「ひなま釣るぞ!」
「おう!」
「またベタなボケを……」

上から順に祐一、北川、香里の声。
それは時に昼休み真っ只中の1時30分。
学食で3月3日限定メニューの『三人官女と五人囃子の組ず解れつwith白くてどろっとした飲み物』の完売が声高らかに宣言された時の事だった。
ちなみに、命名したのは学食委員会(正式名称:学生食堂会館管理運営委員会)会長の溝口という男。
彼は後に学内情報誌である【雪割桜】の紙上でこう語った。
『いずれ誰かが通らねばならない道。 ならばその時に後車が困らぬ様に轍を作ってやるのが俺の役目だ。 誰に疎まれようと、後悔はしていない』
何だかカッコ良かったが、不埒でフシダラな命名をしてしかも酒までメニューに加えた彼に教師側は譲嬢酌量を与えなかった。
確信犯であれば尚更。
結果、校内の風紀を著しく乱したと云う罪状で溝口は停学五日間の厳罰に処される事となった。
まぁそれはどうだっていいのだが。

「で? 何所にいるのよ、そのひなまって」
「は? なに言ってんだ香里」
「へ?」
「美坂、頭だいじょぶか? ひなまなんて居る訳ないだろ」
「んなっ?」

手の平をかえす。
ことわざ辞典に出て来そうなくらいあからさまな意見の転換を見せる二人に、香里の堪忍袋の尾がみしみしと音を立てて鳴いた。
切れる寸前である。

「あ、あんた達が言い出したんでしょっ」
「何を」
「ひなまを釣るとか何とかって!」
「おいおいオヤジギャグを昼間っから飛ばすなよ。 なんだ美坂、酔ってんのか?」
「酔ってないわよっ」
「っは。 泥酔してる奴に限ってそう言う」
「〜〜〜〜っ!」

口じゃ勝てない。
でもキレたら負けだ。
香里はなにやら泣きたくなって、最後の手段に出た。

「名雪っ。 あんたも黙ってないで何か言いなさいよ」

最後の手段、援軍要請。
全てを独力で看破する事を常としている香里にしては非常に珍しい光景だった。
心なしかちょっと涙目だったかもしれない。

「………」
「ちょっと、名雪った、ら?」
「うにゃーん?」

赤い顔。
寝惚けてるようなトロンとした目付き。
うにゃん。
間違いない。
酔っている。

「相沢っ!」
「応っ!」

それだけで意思疎通を終えたのだろう、祐一と北川が同時に席から退避した。
それはもう疾きこと風の如く。
隣席に座っていた女子生徒が呆れるくらい鮮やかな引き際だった。

「にゃー」
「な、なゆっ?」
「ぅにー」
「や、やめなさいっ! こらっ! な、なめるんじゃなっ、うひぁっ」

【ガクショクメニューノアマザケデヨッパラッタナユキ】
自室のベッドの上でならともかく、衆人環視の前では絶対に近寄りたくない類の生物であった。
『アレが合意であるか否か。 それが今でも問題だ』
軽いおふざけで名雪に酒を飲ませてしまった日の次の日、12/24の祐一日記にはしっかりとそう書かれてあった。
何が起こったのかを、ここで深くは言及しない。

「だめっ、やっ、だめだったらぁっ」
「にー、にー」
「百合だな」
「ああ、百合だ」
「み、見てないでたすけぅあっ? ちょ、ちょーっ!」
「にゃーん。 ぅぐるぐるぐる」

酒粕を溶いた『甘酒』ではなく、もち米と麹と焼酎で造る本式の『白酒』。
自らの停学を覚悟してまで本物を妥協なく求めた溝口を責めてはいけない。
この場合責められるべきなのは、全てを見越してそれでも名雪に酒を進めた祐一であろう。
ついでに、『そりゃ面白そうだ』と言って話しに乗った北川も同罪。

「しかしアレだな」
「ん?」
「三人官女にはあと一人足りないな」
「あー、だな。 じゃあ栞ちゃんでも呼ぶか?」
「よし、それだ」
「それだじゃなーいっ!」
「うがっ!」

香里の投げたとっくりが、驚くべき速度で祐一の額に直撃した。
同時に飛び散る、白濁とした液体。
衝撃で瞬間的に吹き飛ぶ平衡感覚。
しかも追い討ちをかけるように眼を襲う白酒。
どろっどろ。

「てんめーコノヤロウ!」
「あ、相沢君がわるいんでしょーっ」

怒る祐一。
走る祐一。
床を濡らす白酒で足を滑らす祐一。
前のめりに転んだ先に香里と名雪がいるのは、最早使い古されたお約束だった。

「いたたたた……」
「な、何をやってるのですか……こんな公衆の場で」
「その声は天野っ? ち、違う! 誤解だ!」

傍から見れば、『妙に息の乱れた女子生徒二人を押し倒しながら白濁液塗れにしている男』である今の祐一。
弁解の余地なんか、これっぽっちだって在りはしなかった。

後日。
報道部発行の【雪割桜】には、その時の光景が写真付きでしっかりと載っていた。
『友人のコメント』と称して北川のコメントが載っていたのはまた別のお話し。
目線がしてあったにも関わらずあっさりと身元が割れた『友人J』が、某Y氏にぼっこぼこにされたのもまた別のお話し。
「なんでバレたんだ?」と首を傾げる『友人J』の頭の上では、今日も元気にアンテナが揺れていた。