「おや、兄上。 週末だと云うのに御姿を家屋敷の中で見ること叶うとは。 はてさて、槍の雨で近所の野良猫が串刺しにならぬと良いが…」
「失敬な上に残酷な事を言うのはよせ、妹。 俺はそんな毎週末遊び呆けている訳でもなければ、槍を降らす事ができるほど神通力にも明るくない」
「先週はご学友とカラオケと申しておった。 先々週はいつもの悪童連で夜半過ぎまでゲームセンターだと申された。 その前の週も悪童連と夜通しで酒を――」
「あー、はいはいはい、遊んでました、ごめんなさい」
「まったく……余計な事を口走るから、斯様に藪から蛇を突付き出すのだ、兄上よ。 この際、少しは慎んだら良いのではないか? 言、動、共にだ」
「前向きに善処しま――」
「………」
「――粉骨砕身の勢いで精進します。 むしろ粉になります。 主に俺の精神が」
「誰もそこまでしろとは言うてない」

呆れ顔で溜息を吐く妹。
それから、ふと真顔になって。

「して? 日本放蕩息子選手権でも開かれれば間違いなく東北代表として全国制覇への道を歩み始める兄上が、何故に週末のこの時間にまだ家におるのだ」
「放蕩息子……ああ、まぁ否定はしないけどさ」
「ふむ」
「それでも、今日が何の日か綺麗さっぱり忘れている娘なんかよりは、一万と二千倍ぐらい親孝行者だと思うんだけど?」

そう言って兄は得意満面に鼻を鳴らし、「ちょっと待ってろ」と妹に言い残して自室へと走り去っていった。
数秒後、戻ってきた兄は背中に隠し持っていた花束とワインのボトルを妹の前に「じゃーん」と見せようとして――

「兄上、兄上」
「なんだ」
「悪いがその後ろ手に持っている物を披露する前に、二つ三つばかし私に喋らせてくれはしないか?」
「ふっ……お前にしては珍しく言い訳か。 いいさ、俺は優しい兄だから、お前が今日と云う日の重大さを今になってようやく思い出したとしても、それを責めたりはしないぜ」
「別に忘れていた訳ではない」
「ま、忘れてた奴は大抵がそう言うもんだ」
「今日が私たち両親の結婚記念日であると云う事を、私は忘れていた訳ではない。 天地神明に誓って、それは嘘ではない」
「なら、俺が週末のこの時間に家に居るって事に対してあそこまで不審そうにしていたのは何でだ? まさか俺が――」
「兄上が両親の結婚記念日を忘却していたなどと思ってもいない。 ……見損なうなよ兄上! 私の兄上は愚か者ではあるが、そこまでの不孝者ではないわ!」

老朽化により自然と鴬張りになってしまった廊下の床板が、妹の咆哮によってぎしぎしと戦慄(わなな)いた。

「そして、その上でだ。 柄にもなく両親へのプレゼントを携え、恐らくは今週も埋まっていたのだろう週末の遊行の予定を捨ててまで家に居る兄上に、言わねばならぬ事がある」
「……なんだよ」
「父上は先程、行きつけの焼き鳥屋へといそいそとお出掛けになった」
「……はぁ?」
「母上も先程、お茶会のご友人達との夕食会へとお出掛けになった」
「………」
「この家における結婚記念日などそのような物だ。 もっとも、兄上はここ数年と云うもの今日のような日に寄り付いていなかったから、知らぬのも無理はない事柄ではあるのだがな。
 形骸化するのであればまだ救い様もあるし、祝い様もあるのだろうが、当人達が挙ってあのような態度を取るのであれば………って、兄上……何も泣く事はないだろう」

怒りか、悲しみか、それとも寂しさゆえにか。
花束を握り締めてぼろぼろと涙を流す兄に向って、妹はそれでも笑いながら、その白い指先でもって止め処ない涙をそっと掬い。

「祝おう、兄上。 今日はめでたき善き日じゃよ」
「だ、だって親父も、お袋も、どっか出かけて…」
「ならば、我ら二人の結婚記念日にしてしまえば良いではないか。 咎めだてる者も傍耳を立てる者も、今この屋敷に居りはせぬ」
「ふ、ふ、二人の結婚記念日っておまっ」
「か、か、勘違いをするでない! ほ、ほかっ、他に祝う者が居らぬ故、この祝いの日を二人だけで過ごしてしまおうと! それだけの意味じゃ! 勘違いするでないぞっ!!」

しこたま怒られた、その後。
プレゼントの予定だったワインを、二人で飲んだ。
親父秘蔵のウィスキーも、二人で飲んだ。
結果、二日酔いで酷く苦しんだ。
全部、二人一緒だった。