「知らねーですだ。 オラは何も盗ったりしてねーですだ」
「やいやいやいやい小悪党! テメェが覚えてなくってもなぁ、このっ!」
 
そこで北川、ぅばっと制服の首筋から片腕を出して。
 
「闇夜に咲いた桜吹雪が忘れちゃいねぇぞ!」
「……まだやってたの?」
 
多分に呆れの色が強い声。
二人が振り向けば、そこには悠々と昼食を終えて帰ってきた香里の姿があった。
昼下がりのアンニュイな空気を身に纏った彼女は、他を遥かに超越した次元で美しい。
隣りでひたすらにヘコんでいる様々な意味でブルーな少女には、あえて誰も触れようとしなかった。
 
「か、かおりぃー。 きた、きた、北川が非道いんだぜー」
 
半分本気、半分演技の涙声で、祐一は香里に抱きついた。
ばふっとぎゅーっと抱きついた。
瞬間的に真っ赤になり、取り乱す香里。
だが更にその数瞬後には、まるで子供をあやすかの様に祐一の頭を撫でたりしていた。
クセの少なく柔らかい髪が、されるが侭に香里の手の中で踊る。
細くしなやかな指が、愛撫にも似た優しさで祐一の頭を滑る。
北川含め周囲は、男女それぞれに違う対象に向けて思った。
何て羨ましい。
 
「よしよし。 この様子だと北川君に相当いじめられたらしいわね」
「俺の言う事なんてこれっぽっちも聞かないでさー。 お前がやったお前がやったってーっ」
「だ、だって美坂も相沢が疑わしいって……」
「被疑者と犯人を同程度に扱うとは随分と非人道的ね。 大丈夫よ、相沢君。 あたしが来たからにはもう、今みたいな横暴は許さないから」
「お、俺か? 俺が悪いのかっ? 否! 断じて否! 俺が悪いのではなく本当に憎むべき奴は他に居るではないか!」
 
所詮は”迷”探偵。
なんだか判らない内に二人分の批難の視線を浴びた北川は、しかし少しもたじろがず、むしろヅカ風の身振り手振りを加えてまで自らの無実を皆にアピールした。
さっきまで祐一を無実の罪で責め立てておいて何を言うか、と皆は思った。
別に本気で北川を悪人扱いする訳ではないが、やはり物事にはメリハリがあった方が良い。
正義方が見目麗しい美坂お嬢ならば尚更の事だ。
よく事情を知らない人間が半数くらいいたが、それでも事の経緯から察するに香里が北川の弁を聞き入れそうに無い事は確かだった。
だが。
 
「そうね、北川君の言う通りよ」
「強いて言うならばマルクス=エンゲルス主義の資本経済が……って、へ?」
「憎むべきかどうかは判らないけど、少なくとも今この場で責められるべきなのは相沢君でもなければ北川君でもないわ。 安心して」
 
そう言って北川に向けられたのは、さっき半泣きの祐一をあやしていた時よりもひょっとしたら優しいかもしれない微笑。
数秒前までは四面楚歌だっただけにその破壊力は凄まじく、北川はもう百回以上になるだろう『惚れなおし』を経験していた。
 
「……いちごむーすぅ」
 
その傍らには、既にカタカナ発音すら出来なくなった名雪がいたりした。