にする。
 
クーラーの付いてない、熱い空気が篭った車内に青い風が入り込んだ。
 
頬をなで、髪を巻き上げ、それほど強くない風は俺の気持ちをさらに上機嫌にさせた。
 
 
相当に遠くの街へ行くはずなのに、俺が選んだのは各駅停車の鈍行列車だった。
 
理由は一つ。
 
ゆっくり行こう。
 
一つ一つ区切られていく街並みをぼんやりと眺めて過ごすのも、また夏に相応しいじゃないか。
 
見慣れていたものが消えうせ、また新たな物が顔を覗かせる。
 
そんな移り変わりを、ただぼんやりと。
 
 
だんだんと現れる見た事の無い街並み。
 
その中では、今此処に居る俺は行きずりの傍観者に過ぎなかった。
 
街に息衝く人々の生活は、形すら無いものの確かにそこに在る。
 
在り続ける。
 
いままでも、これからも、いつまでも。
 
千差万別 十人十色。
 
誰もがその中に居る事に気付かず、ただそこに居る事を当たり前の事として過ごしている。
 
気付く事が出来ない、それが本当の幸せ。
 
打ち水、風鈴、朝顔、ヘチマ。
 
井戸端会議と笑い声。
 
あぁ、今日は本当にいい天気だ。
 
 
電車を一つ、乗り継いで。
 
ごとんごとんと揺られつつ。
 
夢見心地で数時間。
 
途中で新幹線に乗り換え、それからさらに数時間。
 
いいかげん座ったままの姿勢に飽きてきた頃、車内アナウンスが俺の目的地の名前を告げた。
 
忘れていた訳じゃないけど、自分の口以外からその地名が告げられることに少し戸惑いを覚えた。
 
 
駅のホームには、これでもかって位の人、人、人。
 
それぞれがそれぞれの思いを持って歩いているのだろう。
 
そして俺もその中の一人。
 
学校よりも何よりも、今日のこの日に逢うべき人に。
 
 
てくてくと懐かしい街並みを歩く。
 
過ごした時間が長い所為か、雪の街よりも歩きやすかった。
 
大きな通りから裏路地まで。
 
変わっていく物が多いのに、特にこんな都会と呼んでも差し支えが無いような街では変貌が激しいはずなのに。
 
何も変わらない街並みはまるで俺を迎えるかのように其処に在り続けた。
 
思い出される『あの頃』
 
あの店も、あの通りも、この街角も。
 
全部が全部、変わらない。
 
あいつと歩いた頃のままだ。
 
 
それからさらに歩く。
 
人通りの多い場所からどんどん離れる。
 
さすがに雪の街よりも南に位置するだけあって、気温は若干こちらの方が高かった。
 
じっとしているだけで額に汗が滲んでくるような気温の中。
 
それでも俺は歩みを止めなかった。
 
じりじりと肌を焼くこの陽射しすらも、懐かしく思えるから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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「到着っと」
 
 
数十分後、誰に言うでも無く俺は呟いた。
 
欝蒼と生い茂る木々の濃い影が幾分か回りの気温を下げているその場所に。
 
右手には花束、左手にはあいつの大好物を持って。
 
まさしくそれはデートの為に。
 
花束に選んだのは、白く可憐な霞草。
 
真っ赤な薔薇の花束よりも、小さなあいつによく似合う。
 
風に揺れるは白い花。
 
さて、喜んでくれるかな?
 
