シュ――――パーン!
ズババババババババババババン!
もくもくもくもくもくもく
シュワワワワワー

上から順に、ロケット花火、爆竹、煙玉、ドラゴンの音である。
せっかく有り金を叩いたのだから派手にいかねば面白くないと思った俺は、まずは点火済みのそれらをまとめて邸内に放り込んでやったのだった。
響く爆音。
立ち上る煙幕。
目映い火柱。
そして種々雑多なそれらと呼応するかのように、邸内の其処彼処(そこかしこ)から沸き立つような叫び声。

「音は朱雀門の方だ! 走れ!」
「賊は屋敷内に進入しているかもしれん! 守りを固めろ!」
「天狗じゃ! 天狗の仕業じゃ!」

ちなみに、最後のは俺の台詞である。
『蜂の巣を突付いた』では済まない勢いで喧騒が沸き立つ朱雀門付近を尻目に、俺は裏路地を通りながら玄部門を目指してひた走った。
仮にも生まれてから十余年を過ごしてきた土地の事。
人目に付かない小径なんてのは、頭が忘れても身体が覚えていた。
あの塀の裏。
穴が開いていて役に立たないフェンス。
人の住まなくなったあばら家の軒先。
再開発なんて噂ですら聞こえてこない田舎町だからこそ、全ての記憶は現在の地理と符合する!

シュ ―――― パーン!
シュシュシュ ―――― スパパパパーン!

路地に入って十数秒後。
幾つもの導火線を繋ぎ合わせて時間調節をしたロケット花火の第二波が、青龍門付近から邸内に向けて射出された。
危険だからやめろと言われてきた数々の悪戯。
何の役にも立たないと叱られ続けたあの日々の創意工夫。
今こんなにも、俺の役に立っている。

「火線は青龍方面と確認! 賊は朱雀から青龍へと移動している模様! 総員で包囲しろ!」
「畜生目! 一体誰が何の目的で!」
「河童じゃ! 河童の仕業じゃ!」

言うまでもないが、最後のは俺の台詞である。
状況を鑑みて多少小声での発言ではあったが、昂ぶる気持ちを抑える事には幾分か成功した。
だがしかし、今の俺の昂揚は『幾分か』なんて程度では収まりがつきそうにもなかった。
遠く薫る潮風が懐かしい。
眼前の塀が憎たらしい。
清濁合わせてもやはり気持ちが逸るのを、俺は『夏だから』の一言で決着つける事にした。
おう、暑いぜ。
俺は元気だぜ。
かまきりりゅうじもそう言っていた。
だから――

「忍者風帰宅術皆伝! 俺! 参上!」

通学路で。
学校で。
他人の家の塀でよくやった。
助走をつけ、高く飛び、慣性を味方につけて壁を蹴り上ること忍者の如し。
無邪気だったあの頃ですら自分の身長以上に駆け上れたのだ、今の俺がどこまで行けるかなど試すまでもない事柄だった。

流石に飛び越える、とまではいかない。
しかしかなりの余裕を持って塀の縁に手をかける事に成功した。
一度手をかけてしまえばよじ登る事など造作もなく、僅か数秒後には俺は塀の上に立つ事に成功していた。
だが、ただ侵入する事が目的ではない。
俺は、自分が出来うる限り最高の知略でもって皆を惑わした挙句、自分の演じ得る限り最悪の莫迦者となって親父の面に泥を塗らねばならないのだった。

いそいそと残りのドラゴンを塀の上に設置する。
演出効果としての煙玉も、火をつけて庭にばら撒いておく。
いい感じに色とりどりの煙が立ち上ってきた所で、俺はとどめの花火に手をかけた。
全ての導火線が一つの火種から延焼するように束ねた、破壊力満点のスペシャル爆竹。
コイツの巻き起こす大騒音に各種色鮮やかな煙幕、ドラゴンの火柱と俺の高らかな帰宅宣言によって、『物忌みぶち壊し大作戦』は完成の日の目を見る事となるのである。

月は出ている。
風は収まった。
機は、熟した。

点火。
投下。
長くした導火線による爆発への時間差を利用し、設置したドラゴン全てにも点火する。
不安定な足元。
動く距離は数メートル。
使える時間は僅か数秒。
失敗などただの一度だって許されないと云う緊張感が、否応なしに指先を震えさせたその時――

真正面に位置する部屋の障子が、音もなく開いた
淡い白梅色の着物が見えた
憂い顔で月を見上げるその瞳と、視線が交錯した

「――っ! い、妹?」
「っ! あ、あ、兄上ぇ
っ!?」

一年半ぶりに見る妹の姿に。
最後に見た時よりもずっと綺麗になっているその姿に。
目を奪われた――とまでは言わない。
気を奪われた――とも決して言わない。
だがそれでも、ただ一つだけ。
どんな言い訳も通用しそうにない真実があるとすれば、それはきっと。

「お、おぉっ? のぉおおおおおおお!?」
「あ、兄上ぇっ!」

不意の事態に現状と自分を同時に見失い、足を滑らせて塀の上から転げ落ちる。
そんな失態を演じた今の俺は史上最低に格好悪いと云う、何とも悲しむべき、圧倒的な事実のみだった。

煙で目が痛い。
落下した時に打った腰が痛い。
色んな意味で今の自分がとてもイタい。
視覚痛覚感覚にジェットストリームアタックを仕掛けられた俺は、しかしその痛みのおかげで、逆に思考を冷静に保つ事に成功した。
そう、俺の受難はまだ終わってはいない。
そして残っている最後の天罰は、下手したら妹をも巻き込む危険性がある。
毒々しい煙幕に包まれて、自分がどちらを向いているかも判らない状況の中。
目の前で塀の上から落下した兄を見て、恐らくは履物すら取り合わず走り寄ろうとしているだろう妹に、俺はあらん限りの大声で叫んだ。

「来るな妹! そこで止まれ! できれば五歩ぐらい下がれ!」
「なっ、何を言っておるのじゃ! 今すぐ行くから兄上こそ身体を動かさずに――」

ズババババババババババ!!!

