海は広かった。
海は綺麗だった。
海は、心地良かった。

同じ景色しか見る事が出来なかった目は今、初めて見る世界の美しさに、流す事も出来ない涙を流していた。

水面が研磨した柔らかな光。
銀色に光る流線型の小魚達。
海流と言う名の風を受けて優雅に佇む珊瑚。

きらびやかな世界の中に自分が存在していると言うただそれだけで、ボクは幸せだった。

生きている。
ボクは生きている。
ボクは今―――

「冗談じゃない」

光が言った。

「私は、私の全てで皆を照らしている。 一生懸命に照らしている。 お前は何もしていない。 お前なんか生きてない」

「冗談じゃない」

魚達が言った。

「私は、子孫の為に生きている。 一生懸命に子を創り、育てている。 お前は何もしていない。 お前なんか生きてない」

「冗談じゃない」

珊瑚が言った。

「私は、海の為に生きている。 一生懸命に枝を伸ばし、海と皆とを守っている。 お前は何もしていない。 お前なんか生きてない」


「……で、そのとんでもなくネガティブな話しの続きは?」
「うん、まぁこの後たい焼きくんは釣り人さんに釣られて食べられちゃうんだけど―――」
「それは歌で知ってる。 まさか全てに絶望したたい焼きが、自分から釣り針に引っかかったとか言うんじゃないだろうな」
「絶望してじゃないけど、たい焼き君は自分から釣られたんだ」
「……おーけー、続きを聞こうか」


それでね? たい焼きくんは、とても悲しくなっちゃったんだ。
「そんなことないよ」って言おうとして自分の身体を見詰めたけど、やっぱりとても悲しくなっちゃったんだ。
だって、たい焼きくんの身体は誰も照らしてなんかいなかったし。
たい焼きくんは子供なんか創れなかったし。
たい焼きくんは、誰も喜ばせてなんかいなかったんだもん。

手に入れた自由は、実はただの孤独で。
輝く世界の中でたい焼きくんだけ、実はぜんぜん輝いてなくて。

生きている事の意味すらも判らなくなった事が悲しくて、涙を流す事すら出来ないのに、たい焼きくんは泣いたんだ。
涙の代わりに海の水がしょっぱくて、まるで涙に溺れてるみたいな気がして、たい焼きくんは泣いたんだ。


「……で、そのおっそろしくネガティブな話しの続きは?」
「あーもう祐一君、うるさいっ。 話しの首を折らないでっ」
「いや、首は死ぬだろ」
「うぐ?」


と、とにかくっ。
自分が何の為に生きているのか判らなくなったたい焼きくんは、もう死んじゃおうと思ったんだ。
自分なんか、生きてる価値が無いと思っちゃったんだ。

死のうとして、死のうとして。
だけどたい焼きくんは、どうやった死ねるのかも判らなかったんだ。
息もしてない身体。
鼓動も打たないこの身体。

所詮、自分は『つくりもの』だって、気付いた。

でも、それはぜんぜん悲しい事じゃなかったんだよ。
それどころか、ようやく思い出せたんだ。
たい焼きくんは、『つくられた』んだって。
たった一つの目的の為に、だけど何よりもはっきりした意味を持って、ボクはこの世に創られたんだって。


「……で、釣り針に自分から引っ掛かったって訳か」
「うん」
「それ、ハッピーエンドか?」
「『たい焼きくんは笑っていました。 釣り上げられる時も、食べられる時も、ずっと笑顔でした』」
「………」
「いいんじゃないかな。 そんな『シアワセ』があっても」

生きる意味。
産まれた意味。
判って死ねたなら、たとえ死ぬために産まれてきたとしても、それは『シアワセ』なのだろうか。
いくら自問したって、そんな哲学的な事は欠片も判らなかった。
とりあえず今の俺が言える事は、たった一つ。

「そうだな……出来る事なら俺もたい焼きくんになりたいよ」
「……どうして?」
「そこに居るだけで、お前が幸せになってくれるから」

瞬間、あゆの顔が真っ赤に燃えた。