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その日は、空がとても青かった。
風が穏やかに地球の表面を撫でているような日。
太陽が何もかもを平等に愛していることが実感できる日。
誰もがその天気の良さに上機嫌になり、程近い丘までお弁当を持って遊びに行こうだなんて考えるような、そんな五月の晴れた日に。

【マーチ】は、滅亡した。


* * *


GC.0188 5/3

「なに呆けてんだ。 おい久瀬、おーい」
「……喧しいな。 そんなに呼ばずともこの距離なのだから聞こえているに決まっているだろう」
「客人を目の前にして自分の世界に浸るのがこの国の接待か。 ほーう、そりゃ珍しい礼儀作法もあったものだ」
「客人だと? 己惚れるなよ伝書鳩。 客としてもてなして欲しいのであれば、まず人間としての最底辺を学んでから出直すがいい」
「お? また鳩って言ったなコラ、おいコラ。 表出ろ、いいから表出ろ爬虫類」
「クリフ、伝書鳩が帰るそうだ。 私には彼の言葉など『クルッポー』とか聞き取れなかったが、とりあえず労いとして豆の三粒でも与えておいてくれ」

頭が痛い。
一体いつになったらこの二人は、所謂『普通』の外交会談を行ってくれるのだろう。
最近では国交の心配から自分の体の心配が多くなってきたクリフは、そんな事を思いながら本日28回目の溜息を盛大に吐いた。
この短い間に10回も回数が増えている辺りに、彼の苦悩が見て取れる。
しかしながらそんな事には微塵も頓着しない二人は、ついには若干危ない領域にまでそのボルテージを上げていた。
一触即発とまではいかないものの、二触即発ぐらいなら今すぐにしたっておかしくない。
この応接室はいつからこんな殺伐とした空気が似合うようになってしまったのだろうか。
嘆きに嘆いた老執事の溜息がそろそろ30回の大台を突破しようとしたその時。
『それ』は、唐突にやってきた。

「報告申し上げます!」

頑丈な作りのドアが悲鳴を上げるほどの勢いでぶち開けられ、飛び込んできたのは一人の衛士。
顔面を蒼白にしているその様子から何か重大な事が起こったのだろうとは把握できたが、それを報告するのに『此処』はあまりにも場違いだった。
祐一がいくら遠慮のない憎まれ口を叩こうとも、久瀬がどれだけ容赦のない皮肉をぶつけようとも。
間に人が入る事さえなければ二人はそのままで居られたし、逆に言えば間に誰かを挟んだその瞬間から二人は『国』を背負う。
そう云った意味では閉じられた『応接室』とは一種の聖域であり、どれだけ深刻な事態であろうともその境界線を無断で乗り越えるなんてのはあってはならない事だった。

「報告は後で聞く。 退出せい」
「しかしながらクリフ殿! 事は急を要しますゆえに!」
「【Kanon】の大使の姿が見えぬか。 下がれと言っておる」
「いい、許可する」
「しかし久瀬殿……」
「クリフ、構わん。 同盟国の特使に聞かれて困るような報告など、ある方がおかしいだろう?」

そう言って、祐一の方を見やる久瀬。
その言葉の内容からは、暗に祐一の存在を責め立てるような響きが聞いて取れた。
祐一が居るからこの場での報告を拒んでいる、つまり何か聞かれたくない事がこの国には存在している。
仮にでもそう思われたのでは、同盟国の執政会長として立つ瀬がない、と。

「……別に俺は席を外してもいいんだが?」
「皮肉だ。 気にするな」

あっさり言い切る辺りが何とも小憎らしい。
しかし実際に「席を外せ」と言われていたら、それはそれでムカついていたと思う。
どっちに転んでもあまり愉快な展開にならないのはやっぱり相手が久瀬だからだろうと、祐一は腕組みをしながらそんな結論に達した。
結論、久瀬が悪い。