 
太陽は既に真上に指しかかろうとしている。
 
向こうの街を出てから悠に五時間は経過しているだろう。
 
だが待ち合わせの時間なんて、そんな物は別に決まっていなかった。
 
決める必要もなかった。
 
だって―――
 
 
「おまたせ」
 
 
敷き詰められた玉石が足元でちゃりっと音を立てる。
 
車の音も、街の喧騒も、此処までは聞こえてこない。
 
目を閉じれば、世界は此処にしかなかった。
 
閉じられた世界に居るのは俺とこいつだけ。
 
時折吹く風と、降りそそぐ蝉時雨だけが俺達を迎えてくれた。
 
それはまるで、二人の再会を祝福するためのライスシャワーのように。
 
 
「いやー、今日も暑いなぁ」
 
 
軽く笑いながら、俺はその場に腰を降ろす。
 
待たせていたそいつに背中を向けるようにしながら。
 
火照った身体に、冷たい石の感触が心地よかった。
 
 
「ほら、プレゼントだぞ。 花束と……」
 
 
焦らすように後ろ手にしていた左手を差し出す。
 
その手の中には、普通の缶ジュースよりも小さ目の缶。
 
ラベルにはこう書かれていた。
 
『プリンシェイク』、と。
 
 
「お前これが好きだったもんなぁ。 探すのに苦労したんだぞ? これが入ってる自販機ってあまり多くないし」
 
 
二、三回振ってからプルタブを開ける。
 
そしてそれを目の前に置いてやった。
 
もう、こいつは自分では開けれられないから。
 
 
「今日なぁ、学校サボったんだぞ。 お前の為に、だ。 一日中付き合ってもらうから、覚悟しろよ」
 
 
背中にある冷たい感触に向けて話す。
 
声は返ってこない。
 
それでも俺は話し続けた。
 
四角く、冷たい石の塊に向かって。
 
『観空家之墓』と記されている四角い石に向かって。
 
 
「お前が居なくなってから……今日で三年目か………」
 
「引っ越してったあっちの街でさ、色々あったんだぜ」
 
「この一年、特に冬の間はいろんな事があった」
 
「ぜーんぶお前に話す」
 
「俺が見たもの、聞いたもの、感じた事、一つ残さず話すからな」
 
「長くなるぞ、徹夜を覚悟して置けよ」
 
「それと、さ……」
 
「俺はっ……向こうの街で楽しくやってる」
 
「毎日がバカみたいに楽しいんだ」
 
「友達が居る」
 
「凄いだろ、誉めろ」
 
「お前にいっつも怒られてた事、やっと出来るようになった」
 
「朝も、昼も、夜も。 多分、向こうの街の俺はいつでも笑顔だ」
 
「でもな……」
 
「そんな生活の中でもっ、俺はお前の事を、この街の事を忘れてないからな」
 
「これは結構すごい事だぞ? 誇りに思え」
 
「もしな? ……もし、彼女が出来たとしても、俺は真っ先にお前に報告に来るから」
 
「俺の中で、お前はずっと生きているから」
  
「笑顔も、泣き顔も、色褪せずに残ってるからっ……」
 
「だからさ……」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
蝉時雨 蝉時雨
 
じーじーと みんみんと
 
ふりそそぐ ふりそそぐ
 
二人の為に降りそそぐ
 
たとえばそれが傷ついた 悲しい一人芝居でも
 
祝福の鐘の音のように
 
 
じーじーと みんみんと
 
ふりそそぐ ふりそそぐ
 
二人の為に降りそそぐ
 
たとえばそれがありえない 痛みを伴う会話でも
 
一人の男と一つの墓に
 
 
夢か現か幻か
 
男は笑う 心から
 
聞こえない声を聞きながら
 
見えない姿を見続けて
 
少女の『形』は今は無い
 
それでも少女はそこに居る
 
少女は確かにそこに居る
 
わすれられない わすれない
 
忘れなければ消え逝かない
 
いつも いつでも いつまでも
 
わすれられない わすれない
 
ずっと ずっと 忘れない
 
貴女が居た事 忘れない
 
 
じーじーと みんみんと
 
ふりそそぐ ふりそそぐ
 
二人の為に降りそそぐ
 
祝福の鐘は降りそそぐ
 
 
蝉時雨 蝉時雨
 
命の尽きるその間際
 
一際大きく鳴きましょう
 
力の限りに鳴きましょう
 
さすればあなたは生きていた
 
誰かの心に生きていた
 
心に残って 息衝いて
 
ほんの小さな欠片でも
 
あなたは確かに生きていた
 
 
さあ泣きましょう 鳴きましょう
 
大きな声で鳴きましょう
 
瘠せても涸れても生きていく
 
あなたが生きた その証
 
あなたがくれた その全て
 
私が背負っていきましょう
 
あなたと共に行きましょう
 
ずっとずっと生きましょう
 
ずっと一緒に生きましょう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
青い青い、雲ひとつ無い空を仰ぐ。
 
太陽はやはり激しく自己主張を続け、向日葵はその太陽を生涯の伴侶とすべく首を伸ばしていた。
 
打ち水は埃を抑え、時折吹く風は風鈴を揺らし、蝉が何時までも鳴き続けていた。
 
鳴り止む事無く、何時までも何時までも鳴き続けていた。
 
暑い暑い、それはとても暑い日のこと。
 
 
黒地に映える、白い文字。
 
決して大きくは無いけれど、それでも見る者にはその存在を主張できるほどの文字。
 
そして、俺が唯に対してずっと抱き続ける言葉。
 
観空唯という少女に対して、ずっと抱き続ける言葉。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                 
「ずっと、一緒に居ような、唯」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Stand by Me 〜 Another story 〜  終幕
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作者より