「そーいや美坂は今日が誕生日なんだよな」
「え? ええ、そうだけど」

三月一日の昼休み。
普段とまったく同じ速度で動いている今日と云う日は、しかしこの言葉によって一年に一度の特別な日へと変化を遂げた。
ひょっとしたら、一生に一度。
この歳になると誕生日だなんだってはしゃぐ気にもなれないものよ、と香里は口に出そうとしてやめた。
恐らく正しかった。

「ほう、そりゃ知らなかった。 悪いな、もっと前から知ってりゃ何か素敵なイベントでも勃発させてやれたんだが」

言わなくて良かった。
目の前で残念そうにしている祐一には悪いが、香里は心の底からそう思った。
何よ、誕生日のイベントに対して”勃発”って。
テロじゃあるまいし。

「よし判った。 ちょっと待ってろ」
「あ、相沢君?」

何が判ったのか、その場に居た二人には判らなかった。
そんな二人を尻目に、祐一は自前のバインダーから真新しいルーズリーフを取り出した。
まるで芸能人がするサインの様に目にも止まらぬ手付きで何らかの文字を描き、次いで名雪の筆箱から勝手に七色の色ペンを拝借してまた何かを描く。
それが一段落すると、今度はまたしても名雪の筆箱から勝手にカッターナイフを取り出した。
チキチキと刃を出す。
鈍色が怪しく光る。
祐一の目が、光る。
そして次の瞬間。

「あ、あぶなっ!」
「ぅあーたたたたたたたたたぁ!」

ガガガがガガガがガガガっ!

機械のような精密さを持って、カッターナイフが連続してルーズリーフに突き付けられた。
鬼神の如き形相と、音と共に創られていく縦横の線。
職人芸とはこの事か、と香里は思った。

「完成っ!」

びっ!、と机からルーズリーフを掠め取る祐一。
余程の集中力を使ったのだろう、短時間の作業ながらもその額には汗が滲んでいた。
しかし、呆れるほど爽やか。
流れるように手渡された一枚のルーズリーフよりも先に、香里は祐一の表情に注意を奪われた。

「プレゼントだ。 俺には金も時間も無いが、香里への愛だけは満ち溢れている」
「えっ、へっ? えぇっ?」

瞬間的に動揺してしまう香里。
例えそれがいつもの軽口だと判っていても、一年に一度の今日のこの日に言われるのであれば特別に聞こえるモノだった。
嬉しかった。

「あ、ありが……と、って、ちょっと待ちなさい相沢君」
「なに、礼などいらん。 とっとけ」
「花の女子高生に向かって贈る誕生日プレゼントが……」
「おう、気に入ったか?」
「なんで『かた叩き券』なのよっ!」

ばしーんと机に叩きつけられる祐一からのプレゼント、もとい『かた叩き券』
即興で作られたにしてはカラフルで、かつ切り取り線も綺麗に仕上がっていた。
一枚につき十分間のかた叩き。
二十枚綴りで使い応えはたっぷり。
一番上の部分には、『いつもご苦労様』とか書かれていた。
多分、そこが一番気に入らなかったんだろう。

「あたしはそんなに疲れてないわよっ!」
「そんな美坂にプレゼントっ! これを飲めばイライラや高血圧にも―――」
「だから何でうら若き乙女の誕生日に贈るのが薬用養命酒なのよっ!」
「そうだぞ北川。 香里に更年期はちょっとだけ早い」
「ちょっとじゃないっ!」
「そうか、ちょっと早かったか」
「なっとくするなぁっ!」

ぜーぜーと肩で息をする香里さん。
何と言うか、ものの見事にからかわれまくりだった。
いくら学年一の才女とは言え、祐一と北川のコンビを一人で相手にするには分が悪い。
それが過去完了進行形とかカルビン=ベンソン回路とかの通用しない相手なら尚更の事だった。

「もう……知らないっ」

ついにはそっぽを向いてしまう香里さん。
理知的な普段からは予想も付かない拗ね方だっただけに、その仕草は多いに可愛かった。

「悪かったよ。 からかい過ぎた。 ごめん」
「でもさ。 俺も相沢も、美坂の誕生日を祝いたいってのは本気だったんだぜ」
「………」
「バカだよな……かた叩き券なんて、今時あんなもん貰って喜ぶ奴なんか居ないのに。 でも俺、他に思いつかなくて……」
「俺は……ほら、栞ちゃんが病弱だっただろ? だから美坂だって潜在的には身体弱いのかもしれないと思って、だからその……」

今にも泣き出しそうな雰囲気で、叱られている子供の様に俯きながら話す二人。
だが、二人の言葉を聞いている香里の方がもっと泣きそうだった。
気付けなかった。
自分は、二人の暖かい思いやりに気付かなかった。
そればかりか自らに贈られた暖かいプレゼントを批判までした。
心が、ズキンと痛む。
だけど顔には出さない。
だって恐らく二人の心はもっと―――

「違うの……ホントは嬉しかったんだけど……二人がいつもみたいにあたしをからかって遊んでるんだとばっかり思って」
「嬉しいって、言ってくれるのか?」
「うん」
「俺のも?」
「北川君のも。 本当にありがとう。 大切にするね」

その笑顔が見たかったのだ。
世界中の誰に見せても『ブラボー』と賞賛を浴びるであろう香里の笑顔は、プレゼントに対する確かな御返しとして二人の心に焼き付けられた。
やっぱり今日は素敵な日だ。
そう、何しろ今日はキミが生まれた。
これ以上素晴らしい日が、一年の中に果たして在るだろうか。
少なくとも今は考えつかない。
目の前にキミが居たんじゃ、考えられない。

「「Happy Birthday Dear My Lovely Baby!」」

予めキメ台詞を用意していたのだろう、二人の声がハモった。
香里がもう一度顔を赤くし、そしてもう一度笑顔になった。
恐らく今日は、普段よりちょっとだけ特別な日だった。



「で、香里」
「なに?」
「結局の所、お前は何歳になったんだ?」
「んなっ?」
「おいおい相沢。 女の娘に歳を訊くなんて野暮だぜ?」
「おっとそうだったな。 いや、悪いな。 気にしないでくれ」
「あ……」
「愛してる?」
「あいらぶゆー?」

どっちも違う。

「あたしはアンタ達と同い年よーっ!」

叫ぶ声は確かに教室を揺らし、『ウチの委員長は怒るとおっかないんだぜ』の風評はより揺ぎ無いモノになった。



「わ、わたしの机がギザギザにっ? あれっ? 色ペンもカッターも無くなってるっ? えぇー?」

祐一の所業によって自分の机やら筆箱やらが散々な状態になっている事に気付いた名雪が半べそになるのは、また別のお話し。