エディプスコンプレックス、と云う言葉がある。
フロイトによる定義を物凄く簡単に要約すると、『母親に対する近親相姦的欲望と、それを阻害する父親に対する反抗心』と云う感じになる。
では、今の俺が抱いているこの感情が果たしてそうなのだろうか。
沸々と煮え滾るこの強い怒り。
言動のみならず声音にまで及ぶ、驚くほど根の深い嫌悪。
存在そのものまで否定したがるこの好戦的な物思いすら、母親を求めるが故に父親を排除せしめんとする、エディプスコンプレックスのなせる業なのだろうか。
実家の敷地を囲う白塗りの高い塀を眺めながら、俺は腕組みをして数秒ほど考えた。

「……やっぱ違うな、どう考えても」

俺の人格形成における重要期に母親の愛情が希薄であった事は、認めよう。
本質的な部分で愛情に飢えていると心理学的に判断されたとしても、それはそれで否定はしないだろう。
だが、今この場における圧倒的な怒りの感情の説明に母親の存在を持ち出して説明する事だけは、決して許容しない。
もっと純然たる『親父の仕打ちへの不快感』から俺は怒っているのだし、だからこそ今の俺はこうして取るべき行動を模索しているのであった。

良く思われていないのは知っていた。
どちらかと言えば疎まれているとも自覚していた。
だが、他人を介在させてまで実家から締め出されようとは、流石の俺ですら予測していなかった。

物忌みの最中であるからしょうがなく、本意ではないが致し方なく実家に入れる事ができないと云うのであれば。
仮の宿を手配してくれとまでは望まない。
握り飯の一つでもよこせ、とも言わない。
だがせめてその旨を伝える事だけは、親父本人が出てきて「之々こう云う事だから」と説明するのが物事の道理ではないかと俺は思った。
物忌みの最中であるのは妹だけのはず。
であるならば、親父が誰と対面しようと何の問題もないはず。
それをしないと云う事はつまり、親父にとっては妹の物忌みこそが、俺を排除する絶好の口実であったと云う事になる。
いや。
『俺に対する親父の思考』と云う要素を取り入れ、もっと穿った見方をすればそれは――

物忌みだから、俺を屋敷内に入れなかったのではない。
俺を屋敷内に入れたくなかったからこそ、今日を物忌みの日に仕立て上げたのではないか。
憶測ではなく、確信に値する。
全くもって忌々しいが、それこそがまさに俺と親父の血の繋がりであった。

「……上っ等だよクソ親父! そっちがその気なら、お望み通り『忌人』になってやろうじゃねえか!」

ぶち切れた。
のどかな田舎で育ったが故の温厚な気性を持つ(自称)俺だが、今回ばかりは盛大にぶち切れた。
元来た道を猛然と駆け戻り、地元民お達しの山口ショッピングセンターで大量のロケット花火とドラゴン(30円の噴出型設置花火)と煙玉と爆竹を買い込む。
怪訝な目で見られている事を百も承知で、ついでにチャッカマンも買う。
ここで松の焚き木も買っておけば「ああ、松明しの準備なのね」ぐらいに思われたのだろうが、残念ながら今の俺にはそんな配慮をする金と理性は残っていなかった。
安っぽいビニール袋をガサガサと鳴らしながら、汗だくになって屋敷近くの寄生木(やどりぎ)公園に到着する。
何食わぬ顔をしながら木製のベンチに胡坐をかき、俺は今夜決行予定である『物忌みぶち壊し大作戦』の計画を練りはじめた。
アレをこうして、コレをぶち込んで、こっちとこっちを繋ぎ合わせて、ここでガツンと俺参上。
怒りや反抗心から行動を起こしたはずなのに、何故だか今はワクワクしている。
悪戯の算段を練っていた洟垂れ小僧の時分と、何一つ変わっちゃいない。
まるで幼い頃に立ち戻ってしまったかのような錯覚に見舞われた俺は、改めてここが郷里である事を実感した。

時は流れ、現在時刻は夜の八時半。
辺りは誰彼(たそがれ)をとうに過ぎ、夜の帳が村を覆う。
あと三十分もすれば各公園に設置されたスピーカーから、市民を眠りへと誘う音楽が流れ始める事だろう。
離れてみて初めて気付いた、絵に書いたような田舎のシステム。
しかし今だけはありったけの感謝を込めて、俺は決心した。
決起の時間は21:00ジャスト。
開始の合図は『シューベルトの子守唄』。
全てに反抗して家を飛び出した俺には、子守唄と同時に親父を混乱に叩き込むぐらいの天邪鬼っぷりがよく似合う。
自嘲ではなく、的外れな自負を胸に。
俺は、遊びなれた公園を後にした。