「久瀬さんは、この戦いがいつ頃終ると予測されますか?」

首脳会談から同窓の語らいへと雰囲気が変化してから、およそ二十分余り。
あくまで世間話の域を出ない穏やかな口調を保ちながら、佐祐理がそんな質問を口にした。
空気が重くなる事をあえて避けたのだろう佐祐理の質問のタイミングからは、逆説的にその内容がとても深刻である事が読み取れる。
若くして国政執行部会の会長をしている久瀬であれば、そんな機微を読み取る事など易とも容易い所業であった。
だが、そこは佐祐理も知っての内である。
意図を読まれてなお久瀬であれば世間話の延長を続けてくれるだろうと、そこまで判った上での発言であった。

「折原浩平が死ねばそこで終結…、と言いたい所ですが」

下手をすれば国としての公式見解になりかねない。
事実、この応接室から一歩でも足を外に出せば、その瞬間から彼と彼女は『家』を背負う。
双肩には責任を、心胆には緊張を、前を向けば国民、背中には執務。
そんな生活の中で、しかし今この時だけは全てを忘れることを許される気がしていた。
状況的に見れば安らぎなんかとは全く程遠い、国家重鎮扱いの二名の会談。
脇に侍るは護衛の剣士と老執事。
だけど不思議と紅茶の香りは身体を優しく包み込み、互いは互いの実情を知るが故に優しくなり合えた。
ここでは壁に耳もなく、ジョージにメアリーも存在しなかった。

「噂の段階ですが、どうやら【ONE】は内部で二派に分裂を始めたようです」
「帝国議会派と、元老院派ですね」
「ええ。 徹底抗戦のスタンスを取る議会派と、折原を再び玉座に据えようとする元老派。 
 現状ではどちらが優勢とも言えませんが、結局は聖天騎士団をどちらが有するかで決まるでしょう」

聖天騎士団とは、本来の性質を四天騎士団(国家警察機構)の上級組織として位置付けられている。
そして四天騎士団の統率や人事を管轄しているのが、式武省と呼ばれる組織であった。
この式武省の許可を無くしては、各騎士団はその武力を行使する事が出来ないとされている。
言わば式武省は、騎士団にとっての主君であるも同義であった。
主君への忠義なきは犬畜生も同じ。
数ある騎士団総則の中でも特に遵守が求められるのがこの『主君への忠義』であるだけに、騎士団員が式武省へ刃を向けるなどとは到底考えられなかった。
更に。

「式武省は右弁官下四省、つまり弾正台配下になります。 そして弾正台は実質上議会派の巣窟」
「やはり、戦争は逃れられない選択なんですね……」

【ONE】内部は皇帝の位置する太政官を権力の最高頂点とし、その直下に神祈官と弾正台を置く。
それぞれ左令官四省と右弁官四省を配下に持つこの一官一台は成立以来長い時を経て、現在では議会と元老にほぼ二分する形で保有されていた。
神事や祭事を執り行う神祈官は元老、官使の観察を行なう弾正台は議会。
全ての省の決定を議会が承認する形を取っていたのではあまりに効率が悪過ぎる、とは一種の建て前であろう。
今では余程の重大事でもない限り各省の決定に議会は収集されないし、互いの執務に余計な口を挟まないのが現状であった。

「議会派が抗戦を望み、その武力を弾正台が有している。 それ以前に彼等は既に一つの国と多くの民を失っている。
 いかに元老が議会の上位に位置すると言えども、これだけ高まった世の抗戦ムードを無視する訳にはいかないでしょう」

一切の宣戦布告無く、小国とは言え世界政府加盟国が蹂躪された。
西天騎士団第八師団及び援軍に駆けつけた近隣騎士団員のほぼ全てが殺された。
これで世界政府が打つ手を持たないと言うのであれば、それこそ折原浩平に任せるまでもなく【ONE】は瓦解するだろう。
規模が違うとは言え同じく組織を束ねる者として、久瀬は議会派の動きに何の不審も抱きはしなかった。
だが。