「で、報告とは?」
「申し上げます! 現在、西域より我が【マーチ】に向けて【エターナル】が侵攻中! 総数は未確認ながら、万を越えると!」

息を継ぐ時間も惜しいとばかりに、一息で全てをぶちまける衛士。
告げられた報告のあまりの重大さに、その場にいた三人の誰もがしばしの間、口を開く事すら出来なかった。

「……【エターナル】が…我が国に向けて侵攻中だと?」

砂漠の如き乾いた声色で、半ば自失したように久瀬が呟く。
しかし囁く程度に発せられたその程度の音量ですら、止まっていた応接室の時を再び動かすのには充分な力を持っていた。
例えそれが【エターナル】の侵攻と云う破壊的なまでの情報であれ、国家を担う者が我を失っている時間は『秒』の器すら満たしてはならない。
そう云った意味では明らかなる失態を演じてしまった自分を深く恥じながら、しかし次の瞬間には久瀬はもうその表情から『個人』の存在を完璧に消していた。

「詳しい状況を説明しろ!」
「今より八時間前、西方第一地区守護分隊が【エターナル】と思しき敵性一個中隊の攻撃を受けて壊滅したとの事です!」
「なぜ八時間も前の事が今現在になって知らせられる! 【鏡伝書】はどうした!」
「送りました! が、折り返しの連絡が受けられませんでした故に、こうして早馬を飛ばして伝令に来た次第であります!」
「クリフ!」
「即刻確認いたします。 しばしお待ちを」

あくまで流麗に、しかし俊敏な動きで応接室を後にするクリフ。
にわかに慌しくなった空気の中、祐一は次々に押し寄せる情報をその頭の中で独自に解釈しようと腕組みをしていた。

西方よりの敵性軍隊の侵攻。
先だって首都が陥落した小国家【ミュー】は、【マーチ】から見ても西方に位置していると見てもいい。
つまり、西方守護分隊を壊滅に導いたのは【ミュー】を拠点とした【エターナル】の仕業だと思って間違いはなさそうだ。
事が起こったのは今から八時間前、いや、壊滅が八時間前であるならば襲撃はまだ朝日が昇らない内の事だっただろう。
そして西方分隊が攻撃を受けると同時に、守護本隊である【マーチ】に対してその旨を告げる【鏡伝書】が送られたはずだった。
だが、どうも様子がおかしい。
久瀬の反応を見るからに、どうも【鏡伝書】は本隊にまで届いていなかったようだ。
結果、西方守護分隊は本隊からの増援を受ける事無く瓦解。
【マーチ】は今やその喉元に匕首を突きつけられている状況に陥っている、と。

ここまでで不可解な事は、大きく分けて二つある。
一つ、【エターナル】の侵攻目的が不明である事。
一つ、何故【鏡伝書】は【マーチ】本国に届かなかったか。

前者に関しては軍師でもなければ一国を操る総帥でもない俺が把握できる部分ではないが、後者に関しては明らかに不自然だろう。
敵対国家間で【扉-ゲート】が開かれていないのであればまだしも、同国内での【鏡伝書】に技術的な不備があったとは思えない。
だとすれば考えられる可能性は、これまた二つに絞られるだろう。

一つ、西方分隊もしくは【マーチ】本隊内部に【エターナル】の内通者がいる
そして一つは、こっちの可能性は前者以上に考えたくない部類の危惧なんだが……

「駄目ですな。 我々からの【鏡伝書】も、どこの国にも通じませんでした」

苦々しい顔で、通信部の確認から戻ってきたクリフが告げる。
その報告を受けた久瀬もまた、今まで以上に厳しい表情で「そうか」とだけ呟いた。
クリフが直々に【鏡伝書】の確認を行ってきたと云うのだから、そこに裏切りなどは考えられない。
無論、疑って疑えない事はないのだが、その可能性を考慮するくらいであれば『もう一つ』の方法が行われたと見る方が遥かに有意義だった。
これで、二つの可能性の内の一つが消え去った。
残された答えは、ただ一つ。

「【結界】だな? それも、【マーチ】全土を覆い尽くし、既に開かれている【扉-ゲート】を封鎖するほど強力な」

重々しく口を開いた祐一の言葉に、その場にいた誰もが、事態がまた一つ深刻な方向に沈んでいった事を感じていた。