「――って事は何か、あの廃車置場に行った時点で俺達の勝ちは確定してたってのか?」
「確定、ではありませんけど。 そうですね、九割九分は揺るがなかったでしょう」

そんな驚くべき事実がなんとものほほんと発表されている、三笠第三廃車置場からの帰り道。
事件後のぎゃーすか騒動が一段落した後、彼等は学校へと戻る道をのんびりと歩んでいた。
無論、残りの授業を真面目に受ける為ではない。
既に六時間目は始まっている時間だし、戻ったら戻ったで教師に何を言われるか判ったものじゃない。
しかしながら、今回の事件で最も甚大な被害を受けた女子生徒の涙を思えば、そんな事は本当に些細な事でしかなかった。
とにかく早く報告したい。
悪者はやっつけたと言ってやりたい。
さすがにサボっていた授業の最中に突貫する勇気までは持っていなかったが。

「考えてみればそうよね。 相沢君や北川君ならともかく、天野さんが何の策略もなく犯人の前に姿を見せるとは思えないわ」
「おいおいマイフレンド、そいつは随分な物言いじゃないか?」
「そうだぜマイフレンド。 それじゃまるで俺達が考えもなく行動しているみたいじゃないか」
「なら訊くけど、あの廃トラックの上で決め台詞を喋ってた時、あなた達は何を考えてたの?」

二人、顔を見合わせる。
刹那、疎通が完了する。

「「そりゃ、目立つ事ばかりを」」

ハモった。
完璧だった。
二人が為したのは近年稀に見る物凄い精度でのアイコンタクトだったが、その内容もまた物凄い勢いでくっだらないモノだった。
美坂さんの眉間に鈍い頭痛が停滞する。
寸での所でどっかんしそうになる。
しかしそれを見事な間合いで制したのは、意外な事に美汐の言葉だった。

「助かりましたよ、お二人が天然でその役を担ってくれて」

天然、この場合はむしろ良い意味で使われたのだろう。
微かに口元を緩めながら二人に感謝の意を示す美汐が、やたらと可愛かった。
この娘が助かったならそれで良いか。
ああ、なんだか判らないけど天野が助かったならそれで良いや。
易とも簡単に思考停止に陥った迷探偵二人をジト目で睨んでから、香里はその疑問を投げかけた。

「それは、注意を引きつけるって事?」
「いいえ。 正確には、彼等を苛立たせる事です」

するってーと俺達は素で人を苛立たせる存在なのか。
ちょっとだけアレな役回りを天然でこなしてしまった事に若干の不安を抱える二人がそこにいた。

「とにかく先に切り札を出してもらいたかったんです。 何かと対峙する場合、最も恐れるべきは彼我の戦力差ではなく己の無知ですから」
「切り札を見るだけ、にしてはリスクが高すぎたんじゃない?」
「七並べ」
「……はい?」
「今回の場合、状況を最も的確に表しているのは、トランプ遊びの七並べだったんです」

七並べ。
ルールは簡単、各絵柄の『7』を起点としたカード並べである。
無論、駆け引きは数多に存在する。
カードが配られた時点で敗北を予感する事も多々あるが、そこで読み合いを放棄するのはただの負け犬である。
止め、誘い、染め、状況を覆す為の手段には事を欠かない。
そして七並べにおいて最も特殊な能力を発揮するカードが、そう―――

「七並べにおいて、JOKERは切り札。 ですが、他のゲームとは異なり、同時に死神でもあります。
 最後まで手元に残された死神はその主を破滅に追い込みますし、早過ぎる使用は後に復讐の刃として己を襲う。
 空白の補完としてジョーカーを使った場合、空位のカードを埋めた人間の元にそのジョーカーが移動することは知ってますよね」

言わずもがな、誰もが頷く。

「つまりあの場合、『拳銃』と云う切り札を彼等が先に切り出したと云う事になります。
 しかしそれは同時に、私達に『情報』と云う刃を与えてしまう事に他なりませんでした。
 手の内に迎え入れられた切り札は、私達が手にしていた既知の情報と融合して新たな姿に変貌を遂げます。
 そしてそれこそが、私が最も欲しかった手札。 状況を五分以上に持っていけるWILD CARD。 力ではなく情報としての、脅しの鬼札です」

確かに、と香里は思った。
拳銃の所持と云う彼等にとって最も強力な切り札は、反転してしまえば自らの罪状を一つ増やす死神に他ならない。
考えてみれば彼等には作戦遂行段階で運転手を脅す必要性があり、現にそれは成功しているのだった。
犯人が凶器を所持しているのは偶然ではなく、既に必然。
後はどうやってその切り札を先に切らせるかの勝負であり、目の前の後輩は見事なまでにそれをやってのけたのだった。
まったく、末が恐ろしい。