「そんなに……」
「はい?」
「そんなに、元老院の方々が言っている事は間違っているのでしょうか」

困ったような顔で。
今にも泣きそうな声で。
自分から始めた『世間話の続き』の演技すらも忘れて、ただひたすら状況を憂う普通の女の娘のように、佐祐理が力なく呟いた。

「倉田さん?」
「だって……だってそうじゃないですか。 確かに亡くなられた方々には申し訳無いと思いますけど……
 でも、それでこれ以上誰も傷付かないと言うのであれば……佐祐理は……せめて会談の席を設けるだけでもやってみる価値はあると思うんです」

いつまで寝惚けているんですかこの夢見るアリスちゃん。
言おうとして、久瀬は寸での所で自分を押える事に成功した。
父親の補佐をする中で今まで様々な言葉を心の中に閉じこめてきたけれども、今回の仕事はその中でも一等ヘビーだった。

「……そうですね。 折原浩平が現存する世界政府に対し何らかの要求をしてきたと言うのであれば、倉田さんの考えも悪くはないと思います」
「それは、現状では佐祐理の提案はまるで意味を為さないとお言いになりたいのですね?」
「折原が再び皇位を継承し世界を統治しようと言うのであれば、それは必然『人の上に魔が君臨する』と云う図式を成立させます」
「いけませんか?」
「……私を含め、全世界の九割以上の人間が拒否反応を起こすでしょう」
「でもそれこそ人間の勝手な言い分だとは、思いませんか?」
「思いません」
「……思いませんか」
「思いません」
「ふぇ……」

形の良い眉を八の字に下げ、小さく溜息をつきながら落ちこむ佐祐理。
なにも困らせたかった訳ではないのにとは思いつつも、久瀬は頑として佐祐理の云う非戦論を肯定しようとはしなかった。
所詮、佐祐理の言っているのは理想論である。
それも【ONE】内部の人間が言うのであればまだ判るが、幸か不幸か自分達は今、世界中を巻きこもうとしている人と魔の大戦の完全な傍観者でしかないのであった。
好戦論も非戦論も、自らが血を流していない限りはただの戯言にしか過ぎない。
戯言に過ぎない以上それを語るのは余りにも無益で、何よりも先に思うべき事が今の彼等にはあるはずだった。

「私の感情や信念はさて置いても。
 折原浩平が再び【ONE】の頂点に立つとなれば、恐らく我々は今まで以上の厳戒態勢を敷かなくてはならなくなります」
「……それは?」
「折原が皇帝に返り咲くと言う事は即ち、【ONE】が元老の意志で統一されると云う事になります。
 現状を鑑みるに、元老が折原に抱いている感情は心酔と言うより最早狂信。
 ただでさえ世界最強の武力を有する【ONE】に現在の【エターナル】までもが加わった場合、折原狂信の元老院はこれ好機とばかりに世界を統一しようとするでしょう」

そう、危惧されるべきは【ONE】の二派分裂でも折原の皇帝復活でもない。
久瀬が久瀬として、佐祐理が『倉田』として最大に慮るべきなのは、何を差し置いてもまずは国家としてそれが有益であるか否かであった。

「私とて世界が戦禍に塗れれば良いとは思ってませんが」
「……はい」
「身から出た錆です。 今回の騒動は全て、【ONE】の方々に決着をつけてもらうとしましょう。
 今や世界に蔓延る化物どもの発見から退治、火葬、埋め立て、葬儀、必要であれば鎮魂歌の作詞作曲まで」

出来の悪い久瀬のジョークに、それでもどうにかして空気を立て直そうとする努力が感じられたのだろう、多少ムリヤリっぽくも佐祐理が笑った。
無理して笑う佐祐理の心遣いがなんとも暖かで、久瀬もまた自分の出来の悪いジョークに失笑した。
舞は相変わらず無口で無愛想で無表情だった。
まるで時を逆巻きにしたかの様に、三人のいるその場所は穏やかな放課後の空気に包まれていた。

そして。

佐祐理が笑っている久瀬を見るのは、この日が最後となった。