「公務員が月の半ばに給料を貰い、それからの半月で勢い良く商店に金を落とす。
 そして落とされた金が集め束ねられて、月の最後にサラリーマンが給料を手にする。
 これが天野の言ってた、『金は天下の回り物が社会の仕組みになっている』の意味だな?」

そこまでを一息に言い、問い掛けの視線を美汐に投げかける祐一。
言葉を挟む余地も無い完璧な『理解』に称賛を送るかのように、美汐はこっくり頷いた。
やっぱりこの人は、愚者の衣を纏う賢者だ。
だけどまだ、『出口』までにはまだ遠い。
『私』にまではまだ足りない。
ほら、がんばって。
もう少しですよ。

「クヌギ食品は言わずもがな、『商人』に分類される。
 って事はだ、給料日は例に洩れず月末のこの時期って事になるだろう。
 そして今、イチゴムースを目的としない何者かによって、イチゴムース配送のトラックが襲われた。
 ここまで到ればもう、俺は確信を持って言えるぜ。
 クヌギ食品の給与受け渡しは、銀行振込なんかじゃなく、未だ持って現金手渡しで行なわれている。
 そしてその現金輸送には、カモフラージュの意味合いも込めて普段から食品配送トラックが使用されていた!」

昼下がりに良く似合う金色の光が背後から降り注ぎ、彼の輪郭が黄金に霞む。
逆説的に瞳の部分を覆う陰はとても色濃く、しかしその陰ですら、真実を見据えた双眼の光は隠せなかった。
これが、本気になった相沢祐一。
いつもこうなら周りの評価ももっと違っていただろうにと思った香里は、二秒後にその考えを即座に訂正した。
切れ味鋭い日本刀は、存在する大半の時間を鞘の内に置くからこそ、抜き身になった時に迫力を持つのだ。
垂れ流し続けられる魅力は、既に魅力ではない。
そして今の彼は、そう言った意味ではある種ズルイと言われても仕方の無いほど魅力的だ。

「……そう、今回の事件は非常に計画的でありながら、肝心な所で画竜点睛を欠いた阿呆な犯人によるものです」

はい、よくできましたね、相沢さん。
言葉に出す代わりに全くの笑顔を見せる美汐は、祐一とは違った意味での『抜き身』を隠し持っていた。
図書館に入った時に見せた笑顔が『最高』ではなかったのかと、ただひたすら彼女の魅力の奥深さに驚く香里。
きっと『素直な女性が可愛い』とする世間一般の男共は、本当に魅力的な女性【ひと】に出会った事が無いのだろうと彼女は思った。
互いの全てを知り尽くすまでが愛ならば、その引出しは無限とも思えるほど多い方が望ましい。

「犯人の真の目的は、クヌギ食品全社員の給料。
 犯行手口は到ってシンプルに、現金輸送車の強奪。
 恐らくは事前の下調べで、クヌギ食品と提携している銀行と現金運搬に使用される車種を把握していたと思われます。
 ですが、ここで犯人側にたった一つの誤算が生じました。
 これは臆測の域を出ませんが、今日に限って銀行の方でもイチゴムースを必要とする何事かがあったのでしょう。
 結果、本当の食品配送車であるトラックAと現金輸送車であるトラックBが銀行を訪れる事となった。
 しかし犯人側は、その事実を知らなかった。
 手に入れた情報とは違った時間帯ながらも『銀行にクヌギ食品のトラックが来た』と云う事実に流された犯人は、間違ったトラックAを強襲。
 市民から警察への連絡が為されていない現状から思えば、非常にスムーズに犯行が行なわれたと考えるのが妥当です。
 そしてスムーズに行なわれた犯行と云うものは、得てして付近の地理感に富んだ人間が行なうもの。
 トラックBが襲われたとの情報が入っていない以上、犯人は地元の人間で、実行グループのみの少数で形成されている確率が高いですね」

決して『底』を見せぬ淡々とした口調、涼しげな面持ち。
真正面から陽射しを受けていながらも何処かに見える仄かな陰。
醒めた瞳は抑揚を見せず、それでも見詰められれば確かに心地良い。
これが、本気になった天野美汐。
否、これでもまだ本気かどうかは見えてこない。
まったくもって年齢不相応な深みを持つ素敵な後輩に、祐一は隠そうともしない驚嘆の溜息を吐いた。
やれやれ、敵わないなコイツには。

「一つ、いいかな?」

わざわざ小さな挙手をしながら発言許可を取るのは、第五十三回イチゴム中略会議のいつのまにか書記長になっていた北川だった。
無言で先を促す美汐に微かな笑みを返し、まずは発言権を得た事に感謝の意を示す。
普段が普段だけに気付かれる事こそ極端に少ないが、中々どうして北川の態度は妙なまでに紳士的だった。

「犯人が地元の人間ってトコだけど、そうとも限らないんじゃないか?」
「と、言いますと?」
「ちょっと詳しい地図を見りゃ裏路地まで判るこのご時世だ。
 手口だけじゃなく逃走までを範疇に入れて『犯行』とするのには賛成だけど、それで犯人像を地元に縛るのは早計じゃないかと思ってさ」
「……意外と真面目に聞いてたんだな、お前」

呟いた祐一の言葉は、その場に居た北川以外の人間の思いを的確に表していた。
まったく、何て失礼な親友だお前等は。
そんな風に言いながら形式的に拗ねてみせる北川の存在は、場の雰囲気を和ませるのにこれ以上無く一役買っていた。
ただしそれが意図的かどうかは、誰にも判らなかったが。

「その点に関しましては……」

そこまで言って、ふと考えこむ仕草を見せる美汐。
しかしその雰囲気からは、欠片も『北川の問いに答えあぐねている』と云った様子が感じ取られなかった。
それよりもむしろ表現として適当なのは、言ってしまえば小学校低学年の生徒を前に何事かを教えようとしている先生の姿だろうか。
既に確定している『答え』をどうすればそれを最も易く理解させてあげられるだろうかと思案する、そんな『先生』の姿に、今の彼女は酷似していた。
そして―――

「……判りました」

そして彼女は、すっくと立ちあがった。
達した結論は結局、最も判りやすい一つの真理。
『百聞は一見にしかず』
何故なら事件は図書室で起こっているのではなく、現場で起こっているのだ。
ならば実際に現場に行って、それから全てを語ってみましょうか。

「それじゃあ相沢さん、行きましょう」
「へ、え、はい? 行くって……何所に?」

勢いこそ良くは無いが、余りに唐突に祐一の手を引いてみせる美汐に、祐一は先程までとは比べ物にならないほどの隙だらけの表情を見せた。
それはそう、奇しくも『先生』に対する『生徒』の様に。
射貫くような狼の眼差しを見せたかと思えば途端に付け入る隙を露わにする祐一を、美汐はやはりとてもカワイイ人だと思っていた。
賢者と、愚者。
これではどちらが『鞘』でどちらが『抜き身』か判らない。
でも、判らないならそれはそれで構わないなとも美汐は思った。
要は、普通の人の二倍以上の魅力を彼が有していると云うだけの事。
その両方を私が好意的に思っているのだから、何も問題は無いんですよ。
ね、相沢さん。
一緒に行きましょう。

「イチゴムース欠損事件、解決編ですよ」