「刃物の類であれば、距離を取っている以上安全。 仮に銃であっても、殺傷を目的としていない限り交渉の余地があったって事ね」
「……まぁ初芝肉店の倅さんは充分に『覚悟』を決めていたようですけどね」

さらりと投下される、爆弾発言。
彼に殺意は充分ありました。
加えて彼が持っていたのはロングレンジでも攻撃可能な拳銃と云う凶器でした。
って事は、って事はつまり。

「紙一重、ですよ」
「だ、だってさっき『九割九分は勝ち』だって言ってたじゃない」
「ええ。 ですから、残りの一分に引っ掛かってたんです。 そこからどう転ぶか、こればっかりは運ですから」

夜の八時におつとめ品が残っているかどうか判らない。
こればっかりは運ですから。
まったくもって日常のヒトコマと変わらない抑揚で生死の境を運扱いされた美坂さんは、改めて自分が死地に身を置いていた事を実感した。
そうだ、そう言えばあの時は凄くおっかなかったんだった。
おっかなくて、言葉もろくに出なくて、足が震えて。
だけど、背中が暖かかったんだった。
思い出す、視界を遮ったその意外なほどに広い背中。
もう遠い記憶の中にあるお父さんの背中より、何故か彼の温度は安心できた。
身体を張って守ってくれた。
北川君。
ありが―――

「見て見てー、じゃーん! イチゴムースどーん!」
「なに盗んできてるのよっ!」

尊敬とか感謝とかの感情が一瞬にして吹き飛んだ。
萌芽しかけた慕情なんて跡形も無く消え去った。
それどころか後に浮かび上がってきたのは鈍い諦観と、それから何に対するかも定かではない後悔の感情だった。

「ちょ、それって窃盗じゃないのっ! 返してきなさいっ」
「違う違う! これは水瀬の分だって。 流した涙の分も含めて、な。 ドライバーのおっさんもこれぐらいは許してくれるさ」

そんな理由で納得でき――なくもない。
犯人が自首した事を告げたって名雪はそれほど喜ばないだろうなんて事は、美坂さんだって薄々予想はしていた。
何より結果的には配送ドライバーの窮地を救った事になるのだし、それを考えればたかだか数個のイチゴムースぐらい――

「なんだ、お前も持ってきてたのかよ」
「……『お前も』って相沢君まさか」
「イチゴムースどーん! いえーい!」
「なんで誇らしげなのよっ!」

二人合わせて、10個ぐらい。
何時の間に詰め込んだのかなんてバカらしくて考えたくもないくらい、二人の制服の中にはイチゴムースが溢れかえっていた。
「さすがだな相棒」「まかせとけよ相棒」とか言いながら腕を組んでいる様なんて、見たくもないし聞きたくもない。
しかもその二人の笑顔が妙に清々しかったりするものだから、もう美坂さんの我慢も限界だった。
しかしさすがにこのバカ二人を相手に孤軍奮闘では心許無い。
何より自分の血管が非常に心配だ。
結果として援軍要請も止むなしと思った香里の前には、まぁ当然の如く美汐がいたりした。
自分の知る限り最も常識的な、相沢君に対しての最後の砦。
彼女の協力さえ仰げれば相沢君も北川君も素直に言う事を聞くだろう、聞いてくれるだろう。
何しろ彼女は今回の事件の解決に最も活躍した言わばMVPとも言うべき―――

ぼとぼとぼとぼと

「………」

イチゴムース。
美汐の足下に、小さな山を形成するぐらい。
ちょっと待って、それどこに隠してたの?

「流石は天野だな、桁が一つ違うぜ」
「ああ、びっくりだ」
「さ、早く帰りましょうか。 水瀬先輩、きっと教室で待ってますよ」

何事も無かったかのようにスーパーの袋を取り出し、イチゴムースをそれに詰め込む。
『全て予定通り』とでも言わんばかりの三人の行動は、美坂さんにある一つの疑念を抱かせた。
ひょっとして。
ひょっとしてあなた達。
そんな訳ないって信じてるけど、ありえないって判ってはいるけど。

「まさか……ただイチゴムースをお腹いっぱい食べる為だけに動いたんじゃないでしょうね」

ぼそっと呟く。
口に出してしまえばそれは、如実に真実味を帯びてきてしまった。
だがしかし、そんな香里の心情を知ってか知らずか。
そもそも呟きが聞こえていたのかどうかも判らないような底無しの笑顔を見せて、振りかえりざまに祐一は、ただ一言だけこう言った。

「なぁ香里、パーティーやろうぜ」

だから香里も、全てがどうでもよくなった。





END.