それは、まだ俺が高校生だった頃のこと。
鬱屈した実家の空気を疎んじた俺が半寮制の高校に進学し、流れるように一年半の月日が経ったある夏の日のことだった。
一年生の時の盆は、実家から解放された喜びで終始遊び呆けていた。
その年の暮れ正月も、二年越しの飲み会やら元朝参りやらでグダグダと過ごした。
元々が逃げるようにして出てきた実家であるだけに望郷の念など些かも抱かず、気がつけば半ば勘当状態となっていた高校二年の夏休み。
唐突に、それは訪れた。

夏休みで生徒が帰省する時期に合わせ、老朽化した寮の一大改築を行う。
その間、寮への立ち入りを禁ず。
寮生にとっては天変地異にも匹敵する大事件が知らされたのは、なんと立ち退き期限である夏休み初日を三日後に控えた日の事だった。
『綺麗な寮に住まわせてやろうと言うのだ。 三日の猶予をやるから四の五の言わず、荷物を全て纏めて速やかに出て行け』との、何とも優しい学園側の配慮。
あまりに優しすぎるその心意気に感動した一部のワケアリ入寮生が、暴動寸前にまで昂ぶった挙句に学長室にまで直訴に赴いたのはここだけの秘密である。
大半の生徒は『盆に帰省する予定が少し早まった』程度で済むのだが、実家との確執がある俺の場合は複雑なものがある。
これが迎えから送り盆までの三日程度なら浮浪者の真似事をしながらでも乗り切れるのだが、一ヶ月近い期間となると流石に厳しいと言わざるをえなかった。
何しろ当時の俺ときたら、適当な宿に泊まる余裕はおろか、一ヶ月間の食料を自前で調達する金銭すら持っていないと云う貧困の有様である。
せめて一ヶ月くらい前に告知してくれていたのなら住み込みのバイトを探す余裕もあったのだが、三日間の猶予ではヤケクソになって遊び呆けるぐらいしかやる事がなかった。

実家に帰りたくはない。
帰りたくはないが、帰らなくては飢えて死んでしまう。
全てを忘れる勢いで遊びながらも、忘れられない現実に直面しては頭を抱えること三日間。
事ここに至り、齢十と六を数えた俺はついに、『背に腹はかえられぬ』の意味を身をもって悟る事となったのだった。
弁解の余地なんか欠片も無いくらい『困ったから家に縋りつく』だなんて構図である事が、まったくもって忌々しい。
しかし腹立たしいのと腹が減るのを比べた場合、一個の人間として耐え難いのは圧倒的に後者であった。
人はパンのみに生きるに非ず。
されどパンによりて命を繋ぐ。
どこかの誰かが口にした至言を自分の物へと転換し、俺はようやく実家へと帰省する覚悟を決めたのであった。