「退避退避退避! 総員撤退! 愚図愚図するな!」
「俺はもう駄目です! 足を、足を、足をやられました!」
「衛生兵! 衛生兵! 畜生誰もいねぇのか畜生!」

冬の短い日が暮れて久しい西校舎、通称『芸術搭』の三階。
常ならば全く似つかわしくない数名の男子生徒の悲鳴が、何故か今日だけは誂えたかのように闇と噛み合って響いた。
辺りに累々と散乱しているのは、既に物言わぬ肉の塊と化した数名の屍と、それから豆。
生き残った者達はその一粒を手にとって、自嘲気味に笑いながら目の前に翳し、それから『ソレ』を、思いきり握り潰した。
初めからこんな物で勝てる筈が無かった事に、何故俺達は気付けなかったのだ。
畜生、畜生、みんな死んだ、みんな死んだ、みんな縊り殺された!
笑顔が優しかったボランティア部の竹中!
口ばっかだけど憎めなかった口喧嘩部の勝俣!
身体を張ったギャグで俺等を笑わせてくれた剣道部の田中!
みんなだ! みんな死んじまった!

「畜生! 畜生! 何だってんだ畜生! 化物め! 悪魔め! 怪物め!」
「……違うぜ、熊谷。 そいつは違う」
「っ!!」
「俺達は畜生じゃない。 化物でもない。 勿論悪魔でもなけりゃ、怪物でもない」
「あ、あ…ああっ!」

何時の間に眼前に居たのか、気が付けばそこには髪の長い一人の男が居た。
その手には、鈍磨な突起の付いた鉄の棒が握られている。
ガタガタと脅えながら後退る熊谷。
手にした豆を投げようとする気力は、今の彼には存在していなかった。
種としての劣等性が産み出す『絶対』に抗えず、ただひたすらに恐怖を顔に張りつける。
その有り様は、宛ら『死』を具体化したようなものだった。
そして熊谷の目の前に立つ男が纏う雰囲気もまた、色濃く『死』を髣髴させる物だった。

「いいか熊谷、覚えておけ。 ……いや、もう判ってるんだろう?」
「何でだ! 何でお前があぁぁっ!」
「俺達は……っ!」

限界まで背筋を捻り上げて振りかぶった状態からの一閃が、目にも止まらぬ速度で空気を切り裂く。
刹那の後、肉に包まれたCaの容器が鋼鉄の一撃によってひしゃげる音が、仄暗い校舎に響いた。

糸の切れた操り人形の如く床に崩れ落ちる熊谷は、既に『人間』ではなかった。
魂の抜け落ちた肉の器は、ただの躯。
己以外に誰も居なくなったにも関わらず、否、誰も居なくなったからこそなのか。
それともその言葉は、熊谷が今際の際に残した叫びへの答えだったのか。
暗闇に一人佇む彼――相沢祐一は、周囲に負けないほど暗くそして黒い響きを持つ声でぽつりと呟いた。

「俺は、鬼だ」