「あ、あにうええええええぇぇぇ!!」

妹の叫び声を掻き消すほどの爆音が、天を劈(つんざ)く。
火花と玉砂利が容赦なく、腕と言わず首筋と言わずに襲い掛かる。
仏教用語の一つである『因果応報』の教えを爆竹如きに叩き込まれるとは、流石の俺ですら思ってもみなかった。
花火の本懐である観賞用としての魅力を極限まで削ぎ落としているだけあって、爆竹の誇る爆裂音と威力は各種ある花火の中でも群を抜いている。
しかもそれを一箱丸ごと同時爆破させたと云うのだから、今の俺が受けている被害も推して知れようと云うものだった。

熱い。
痛い。
やかましい。

既に目も開けられない惨状の中、一般的に威力が低いとされている黒色火薬ですらこれだけの破壊力を有していると云う事実に、場違いながらの驚嘆を抱く。
ひょっとしたら俺は塀から落下した時点で死んでいて、この爆音は生前の報いとして以後永遠に続く類の物なのではないだろうかと、些か混乱気味の思考に囚われる。
あまりにも長く続く―本当は一瞬であったやも知れぬ―苦痛の中、半ば意図的に自らの思考を宙に浮かべる事により、俺は自己防衛の一環としての現実逃避を図っていた。


だが、その次の瞬間。
為す術も無く耳を塞いでいた俺の身体が、柔らかい絹織物にふわりと包み込まれた。
焦げくさい硝煙の臭いが充満していた鼻腔に、清楚と云う言葉をそのまま練り直したかのような石鹸の香りがした。
それらが瞬時に『何』を示しているのかと察知できないほどに、俺は妹の事を過小に評価している訳ではなかった。
例え小規模爆発が連続している危険地帯であっても、俺がその中で身動き取れずに居るとなったら、妹は何の躊躇いもなく飛び込んでくる。
今現在を根拠として、きっぱりはっきり言い切れる。
そしてその事を把握してしまえているだけに、妹に向ける俺の言葉は決して優しい物とはならなかった。

「馬鹿野郎! 来るなって云っただろ! 離れてろ!」
「嫌じゃ! 放っておいたら兄上が燃えてしまうではないか!」
「俺はそこまで可燃性の物質で出来ちゃいない! いいから退(の)け! 逃げろ!」
「いーやーじゃー!」

俺の発言の一切合財を拒否されて、そのまま何秒が経過しただろうか。
爆音と火花は収まったがしかし、未だ色濃く煙る惨劇の残滓がとても目の粘膜に優しくない、そんな白煙もくもくな庭の只中。
とりあえずは火傷や怪我の心配がなくなったにも拘らず、妹は俺を胸に抱いた姿勢のままから一寸足りとて動こうとはしなかった。
自分より一回りも大きな兄の身体を守り抜こうと。
俺のような凡人にも判るほど上等な着物を台無しにしてまで、精一杯の力で抱きしめてくれる妹。
昔はネズミ花火どころか手持ち花火ですら泣き出してしまうくらい臆病だったはずのお前なのに。
唯一楽しめる花火と言えば、線香花火ぐらいが関の山だったくせに。
それだって風に揺られて火種が落ちてしまうとまた涙ぐむものだから、まるで二人羽織のような体勢になりながら二人で一つの花火を楽しんで。
あれから長い月日の経過した今だって、本当は爆竹の類は苦手で仕方がないはずなのに。
俺を抱いたまま震える肩口が、その恐怖を如実に物語っていると云うのに。

「……あー、その、なんだ……」
「………」
「……
ありがとう。 それと、ごめん。 あと、久し振り」

表情の見えない妹に、何と言って良いのかも判らず、ただ思いついた言葉を散文的に口にする。
しかしそれらの言葉は何一つ、妹の求めていた物とは一致しなかったらしかった。
ふるふると首を横に振り、ようやっとの事で俺を抱きすくめる体勢をやめ、改めて真正面から視線をぶつけてくる。
僅かに煤で汚れてしまったその姿は、それでもなお月の照らす枯山水の庭に、とても幻想的な世界を構築していた。

「違う」
「ん?」
「全然違う」
「……何が?」

至近距離で俺の目を見据えながら、突然の否定発言。
それが何に対するものであるかを問い質す前に、妹は両の手で俺の頬をむぎゅーっと挟みながら。

「家に帰って来た時は『ただいま』じゃろう? 高校と云う場所ではそんな事すら忘れさせるのか、兄上よ」

やたらと不満そうに。
何だか泣きそうに。
形の良い眉を八の字にへんなりさせてまでそんな事を言い出すものだから。

「……ただいま、妹」
「おかえり、兄上」

親父に抱いていた怒りとか、実家に未だ堆積している陰鬱な空気とか。
今夜の騒動の事後処理とか明日から始まる夏休みの予定とかの一切合財が、物凄い勢いでどうでも良くなってしまった。
恐るべし、普段は物すまし顔でいる妹の破顔一笑。
今度こそ問答無用で、可愛いと思った。