日本。
有史以来、ただの一度も他国からの直接統治による植民地支配を受けなかった誇り高き国。
四季の移り変わりに寄る情緒的美意識は世界的にも有名であり、こと精神論的意味合いにおいてはその美意識は何処の国にも負けない。
『わび』を尊び、『さび』を愛しむ。
戦技法にも『道』を見出す。
フジヤマ、ゲイシャ、ハラキリ。
とかく日本はそんな国だった。

そんな日本の東北地方のとある街。
地方政令都市に選ばれる訳でもなく、県庁所在地に選ばれる訳でもなく。
ひたすらにこじんまりとした佇まいを見せる人口十万前後の小さな市。
それが華音(はなおと)市だった。
晩秋には雪が降り、冬には雪が降り、初春にも雪が降る。
『あらやだこの街の名産品はひょっとしたら雪なんじゃないかしら』と、誰もが疑うような気候条件の下にこの街は在った。
地球温暖化と言うのは何処の星の話だか、一遍聞かせてくれないかマイハニー。
気温が0.1℃でも下がる度、同居人である水瀬名雪に自称変温動物である相沢祐一はこの街の気候分布帯が寒帯だと言っては困らせてばかりいた。
だがしかし、変温動物であるからには死の危険性も含んでいるであろう彼が、この一年の2/3を冬と共に過ごすような街に済んでいるのには勿論理由があった。
それも、それこそ生死に関わるような理由が。

完結に言おう。
相沢祐一は吸血鬼だった。
だからどうしたと言われればそれまでだが、とにかく吸血鬼なのであった。
それによって何か得をした事があるかと訊かれると、涙ながらに『生まれて此の方ひとっつも』と答えるしかないのが現状ではあるのだが。
祐一は、生まれてから僅か十八年の世間一般的な吸血鬼からすると『赤ん坊吸血鬼』なのだが、その不利益はイヤと言うほど被っていた。
(世間一般的な吸血鬼とはどんな奴だとか言う質問はこの際無視する事にする)

まず、お約束ではあるが十字架が苦手だった。
苦手って言うか、もう祐一にとっては凶器の域に達する。
見てると気分が悪くなるし、触ったりすれば触れたその場所が焼け爛れる。
しかも、普通の火傷なら瞬時に回復するはずの吸血鬼の再生能力すらその効力を失うと来たもんだ。
前にうっかり十字架をあしらったアクセ(しかもシルバーアクセだった)に触った時などは、三日三晩焼け爛れ続けた。
恐るべし、十字架と銀の相乗効果。

そう、銀も吸血鬼が畏れるべき物体の一つだった。
こっちは高価な為、そうそうお目に掛かる機械は少ない。
その代わり、効果は絶大。
純銀なら触るだけで十字架と同様、触れた個所が焼け爛れる。
しかもなかなか治らない。
だが、以前に理科の授業で試しに触ってみた硝酸銀水溶液では大丈夫だった。
何処ら辺にボーダーがあるのか一度本気で調べてみる必要がありそうだと、当時の祐一はそう思った。

後、水もダメだった。
水道水はおろか、川の水や雨までもがダメ。
触れれば焼け爛れるのだ。
水に触れると焼け爛れるってのは一体どう言う原理の上に成り立っているのだろうか。
化学を学んだ中学生当時の祐一はやはり本気で考え込んだ。
結論、『なるものはなる』
そもそもが吸血鬼と言う自分の存在事態が自然の摂理から外れているのだ。
今更その身体に起こる不可思議現象の事を言っても始まらない。
その時、某中学校では諦観と達観を足して二で割ったような目をした祐一が見かけられたと言う事だった。

上記の事から判る様に、現在相沢祐一は人間社会に溶け込んで生活している。
住民票だってちゃんとあるし、職業欄には高校生って書く事も出来る。
深夜のバイトはちょっぴり不良のカテゴリに入るが、問題なし。
自称ニンニクアレルギーだって、普通の人間にも多々ある事だ。
問題はない。
 
たった二つだけの事を除けば。

一つ、強い太陽の光を浴びれない。
一つ、血を吸わないと生命を維持できない。
 
たった二つだけで、しかしその二つだけで祐一は様々な苦労を強いられていた。
冬の間の微弱な太陽ならば耐えられるが、夏の直射日光は比喩表現無しで死ぬ。
って言うか灰になる。
勘弁してくれ、俺はまだ『消滅』したくない。
とは言うものの、完全純血の吸血鬼は夏だろうが冬だろうが直射日光の下に出れば『消滅』するらしい。
その点から言えば祐一はまだマシなのだろうが、学校に通う身としては非常に困るのだった。
採っている手段としては、夏は家で一生懸命勉強して不登校ながらもテストで満点を取るという、前向きなんだか後ろ向きなんだか判らない作戦だけ。
いい加減NASA辺りで完全日光遮断スーツでも作ってくれないだろうか。
いや、実際に作られても困るんだが。
吸血鬼の致命点とも言う意味での『日光』は、紫外線でも赤外線でも光の粒子と言う意味でもない。
漠然と『日光』なのだ。
故に、防ぎようがない。
ああもう厄介だ。
 
そしてもう一つ。
血を吸わないと生命を維持できない。
伝承に拠れば血からしか人間の生気を吸い取れない吸血鬼は下等なのだそうだが、勿論そんな事どうだって良い。
問題は、人間の血液が『普通の高校生』として生きている祐一にとって非常に入手困難だと言う事だった。
病院や血液センターだって、まさか一介の高校生に血液は提供してくれない。
輸血用の血液を手に入れるには、それなりの審査と理由が必要なはず。
そして、祐一には合法的に血液を手に入れるに値するほどの身体的疾患は見当たらないのだった。
と、なればどうするか。
ここで普通の吸血鬼なら(って言うか普通の吸血鬼なら始から迷わず)通りすがりの人間の首筋に噛り付くのだろう。
吸血鬼の『能力』を使えば、被害者の記憶から『血を吸われた』と言う事柄を完全に消し去る事も可能なのだから。
だが、祐一は違った。
だって『普通の高校生』はそんな事しない。
じゃあどうするか。
平常時は錠剤の『Fe』とか『Na』を自分で調合してフルボディの赤ワインにぶち込み、『血っぽい飲み物』を造って飲んでいる。
でも、死ぬほどマズイし、なにより所詮まがい物なので身体が満足しない。
本当に差し迫った時などは、『能力』を使って病院に忍び込み、輸血パックを二箱ほど失敬してくるしかないのだ。
それだって『生き血』とは似て非なるものなので、当然身体は満足しないのだが。
まったく、献血センターはあるのに輸血センターが無いとはどういう事だ。
祐一は商店街で『今AB型が不足しています!』とか言う看板を見る度に、さもいまいましげに呟くものだった。
AB型どころか、全ての血液型が慢性的に不足してるっつーの。

そんなこんなで、とにかく相沢祐一は吸血鬼なのであった。