クヌギ食品は、昭和四十五年に初代社長である『椚 将俊(くぬぎまさとし)』が個人で創設した有限会社である。
現在は将俊の息子である『椚 将門(くぬぎまさかど)』が二代目社長の座につき、その手腕を振るっている。
創設当初は従業員二名(社長と奥さん)の零細企業だったが、バブルの波に乗り急成長。
その中にあって早くから地域密着と云う方向性を示し、バブルがはじけた後も雪の降る町と共に存在し続ける。
市内に在る殆どの小学校と提携し、定期的にデザートを主とした加工食品を配送している。

「別に特定の誰かから怨みを買ってそうな節は無いわね」
「こんな概要だけ見た限りじゃ何とも言えないが、まぁ怨恨って線は薄いと考えていいだろうな」
「てか会社自体に怨みがあるとしたら、そもそも配送ドライバーが襲われる訳がないと思うんけど?」
「甘いな北川。 仮に配送ドライバーが人質だったと考えたとしてもだ、脅迫とかの動きがあったらそれこそ警察沙汰だろ」
「あ、そうか」
「配送ドライバー本人に対しての怨恨となればこれはもうお手上げだが、その線も薄いと俺は踏んでいる」
「……仕事中に襲うメリットが、犯人側に無いからか」
「ご名答。 少なくとも俺が犯人なら、休日の動向を調べて襲う方の選択肢を採るな」
「事件は発覚が遅れれば遅れるほど犯人にとって有利だものね。 私でも休日を狙うわ」
「じゃあやっぱり犯人の狙いは……」

イチゴムース?
イチゴムースが食いたかったのか?
しかもトラック一台分の?

活発に議論を進めていた3年生組が一斉に押し黙り、三者が三様に何やら負に落ちない表情を見せた。
お互いに顔を見合わせればやっぱり考えている事はみんな一緒の様で、しかもそれに納得がいかないのもみんな一緒の様で。
ふーむと腕組しながら他の理由を考えようとしても巧くいかず、口をついて出てくるのは溜息ばかりだった。

「なぁ天野。 お前はどう思う?」

片手だけで無作法に茶碗を掴み、ずずいと緑茶を喉に流しこみながら祐一が問う。
その様子は単に『意見を求める』の範疇に収まらないほど情けなく、どちらかと言えば『助けを求める』の方がぴったりだった。
対する美汐はいきなり話を振られたにも関わらず、それどころか祐一が自分に意見を求める事を予め判っていたような素振りで。
お茶を一口こくりと嚥下。
はふーとほんわか吐息を一つ。
それから二回だけ瞬きをして、ようやく祐一の方に向き直った。
なんだかとても風雅だった。

「直感は、大事ですよ?」
「……って事は?」
「相沢さんが考えている事で間違い無いかと」
「俺が考えてる事って言ってもな……」

犯人はとてもとてもイチゴムースが大好きな人だった。
しかしこの不況なご時世の余波を受けて失業、手元には僅かな小金しか残らなかった。
イチゴムースが食べたい。
でも金が無い。
思い余った犯人はついにイチゴムースを配送途中にトラックごと奪う暴挙に出た。

自分で考えていながら何とバカな犯人だろうと、祐一は思った。
イチゴムースの単価なんてどれだけ高く見積もっても200円を下るだろうし、その程度なら日雇いの仕事で腐るほど買える。
何よりかによりイチゴムースの為に一生を棒に振るだなんて、そんなバカなとしか言い様がなかった。
そんなバカなとしか、言い様が。

「……犯人の本当の目的は、イチゴムースなんかじゃない」
「はい、よくできました」

後輩がするにはあまりにも包容力のありすぎる微笑。
後輩が持つにはあまりにも自分を凌駕している思考力。
そのどちらもが祐一の心を揺さ振り、揺れる心は共振運動【ハウリング】によって更に揺れ幅を増し。
”あの”天野美汐が照れくささに頬を染めて俯くまで、祐一は目の前の素敵な後輩から視線を逸らす事が出来なかった。