「……結界…だと?」
「他の可能性があるなら遠慮なく挙げてくれ。 俺としてもそっちの方が幾分か気が楽だ」

全く表情を和らげもせず、吐き捨てるように言い放つ祐一。
言葉使いだけは普段通りの挑発気味な物だったが、付帯している雰囲気がつい数分前までとは明らかに別物であった。
軽く茶化せるような問題ではない。
だがそれでも、憂慮すべき事態は徹底的に言葉に表して確認しておくべきである。
祐一が辿り着いた現状把握の為の結論に、久瀬も渋々ながら同調した


与えられた命題は、以下の通り。
西方国境防衛隊からの鏡伝書が届かなかった理由。
クリフの手によって確かめられたと云う、この国からの鏡伝書が他の国に届かなかった理由。
それらを『結界』と云う要素を排除した上で、万人が納得できるように説明せよ。

「……残念だが、考慮に値する可能性が思い浮かばないな」
「同感だ。 国境警備隊の件さえなければ、幾つか思い当たる点もあるんだが……」

祐一の言う通り、マーチからの通信が他国へと通じないと云う事態が起こった場合、まず懸念するべきなのは『通信先の国家に何かしらのトラブルがあった』と云う状況である。
何故なら自国の通信に関する技術的な不備などは真っ先に検められる対象であるため、『原因不明の通信断絶』の理由としては挙がらないからである。
自国に問題が無いのだから、あるとすればそれは相手側の都合に他ならない。
例えばKanonがマーチよりも先にエターナルの強襲を受け全滅、通信を受け取る人間すら存在していない場合などである。
無論、それが現状よりマシか否かに関しては大いに議論の余地があるのだが、それは今の段階ではさて置く事として。
現状における最大の問題は、通信網の断絶がマーチ国内間ですら生じてしまっている事である。
内と外とが繋がらないだけならまだしも、国家内部ですら繋がっていない。
これは即ち問題の本質が『点』ではなく、『面』の様相を持っている事態に他ならなかった。

「この国全土を覆う巨大結界。 恐らくは内部に向けて何らかの魔力干渉を行う類。 内部での鏡伝書すら通じない事を考えると、この可能性しか思い浮かばないな」
「広域魔力因子阻害結界……いや、通信妨害のみに特化した遮断性のモノか。 どちらにしても、人間業ではない…」
「相手が人間じゃないんだ。 当然の事だろ?」

何かを諦めたかのような、あるいは悟っているかのような祐一の言葉。
知識と歴史とに照らし合わせて事の可否を高速演算しまくっている久瀬の頭脳に、その態度は文字通りの意味でもって『水をさす』事となった。
確かに、事実は事実のままに受け取るしかない。
何しろ自分たちが相手にしようとしているのは、歴史に名高い”あの”統一皇帝、折原浩平なのである。
街道筋に現れる盗賊の群れや、洞窟に潜んでいる怪物退治をしようと云うのとは訳が違う。
その膂力は大地を砕き、その法力は海をも断ち、操る魔法は千を超え、死しても再び黄泉還る。
その知名度は公教育レベル、その戦闘能力は神話クラス。
カリスマ性に至っては、世界連邦政府などと云う子供の妄想じみた馬鹿げた大所帯を纏め上げるほどである。
どんなに不可解で理不尽な出来事でさえ、この世界に住まう人間であれば、彼の名の下に納得せざるをえない。
超戦術級結界の一つや二つ、『使えて当然』と思うべきである。
初等、中等、高等修練学校に通う中で嫌でも覚えさせられた、それが折原浩平と云う存在の意味する所であった。

「予想は常に最悪の方がいい。 当てが外れればそれだけ救われるし、最低最悪でも『想定の範囲内』、だろ?」
「馬鹿な奴ほどその理屈を好んで使う」
「んなっ!?」
「指導者が一を誤れば、民は千の単位で死ぬ。 千の死を見越した計画では、どんなに首尾良く事が運んでも百の死は免れ得ない」
「だから、甘い夢を見ようってのか?」
「違うな。 我々に必要なのは、未来予知にも匹敵する先見の明だ」
「予知した未来が全滅エンドだったら?」
「回避フラグを模索するに決まっている」
「なら何人の死までなら許容する?」
「予定調和の死など認めない」
「それは理想論だろ、久瀬。 大規模な戦闘で死者が出るのは必然だし、犠牲を糧と思えないなら軍師なんかできやしない」
「理想論…か。 まさか君にそんな事を言われるとは、私も随分と焼きが回ったものだ」

学生時代は逆だった。
祐一が無知蒙昧なまでの理想論をぶちかまし、冷徹怜悧な久瀬が現実論で突っぱねるのが常だった。
百を守るための十の犠牲。
真面目な生徒を守るための、一部の不良生徒への重過ぎる断罪。
あの頃の祐一はそれを否定し、久瀬は肯定していた。
幾度も口論となり、幾度も胸倉を掴み合い、互いの『正義』を誰に恥じる事も無く叫んでいた。
何時の間に立場が逆転したのだろう。
誇らしげに掲げていた正義の御旗は、何時の間にはためく向きを変えたのだろう。
それは、誰にも判らなかった。

無論、考慮していなかった訳ではない。
国政を預かる執行部会会長として、常に最悪のケースは想定の範囲内においていたはずだった。
世界連邦政府加盟国の一つが、正規騎士団の庇護下にあったにもかかわらず、為す術もなく蹂躙された現実。
それを受けた帝国議会が満場一致で『徹底抗戦』を採択し、全世界に対して総員第一種戦闘配備が勧告された現状。
今や全ての人間が明日を約束されぬ身と成り果てたこの世界で、久瀬ともあろう者が『それ』を考えていないはずがなかった。

いずれこの国にも、逃れようのない戦禍は訪れるであろう。
どれだけ被害を最小限に食い止めようとしても、兵卒や民の幾許かは命を落とすであろう。
そしてそれは、自分も例外ではなく。
指揮官が前線に赴くなど滅多にある事ではないが、戦時下においては全ての可能性が可能性では収まりきらないものである事を、久瀬は確かに知っていた。

だから、覚悟はしていた。
明君として名高い父親の後を継ぐ決意をしたその時から、久瀬は奪う覚悟と奪われる覚悟の両方をその身に宿していた。
眼前の何者かを殺す覚悟。
眼前の何者かに、殺される覚悟。
無論、躊躇いがないと言えば嘘になるし、恐怖がないと言えばそれもまた嘘になる。
それらの感情を失くしてしまうのは『覚悟』ではなく、ただの末期的な心神喪失である。

一兵卒であれば楽だった。
最前線に立つ名も無き一兵卒であれば、こんな思いはしなくてもすんだ。
自分の命令で、沢山の人が死ぬ。
自分の判断で、沢山の人が殺される。
殺すのは、自分の意志だ。
殺されるのは、自分の過失だ。
数限りない人間の生殺与奪を双肩に背負い、数限りない怨嗟の声を耳に聞く。
だが、それは自ら選んだ道のはずだった。
だから
久瀬は、いつでも不遜に言い放つのだった。
恐怖に怯え、罪悪感に苛まれ、種々の葛藤で臓腑を煮え滾らし。
それでも尚、一切の感情を表に曝け出す事無く、屍山血河を踏破する覚悟を持つ者こそが――

「声の届く限りで構わん、全軍に布告しろ。 国政執行部会会長の名の下に、この国はたった今から、第一級戦闘状態に突入する」