「ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
「エマ、喧しい」
「だだだって、わ、私が日本に、えぇ?」
「落ち着いて話を聴け。 まだ終わってないんだ」

何時の間にかまた『おじさん』と『エマ』の関係に戻ってしまっているが、そんな事はこの際どうでも良かった。
『何で私が』
呼び出された時にも思っていたこの疑問が、再度頭に浮上してくる。
あたふたと混乱するエマを見て、ブラムは小さくため息をついた。

「何もお前に吸血鬼と戦えなんて言っている訳じゃない。 第一、俺はお前をそんな危険な目には遭わせたくないからな」

その言葉を聞いて、エマの顔が安堵に緩んだ。
無理も無い。
祈りに力があろうが、神を何よりも崇拝していようが、何時の間にか中年の使徒以上の経験を積んでいようが、エマは所詮13歳の小娘なのである。
異形の者だの吸血鬼だの言われて、不安にならない訳が無い。
ならなかったらむしろそっちの方がおっかない。
勿論ブラムだってそれは十分に承知していた。

「お前に頼みたいのは、言わば現状視察だ」
「げんじょうしさつ……ですか?」
「キリスト教の天敵とも言える吸血鬼の存在に対し、第二バチカン公会議は次のような決定を下した。
 『日本に人員を、特に信仰の厚い信徒を相当数派遣し、その実態を調査せよ』とな」
「それに……私が?」
「俺は正直複雑な気分だよ。 お前が認められたのを喜べば良いのか、日本に行かせたくないと悲しむべきか」

選ばれた。
そう、私は選ばれたんだ。
繰り返し胸に響くその言葉に。
エマの心に、小さな炎が灯った。
それはとても頼り無くゆらゆらと揺れているものだったが、それでも確かに灯ったのだった。
小さい頃からずっと神を信じて生きてきた。
辛い時も、苦しい時も。
何時でも神様は自分を見守っていて下さっているのだと。
そう信じて生きてきた。

「だけどな、人生において一番大切なものは経験値だと俺は思っている」

神は絶対である。
神はいと高き者である。
神は、少なくとも今の時点では私の全てである。

「学校の方は大丈夫だ。 何しろ公会議の決定事項だからな」

その神に仇成す者がいると言う。
そして、自分がそれを除去する事に一役買えるのだと言う。
神の僕にとって、これほどの幸福があろうか。
私は今、神に必要とされているんだ。

「おじさんっ」
「うおっ! どうしたエマ?」
「わ、わ、私っ! やりますっ! 行きますっ!」

ニヤリ。
エマには見えない角度で、ブラムが笑った。
どう見ても『にっこり』ではない。
そんな優しい類の笑みではない。
軍師が計略を成功させた時のような、愉悦に満ちた笑み。
擬音化すればやはり、その笑みは『ニヤリ』だった。

「あー、だがアレだぞ? 遊びに行く訳じゃないんだぞ?」
「おじさん。 私が遊びに行くとでも思ってるんですか?」

思わない。
少なくともエマに限っては、絶対に。
神学校を放棄する覚悟をしてまでの『日本行き』
それを承諾したと言う事は、エマにとって『それ』が学校よりも大事な事だと認識されたからだろう。
『優等生』と言う代名詞に銀髪のカツラを被せて、目鼻を描いたらハイ出来あがりの様な『あの』エマがである。
その決心の程は、恐らく鉄よりも硬い事だろう。
けど、だからこそブラムは心配だった。

「お前は優等生のくせに猪突猛進な部分がある。 一つを心に決めると他の事が見えなくなるからな」
「ぅ」

自分でも薄々は気付いているのだろう、エマは図星を指されたと言った感じで小さくうめいた。
でも、それしきの事で決心は揺るがない。
揺るぐものか。

「大丈夫ですっ。 ちゃんと、ちゃんとやりますからっ」

叩かれただけ堅くなる鉄。
そういう所が心配の種だと言うのに、エマはまるっきり判っていないのではないか。
あまりに『らしい』反応の返し方に、ブラムは暫しこめかみを押さえて考えこんだ。
それを見て、やはり自分に問題が有るのだと思いこんだエマは、必死に「行きます行きます」を繰り返しながらブラムの司祭服を掴んで離そうとしなかった。
伸びるから止めれ。

「わーかった判った。 お前に任せるから」
「あ…はいっ」

現金なものである。
申し出が承認された途端、ぱぁっと輝く笑顔でブラムを見詰めるエマ。
握られていた司祭服の裾は、やはり伸びてしまっていた。

「おじさん大好きっ」
「知ってるよ」

おざなりな返事ながらも、まんざらでもない様子でエマの頭を撫でるブラム。
ごろごろとネコの様にブラムの胸(と言うよりは腹に近い)に顔を埋めるエマ。
無人の礼拝堂でのスキャンダラスな光景を誰も見咎める人が居なかったのは、やはり神の御加護が有ったからなのだろうか。
それは誰にも判らない。

何はともあれ、ここに第二バチカン公会議公認特務省従属異国特殊現状視察官日本本部管轄下北日本支部華音市専属諜報員、エマ=ウィルヘルミナ=雪華が誕生した。