「バカな! 開戦以外に選択肢があるとでも言うのか!」

元老院の許可を得に出向いた男が戻ってきて行った報告に対し、議会は一時騒然となった。
唾を飛ばしながら荒々しく弁を振るうは、帝国議会第十席の男、式文省長官ナウム・カシス。
ともすれば好戦論を唱えているだけの様に思われる彼の熱き叫びは、しかし今この時に限っては何ら非難されるべきものではなかった。

直接統治国家【ミュー】の陥落を鏡伝書【ミール】で知ってから数十分。
世界連邦政府【ONE】が非常召集した臨時帝国議会は、開始から僅か8分43秒と云う異例の速さで。黒帝軍に対する武力行使を議決した。
世界中が知った、西天騎士団の敗北。
ひいては世界の法である【ONE】の敗北。
あってはならぬ事が起こったのだ。
奪われた民の命、焼き尽くされた土壌、この屈辱。
目には目をでは晴らせはしない。
億倍にして、兆倍にして、彼奴等の臓腑に叩き込んでやる!

全会一致で決定された【ONE】の意志。
だが、帝国議会の更に上位に位置する元老院はそれを許しはしなかった。
許せるはずが、なかった。


* * *


元老院はその全てが純血の人間のみで構成されている訳ではない。
そもそもが【魔】に身を窶した浩平が結成した人民開放戦線が現在の世界連邦政府の前身である。
であるならば、構成員の中に『人ではない者』が居る事は何もおかしな事ではなかった。
そして『人ではない者』は、当然の如く寿命も人間とは違う。
長寿の代表としては、殺されない限りは死ぬ事の無い純血のホーリーエルフ。
命を喰らう限りは寿命が尽きない純血のダークエルフ等が挙げられる。

しかし、特に後者は、往々にして【人間】に迫害される事がそれまでの常だった。
何故ならば、人間は、異端を嫌う。
吸血鬼と並んで【命を吸う者】の代名詞であるダークエルフは、その実情がよく知られていない事も手伝って、辺境の地などでは今も【人間】の恐れの、そして狩りの対象にもなっていた。
だが―――

「皇帝は……オリハラは我々を蔑視しなかった。
 それどころか我々を『仲間』とまで言ってくれたのだ。
 長きに渡って言われ無き迫害を受けてきた我々ダークエルフの民を、あの何処までも突き抜けるような笑いと共に受け入れてくれたのだ。
 市民権をくれた。
 温かい場所をくれた。
 終わりの無い我が人生で初めて、コイツの為なら死んでも良いと思わせてくれた。
 どれだけ長い月日が経とうが、例え【人間】がその生涯を終えるほどの年月を過ごそうが、我々はは奴から受けた恩を決して忘れはせん。
 忘れなど…せんよ」

何処か遠い目をしながら語るのは、その瞼の裏に在りし日の初代皇帝を思い浮かべているからだろうか。
元老院第二席に座る、見た目はまだ二十代前半でありながら口調は既に老練の物になりつつある男は、ゆっくりとそう語った。
染み入る言葉に、誰も口を開けない。
迂闊に口を開けば、出てくるのは彼を賞賛する言葉だけだった。
初代皇帝、折原浩平。
既に全員が第参世代で担われている帝国議会とは違い、元老院の者達にとって折原浩平とは絶対なる者であった。
ある者は父親から初代皇帝の英雄伝を夢見る心地で聞き、またある者は現役で浩平に仕え、そしてまたある者は浩平と共にこの世界連邦政府を作り上げたのだ。
全てだった。
あの日々を生き、共に戦った彼等にとって、折原浩平とはまさに自身を誇る事ができる全てだった。

「我々元老院は貴殿等に対し、無条件降伏を勧告する。 早々に議会に掛けるがいい」
「なっ! それでは誰一人として納得致しませぬ! 何故に我々が降伏せねばならないのですか!」
「折原が我々に対して剣を抜くと言うのであれば、それはむしろ我々の方に咎められるべき落ち度があるのであろう。
 彼の怒りを謙虚に受けとめ、今一度初代皇帝を玉座に迎え入れる事こそ、今の我々が第一に成すべき事なのだ」

何処までも初代皇帝に対して盲目的な元老院の総意に、伝令役である男は吐き気すら覚えた。
我々が咎められるべき?
怒りを謙虚に受け止める?
ふざけるなよジジイども!

「故も無く殺されたミューの民に対し! 我等の正義を貫いて死んでいった騎士団員に対し! 貴方達は今の言葉をもう一度同じ様に吐けるのか!」
「口が過ぎるぞ小僧! 慎めい!」
「何度でも言おう! 今の折原浩平はただの敵だ! 奴は神ではない!」

西天騎士団第八師団の団長である芦屋は俺の友だった。
自分は文官に、奴は武官に。
それぞれ道は違いながらも、互いに胸に誓ったのはこの平和な世界を守っていく事だった。
市場では気さくなおばさんが笑い、工場ではちょいと頑固なおっさんが汗を流してモノを作り、公園では元気なガキどもが無邪気に走り回っている。
そんな世界を、俺達は守る為に生きてきたのだ。
そんな世界を守る為に、奴は死んだのだ!

「折原を否定すれば貴方達の人生が否定されると言うのであれば! 今の世界を否定する事は私の人生を否定する!」
「黙れ黙れ黙れ! 貴様の如き若造に何が判る!」
「もう結構だ。 我々帝国議会の議決には元老院の許可など要らぬ!」

吐き捨て、踵を返す。
その目には未だ見ぬ黒帝折原に対するよりも赤く、元老院に向けての怒りが燃え盛っていた。

「貴様! 反逆罪に問われるぞ!」

それは元老の誰かの台詞。
一般人に対してなら効果的であっただろうが、既に不退転の意志を固めた男に対して吐くには些か陳腐に過ぎた。
男は退出しかけていた足を止め、再度踵を返し、言葉を吐いた元老を睨み付け。
今すぐにでも跳びかかるやも知れぬ目付きで、今まで自分が従ってきた者達に対する完全な決別の意を込め。
高き天井を揺るがすほどの声を持ち、一息に叫んだ。

「皇務省第七課所属、所沢和孝! 罪に問いたければ問うが良い!」

そこに居たのは最早、一介の文官ではなかった。
目覚めた獅子の咆哮に、誰一人として二の句を告ぐ事が出来なかった。