後で知った事なのだが、その日、妹は物忌みの最中であったらしい。
神道も仏教も山岳信仰も綯い交ぜになっている地域ではあったが、まさか陰陽道にまで手を出しているとは知らなかった。
もとい、知ろうともしなかったが故に家を飛び出すような羽目になったのだが、それはまた別の話。
兎も角、次期当主が物忌みの最中であった事に起因する我が家の警戒態勢は、それはもう凄まじいものだった。
恐らくは地域全体にお触れのような物が出されていたのだろう、実家の周囲に近付けば近付くほど人の気配が少なくなっていく。
人の流れに逆らうように実家への道を歩む俺に、後ろ指すら突き刺さる。
夕暮れ過ぎに門扉の前に辿り着いた頃には、辺りに猫の仔一匹すらいないような状況だった。
恐るべし、田舎の信仰心。

「次期御当主様が物忌みの最中につき、何者も屋敷の中へ通すなとの厳命を受けております。 どうぞお引取り下さい」
「……はぁ、そですか」

問答無用の撤退命令。
家屋へと続く飛び石を前にして所在無く立ち尽くす、まるっきり不審者扱いのこの家の長男。
正門の前で直立不動の姿勢をとっている護衛手を見た時から嫌な予感がしていたのだが、まさかこうまで的中するだなんて思ってもみなかった。
篝火(かがりび)の向こうに見える、一年半ぶりの実家。
歩み出そうとすればしかし、屈強な門番がそれの邪魔をする。
なるほど『門前払い』とはよく言ったものだと、俺は心の中で昔の人に小さな拍手をした。

「あー、仕事熱心なのは判りました。 けど、俺は一応この家の者なんで」
「何者も通すなと、言われております」

まるで取り合おうとしない門番の態度に、物凄い勢いでカチンときた。

「お前じゃ話にならん。 庭番筆頭の樫木か親父を呼べ」
「その必要はありません。 何者も通すなと、言われております」
「やかましい。 必要か否かの判断は門番としての裁量を超えている。 いいから黙って上の人間を呼べ」
「必要ございません」
「貴様、俺を誰だと――」

声を荒げようとした瞬間、俺はその違和感に気付いた。
不自然なまでに繰り返される、まるで呪詛の様な門番の言葉。
何者も、通すなと、言われている。
上申仕(つかまつ)る必要も無いと、一介の門番ですら判断できる。
つまり、それは――

「――そうか。 俺が誰だかを知っていても……いや、知っているからこその、その言葉か」
「はい。 ”何者も”通すなと、そう言われております」

嫡男であろうと。
実の息子だろうと。
寮を追い出されて夜露を凌ぐ場所すらなく、一年半ぶりの帰郷を果たした子供であろうと。
何者も通すな。
門前にて叩き返せ。
どこからどんな経緯で伝わったのかは判らないが、俺が帰省すると云う情報を仕入れた時点であの親父は、屋敷を守る人間全員に対して次のような命令を出したらしかった。
それは即ち、『落ち零れて家を飛び出した出来損ないのろくでなしが間抜け面を下げてのこのこと帰ってくるから、絶対に屋敷内に入れるな』、と云う不愉快極まりない命令を。
この地域における親父の、この家の権限は絶対である。
逆らえば村八分では済まない。
生活そのものが頓挫する。
例えそれがどのような命令であっても、高々一介の門兵如きが逆らえる訳など、絶対にないのである。

「……済まなかった、非礼を詫びる。 そのまま優秀な門番として、任務を続行してくれ」
「……申し訳ございません」

微かに聞こえた声。
強大な力に屈しながら理不尽なる任務に就き、それでもぎりぎりの所で己を捨ててはいない人間の言葉。
俺と云う人間が立たされている微妙な位置を慮った、精一杯の慈しみ。
親父に対する怒りと共に、僅かながらの勇気を貰った気がした。