「妹よ」
「む? どうしたか、兄上よ」
「俺は去年も言った。 一昨年も言った。 なのに今年も言わせるつもりなのか?」
「……去年も一昨年も言った結果が無駄だったのだから、今年も言っても無駄なのだとそろそろ学習してもらいたいものなのだが」
「学習するのはお前だ。 毎年毎年まったく……いい加減にカカオに対して申し訳ないと思わないのか?」
「申し訳ないと思うからこそだ、兄上。 私が去年や一昨年と同じままで生きていくのであれば、それこそがカカオたちに対して失礼の極みと云うものではないか」
「………」
「………」
「……妹よ」
「……なんだね、兄上」
「その材料チョコにお前の邪悪な魔手を――」
「断る!!」

妹の猛々しい咆哮に、台所の空気どころか居間の窓ガラスまでもがあわや崩壊寸前と云う辺りまで大きく震えた。
こ、これは四聖獣白虎の奥義、鳴虎衝壊波か!

「大体さっきから何なのだ兄上は! まるで私が手を加えるとチョコレートが悪鬼羅刹に変容するかの如く、まっこと酷い言い草ではないか!」
「悪鬼羅刹とまでは言わん! だがお前が調理と云う名の錬金術でもって材料チョコを何か得体の知れない物に変換するのはれっきとした事実だろうが!」
「そ、そ、それは去年までの私だ! 今年は違う! 一味も二味も違う! 男子は三日会わざれば活目せねばならんと云うが、女子は半刻あれば変われるものなのだ!」
「一味も二味も違うチョコは既にチョコじゃないといい加減に理解しろ! そもそもお前! なんで湯煎のためのボウルの横に黒酢の瓶があるんだ!」
「黒酢は身体に良いのだ! 血液がサラサラになったり身体が柔らかくなったりするのだ!」
「だからと言ってチョコに酢か! 略してチョコスか! 合うとでも思ってるのかお前は!」
「世の中には『甘酸っぱい』と云う食べ物が幾らでも氾濫しているではないか! カルピス然り! 酢豚然り! ならばチョコに酢もやってみなければ判らぬではないか!」
「今言ったな!? やってみなければって言ったな!? って事は試してないんだろ! 試してないんだろ! そんでもってそれを俺に食わせる気なんだろ!」

ぐぐっと、妹の強気な気配が一歩下がるのを感じた。
これは勝てる。
と、思ったのも一瞬だった。

「べ、べ、別に兄上に喰わせる為に作る訳ではないわー!!!」
「え……」

その一言で、俺の時は完全に静止した。

「黙っていてもチョコレートが貰えると己惚れおって! 私が兄上にチョコを献上するのが当たり前だと増長しおって!!」
「え、あ、いや…」
「違うわ違うわ違うわ! このチョコは兄上なんかにはやらぬ! あげぬ! 喰わせぬ! 
 何をやっても文句しか言わぬのであれば、物言わぬ犬にでも喰わせた方が幾千倍もましじゃぁあああ!!!」

はぁ、はぁ、はぁ。
妹の荒い息遣いだけが、静寂のキッチンに反響しては恨めしげに消えていく。
それを聞きながら俺は、自分以外の人間も妹のチョコをもらう権利を有しているのだと云う至極当たり前の事実に気付き、酷く狼狽していた。

「あげる相手、いるのか?」
「おるわ! ごまんとおる!」
「全員に黒酢チョコを?」
「黒酢は……入れぬっ! 断っておくが、別に兄上に否定されたからではないぞ! そんな事では断じてない!」
「………」
「そもそもっ!! 黒酢を入れようとしたのはっ!」
「入れようとしたのは?」
「〜〜〜〜〜〜〜!!!!」

そこで何かを言いたげに俺の顔を睨む妹。
しかしうまい言葉が思い浮かばないのか、睨んだままの状況で一瞬逡巡。
それからようやっとの事でぶつけるべき言葉を思いついたらしき妹は、まな板の上に置いてあった材料チョコの塊をがしっと鷲掴みにして――

「あ、あ、兄上が! 不摂生で不健康で不規則でふしだらな生活ばかりを送っているからであろうがぁー!!」

ずごすっ!!!

岩石の如き材料チョコを、至近距離から思いっきり投げつけてくれやがった。
意図的にかどうかは知らないが、物凄い勢いで見事に俺の眉間にクリーンヒットする岩石、もとい材料チョコの塊。
ブラックアウトしていく視界と薄れゆく意識の中、俺はある一つの事に気付いてうっすらと微笑んでいた。
そうか、やっぱり今年も妹のチョコは俺専用だったのか、と。

翌日。
目が覚めた俺の枕元には明治の板チョコが一枚と、どう見ても手作りであろう不恰好な形のトリュフが並んでおいてあった。
苦笑しながらも俺は、迷わずトリュフの方に手を伸ばした。
それから半日ぐらいの記憶が無いのは、きっと気のせいなのだろう。