世界連邦政府【ONE】は揺れていた。

もっともそれは局地的な地震によってとかビオランテが暴れてるとかの物理的な揺れ方ではなく、
言ってしまえば上層部の政治的見解の相違による【ONE】の基盤が揺れ動いているといった意味なのだが。
それでも、只中に居る者達にとってはむしろ現実に地面が揺れている方がまだマシだと思われるような状況だった。

帝国議会VS元老院

上層部の誰もが口外する事を避けていたにも関わらず、この対立構図は三日と経たない内に末端のイチ兵卒までもが知る所となっていた。
しかし、それもそのはず。
それまでは全ての書類に元老院の認印が押されていたはずなのに、数日前を境にその印がぷっつりと姿を消しているのだ。
それだけじゃない。
行政に関する執行令状は議会と元老院で別々の内容を発布するし、そー言えば官庁内の空気もどこかしらピリピリしている。
どちらもが戦時中独特の混乱や緊張の産物と解釈できる類の物ではあったが、さすがに官僚となるだけの能力を持った人達はそこまで安穏とした日々を送ってはいなかった。

何かがあったのだ。
恐らくは、【ONE】の根幹を揺るがすような未曾有の事件が。

臆測の域を出ない予感は、しかし確かに『歯車』を狂わせ始めていた。
ギシギシと、ギシギシと。
微妙な擦れ違いを含んだまま、それでも廻り続けようとする歯車は耳障りな奇声をあげる。
初めにその事に気付いたのは、民部省所属の事務員である女の娘だった。

それはとある日の事。
いつもの様に定時より少し早く出勤した彼女を待っていたのは、部署内に流れている異様なまでの緊張感だった。
何が起こったのカナっとびくびくしながら自分の席に着こうとすれば、なんとも間の悪い事に彼女の机こそが緊張感の真っ只中。
詳しい事は判らないけど、それはどうやら元老派の課長と議会派の課長補佐の口論らしかった。
尊王攘夷か開国倒幕か。
本人同士にその気が無いとは言え、それは確かに上層部の代理戦争だった。

どっちでもいいからどいてほしいなぁ…

もちろん気の弱い彼女がそんな事を口に出せるはずも無く、加えて言えばその時すでに彼女は半泣きだった訳で。
それより何より、議論の白熱が周囲に伝播してしまうのが一番イヤだった。
八時半から五時までの決まった業務時間を、そんなに多くない書類事務をゆっくりこなしながら仲良く過ごす。
ぽかぽかの太陽とアツアツのお茶があればそれだけでシアワセなのに、開戦か降伏かなんてこんなトコで議論してもどうしようもないのに。
どうして私達がこんなにギスギスしなきゃいけないのかなぁ…

始業時間を知らせるベルの音でようやく議論は収まったものの、両派閥の険悪な雰囲気は収束を見せなかった。
ビクビクしながら書類の整理を行い始めた彼女を襲う、二つ目の悲劇。
元老と議会とで全く違ったベクトルを持つ二つの行政令状が、何の因果か彼女の処理する書類の中でコンニチワしていた。

彼女個人の采配で決められるほど軽い問題ではない。
しかし誰かに相談しようとすれば、今の民部省ではそれはもう『相談』の域を越えてしまうのだった。
元老か、議会か。
そんなのどっちだってよく、むしろどっちにも決めたくないと思っていた矢先にこの仕打ち。
神は死んだのかと彼女は刹那だけ思ったが、そもそも自分は神を信じていない事をさらにその数瞬後に思い出した。
こんな事なら信心深くしておけば良かったとも思い、さりとて信じていた神に裏切られるくらいなら初めから信じてなくて良かったんじゃないかとも思い。
ってな事を思ってる途中で自分の思考の無意味さに気付いて、じゃあ問題を解決しようと思って辺りを見まわせばまた派閥間の険悪ムードが見え隠れして。
彼女は、給湯室で密かに先輩職員の胸を借りて泣いたりしていた。

そんな気の弱い彼女の名前は、佐伯夕菜と云うらしかった。