学食にて
 
”迷”探偵相沢祐一が同じく”迷”探偵である北川潤に連れ去られてから数刻。
えぐえぐと涙を流す親友を尻目に自分の頼んだB定食をゆっくりと食べ終えた香里は、ふと自分に注がれている視線の存在に気付いた。
それも遠くからではなく、ごく間近から。
不思議に思って顔を上げると、何時の間に其処に居たのだろうか、整然とした佇まいをした一人の少女がちょこんと香里の目の前に立っていた。
そう、彼女は確か―――
 
「天野さん?」
「お久し振りです、美坂先輩」
 
言って、ぺこりと一礼。
ついさっきまで戦場であった学食にはあまりにも似つかわしくない涼し気な表情をした彼女に、香里は確かに見覚えがあった。
二年C組、天野美汐。
栞の友達と云うよりもむしろ祐一の知り合いとして頭にインプットされている事実は、本人もそして対象である美汐も気付いていなかった。
 
「どうかした?」
「ええ、ちょっと―――」
 
口元に手を当てながら名雪を見る。
たったそれだけの仕草で、香里は美汐の言いたい事を八割方まで理解した。
美汐もまた、香里が自分の云いたい事を察していると言う前提で二の句を告がずに居る。
あくまで静かに、しかし二人の意思はとんでもなく高い位置で同調の兆しを見せていた。
 
「座ったら? 立ち話もなんだし」
「それでは失礼して」
 
何気なく行われた、しかし見る者をドキッとさせるには充分な、後ろ手に腰の辺りからスカートを抑えて座る優雅な仕草。
そのまま和服での立ち振る舞いに流用されてもおかしくないほどの完成された動きに、香里は人知れず小さな劣等感を感じていた。
作法教室とか、通ってみようかしら。
 
「不躾な質問ですが―――」
 
欠片もしつけの為されていない部分など見当たらないが、そこはやはり日本女性の奥床しさだろう。
伏し目勝ちな視線がつと香里に向けられ、それから美汐はゆっくりと話しを始めた。
 
「美坂先輩は、本当に相沢さんの事を疑わしき人物だと思っていますか?」
「いいえ?」
 
事も無げに答えた香里の言葉に、傍耳を立てていた周囲の無粋者達は驚きを隠せず、学食の中が少しだけざわついた。
自身に注目が注がれる事をどちらかと言えば嫌う傾向にある美汐が少しだけ眉を顰めたが、残念ながら本質的に無遠慮な観衆はそれに気付かなかった。
 
「私はこれ以上の騒ぎを嫌っただけ。 それに、相沢君が本当の犯人だったとしたら―――」
「―――なるほど」
 
二人が同時に見詰めるは、マジ泣き注意報発令中の水瀬名雪。
本来ならば至福の時間であるはずの食後は、今や悲しみに暮れるだけの無意味な時間と成り果てていた。
そう、仮にもしも万が一の話しで相沢祐一が犯人だったとしたら。
きっと、彼女が本気で凹んだ瞬間にイチゴムースを返していただろう。
それでも機嫌を損ね続ける彼女の為に食べたくもないAランチをもう一つ頼み、そのデザートを惜しげも無くプレゼントしていただろう。
相沢祐一とは、そういう人間だ。
 
全てを言わずもがな、目配せのみで香里の論旨を理解した美汐が軽く微笑んだ。
とてもとても柔らかく、それはそれは美しく。
その微笑が誰に向けられたものであるかを察せないほど、香里は鈍感ではなかった。