永世独立王国【Kanon】衛星都市国家【マーチ】
犯罪発生率の低さ、及び犯人検挙率の高さにおいては他の国家の追随を許さない、小国ながら徹底した法治国家として世界に知られた国の名がそれであった。
犯罪者にとっては息をするのも苦しい鉄の掟は、しかし毎日を真面目に生きる民衆にはすこぶる評判が良い。
代々この地を治めてきた久瀬家の当主の中でも、現当主である久瀬隆臣は特に明君としての評判が高かった。
そしてそれ以上に、現在はまだ若輩ながらも摂政として隆臣の片腕を十二分に務めている彼の息子、久瀬家次期当主である久瀬光臣の『切れ者』としての風評は尋常ではないものだった。

「……このような痴れ者をここまで通すとは、この国の防衛機能も鈍ったものだ」
「言いたい事はそれだけかこのバカったれ」

互いに互いの顔を見るなり、やおら不機嫌な表情になる二人。
天井の高い立派な創りをした応接室に遠慮とか配慮とかの感情を一切排除した罵声が響き渡り、横に居た執事が額に手を当てながら両国の国交を憂いていた。

「で? 何の用だね一体」
「その前に、この国は客人に対して粗茶の一つも出せないのか?」
「喉が乾いたのなら、そこの扉を出て右に真っ直ぐ行った所に食堂がある。
 蛇口を捻れば水が出る。 水死体にならない程度に好きなだけ飲んでくればいいだろう」

目も合わせずに、顎だけで扉を挿す。
普段は仁と礼を尊ぶ若き摂政である久瀬の、そのあまりの無礼さに、さすがに付き添いの執事が口を挟んだ。
もっとも、これ以上黙って二人の遣り取りを見ていたら自分は確実に心労でぶっ倒れてしまうだろう事を予期したからかもしれないが。

「これは気が付きませんで、まことに申し訳ありません。 直ちに御持て成しを用意させていただきますので」
「え、え? あ、いや、別に貴方に向かって言った訳じゃないんですけど……」
「クリフ。 この男に気遣いなど無用だ」
「そうはいきません。 
 貴方様と此方の方の間にどのような確執があろうと、我等執事は変わらぬ対応で客人を御迎えするべきです。 では相沢様、少々御待ちを」

言うと、クリフと呼ばれた男は足の運びも速やかに応接室から姿を消した。
言動から察するに、どうやら城のメイドには任せず彼の手自らお茶を淹れてくれるらしかった。

「あ、あー、あー……行っちゃった」
「飲みたくもないお茶なら始めから催促などしなければよかっただろうに」

クリフの暖かい心遣いに、少しだけバツの悪い思いをする祐一。
それもその筈で、彼が久瀬に対してお茶を催促したのは何も本気で喉が乾いていたからではなく、言ってしまえばアレは一種のイヤミだったのだ。
久瀬にもそれが判っていたから売り言葉に対して買い言葉を返したし、そもそもそれ以前からの遣り取りも全て予定調和でしかなかった。
そう、この二人は一見仲が悪く実は仲が悪いのだけれども、妙な所で互いを理解している間柄なのであった。

「で、何の用だとさっきから訊いている」
「はいはい。 えーと、『ミナセアキコオウジョノチョクメイニヨリドクリツコッカマーチノオサニシンショヲトドケルタメニヤッテマイリマシタ』、以上」
「……私をバカにしているのかね君は」
「俺がお前をバカにしようとしまいと、【Kanon】が『こーゆー』結論を出した以上、【マーチ】の選択できる未来は一つしかないだろ」

そう言って、祐一は二重の封が施された親書を久瀬に向かって放り投げた。
ぱしっと軽い音を出して中空で受け取られる、両国の未来。
ある程度の良識や常識を備えた者が見たら卒倒しそうな和平協議は、しかしそれを咎める者など少なくともこの部屋の中には居なかった。

「それに、個人の感情と国政はまったくの別物だ。 だからこそ俺だって此処に居るし、お前も俺の目の前に座っている。 違うか?」
「………」

唐突に真面目な表情を見せた祐一を一瞥し、久瀬は受け取った親書の封を開ける事もなくその眼鏡を外した。

「永世独立国【Kanon】現国王水瀬家第十六代当主、水瀬秋子王女に伝えてくれ。 【マーチ】は、最後の一兵卒まで貴女方【Kanon】と共に在る、と」
「ああ、確かに承った。 久瀬隆臣が第一子、第十三代久瀬家次期当主、【マーチ】国政執行部会会長、久瀬光臣」

二人は。
両国は。
ここに、何物でも断ち切れぬ堅い絆を誓い合った。
堅い握手を、交わした。

ぎりぎりぎりぎり

「こ、この無礼者めが……」
「ぬっ、バカ言え。 先に力入れたのはお前だろ!」

個人的に仲良くなるのは、まだまだ遠い未来のようだった。