「確かに長い永い時間は掛かった。
 結果的には形代を必要ともした。
 だがそれでも、お主達は余を【牢獄】から解き放つ事に成功したではないか。
 一度できた事が再びはできぬと云う道理など、此の世には無い。
 であればだな、往人殿。
 今また空に捕らわれておる観鈴を余とお主とで助け出す事も、決して不可能ではないと云う事であろう?」

彼女は詠う。
『希望』を詠う。
親しい者は誰も彼も死に果ててしまい、此の世にはもう哀しみしか残っていない筈なのに。
永久(とこしえ)とも呼べる千年の獄は如何程にか辛かっただろうに。
それでも彼女は、希望を詠う。

「……途方も無い話だ」

幾許かの逡巡の後、往人はそれとだけ小さく呟いた。
陽炎に揺らぐ大気の中にその響きは余りに弱く、しかし意味合いだけは遥かに強く。
無邪気に『希望』を信じられたらどれだけ幸せだっただろうと、往人は声に出すでもなくそう思った。

神奈の言に拠れば、成る程確かに『二度目』を期待する事は可能だろう。
現にこうして目の前に『解放』された翼人が立っているのだ、疑うべくも無い。
だが、それは果たして神奈が空に封じられてから幾度目の夏だった?
十や二十ではきかないだろう、百でも足りはしないだろう。
己の生が尽きた後の『解放』を望んで生きる事など、俺には到底無理だ。
勿論それは、観鈴の解放を願わないと云う意味ではない。
それでも俺は、『いつか』じゃない、『今』が欲しい。

「果たしてそうかの?」

往人の思考を先読みしたのか、それとも単に呟きに応えたのか。
腕組みをしながら神奈が口にした言葉は、どちらにしても往人にとって『希望』と取れるものだった。
途方も無いと云う言葉に対する否定か。
永い時を経なければ『解放』には辿り着かないだろうと云う思考に対する否定か。
いずれにせよ言葉をそのままの意味で捉えれば、先に続く言葉も概ね悪い方向には行かないはずだった。
だが。

「『途方も無い』等と悠長な事を言っておる暇が……そうだのう、在るのであればまだ良かったのだが」
「……何だと?」
「確かにお主の言う通り、余が縛を受けてからそれを解かれるまでには千の年月を要した。
 八百万の民の哀しみを、千代に渡りて注がれ続けたのだ。
 今にして思えば『それ』は喜ぶべき事だが、只中に座して居た時は涙を流す度にこう思ったものだ……」

そこで神奈はぐっと息を詰らせ、二秒程の戸惑いと共に、その言葉を吐き捨てた。

「余が翼人でなければ、ただの人間であったならば、こんなに永く苦しまずに消えてしまえただろうに、とな」

翼人でなければ、こんなに永く苦しまずに済んだ。
人間であったならば、脆弱に過ぎる魂の『器』はすぐに砕け散っていた。
そう、もし仮に『空』に捕らわれていたのが【人間】であったとしたら―――

「翼人である余であればこそ、時は千もの時間を許したのだ。
 人間如きの『器』では、一年と待たずに精神が崩壊して塩の柱と化すだろう。
 いかに『継ぐ者』の因子を持っているとは言え、観鈴の『器』もまた翼人の持つそれとは比べるべくも無い卑小な物に過ぎぬ。
 よいか往人殿、もう一度だけ言うぞ。
 彼女は今、こうして無為に時を過ごしているこの瞬間も、この空の上で泣いておるのだ」

空を指すその指は、微かに震えていた。
『空』を語るその声は、僅かに涙に濡れていた。
もう二度と自分と同じような苦しみを誰かに受けさせたくない。
大好きだった二人が死の間際もその後も思い続けてくれた『解放』を、絵空事や身代りの存在などで終わらせたくない。
何の事は無い、『希望』は即ち彼女の『願い』だったのだ。
彼女の『願い』が往人にとっての『希望』だった、ただそれだけの事だった。

「……どうすればいい」

青年は旅のひと

「どうすれば、観鈴を助ける事ができる」

旅の道連れは、みっつに増えた

「確かにあいつは『何か』を頑張っていた。 辛くてもやり遂げた。 だからアンタは此処に居る」

手を触れずとも歩き出す、古ぼけた人形

「だけどな、観鈴はもう居ないんだ。 記憶を継ぐ奴はもう何処にも居ないんだぞ」

『力』を持つ者に課せられた、遥か遠い約束
そして―――

「お主、呆けたか? 余は『記憶を継ぐ者』ではない、『記憶を持つ者』であるぞ?」

傍らにて希望を詠ってくれる、翼を持った少女

夏はどこまでも続いていく
青く広がる空の下で

「往こう、往人殿。 悪しき夢は終わりにせねばならぬ」

彼女が待つ、その大気の下で