「はぁ……はぁ……」

荒ぐ息を抑え、エマは十二分に涙を湛えた瞳で眼前の男を睨みつけた。
まだ半分夢の中に居るかのような面持ちで、ぼんやりと自分の事を見る男の顔を。

長い前髪。
鋭い目付き。
細い輪郭。
どれを取っても、恐らく世間一般的な男性よりは格好良いであろう。
だが、今現在においてはそんな事どうだって良かった。

「ま、不味いってどーゆー意味ですかぁ!」

いや、違うだろう。

「どーゆー意味って、不味いものは不味いんだからしょうがない」

人の血を勝手に吸っておきながら、事もあろうに不味いとはどういう言い分だろうか。
まだ熱い身体を抑え、エマはぷりぷりしながらそんな事を思った。
自慢じゃないが好き嫌いはあんまりしない方だし、夜更かしだってした事が無い。
健康にも……そりゃ運動は苦手だけれども、健康には気をつけている。
それにその……えっと……だから……

「キミ、処女だろ」

ぅぼっと音を出しながら、少佐専用機体並に真っ赤になるエマ。
ぱくぱくと口を開きながら、しかしその言葉が声になる事は無かった。
その様子を冷ややかに見ながら、男―――相沢祐一は今だ舌に残る味を苦々しく思い、更に言葉を続ける。

「普通の吸血鬼は処女の血が好きらしいんだが、どうも俺はヒネクレ者らしくてな。 処女の血が苦手なんだ」

そう、何故かは知らないが、祐一は処女の血が嫌いだった。
無論栄養自体に問題がある訳ではなく、それどころか血から得る『力』と言う意味では処女の血こそが吸血鬼に最適なのである。
それは好きとかきらいの感情論でどうこうされる問題でもなく、例外も無い。
にも関わらず、やっぱり祐一は処女の血が嫌いだった。
そもそも栄養があるから好き嫌いをしちゃいけませんって言うのは、小さな子供にピーマンを食べさせようとする親の言う事とまったく変わらない。
嫌いなものは嫌いなんだ、文句あるか。

「ま、何はともあれキミのおかげで助かった。 感謝はしてるよ」
「い、いえ、こちらこそ」

祐一の示した感謝に対し、慌てて自分もぺこりと頭を下げるエマ。
ちなみに、何に向かって『こちらこそ』なのかは謎である。
謎ではあるが、取り敢えず頭を下げられっぱなしと言うのは何となく悪い気がしたのだ。
ここら辺は、名門・ウィルヘルミナ家の教育の賜物だろう。
何処か使い所がずれていると言うのは、この際気にしないで置く。

「流石は処女の生き血だ。 僅かに数回啜っただけで力が漲る」
「………い……き…血?」

『生き血』
その単語を切欠として、半ば以上ショートしていたエマの思考回路に火が灯った。
自分の身に起った事。
目の前の男の人が喋った事。
自分がはるばる日本までやって来た事の意味。
全てが判り易過ぎるほど安直な形をしたパズルのピースだった。
一寸の隙も無く全てのキーワードは直列に繋がり、一つの答えを燦然と照らし出す。
最後のピースは、祐一の口元から流れる一筋の血液。

目の前の男の人は、吸血鬼だ。