『ナマイキな鯖がいるらしいので、ちょっとシメに行ってきます』

そんな書置きを残して、昼休みの教室から祐一は姿を消した。
しかし美坂チームの面々は、その奇怪な行動に関しても「なんだまたか」と云う反応しか示さなかった。
3-Bのクラスメート達も、多少は首をかしげながらも、「まあ相沢だしな」の一言で思考を停止させていた。
別に騒ぎ立てる事じゃないよな。
ああ、三日ぐらい前にも似たような事をやっていたしな。
彼らにとっての祐一の奇行とはこの様に、今や日常レベルと言っても過言ではないほどの市民権を得ているのであった。

だが、困ったのは五時間目の授業を担当する教師である。
数々の教材を抱えて教室に入り、さあ今から始まる楽しい授業を――と思った所で、祐一が席にいない事を発見した時。
彼の眉間には、グランドキャニオン級の物凄く深いシワが刻み込まれた。
そして、祐一の席に残された書置きを発見した時。
彼が初めにした事は、まず窓の外の景色をぼんやりと眺める事だった。
それから眼鏡を外して盛大な溜息をつき。
目じりを指でぐいぐいとマッサージし。
天を突かんばかりの大きな背伸びで心身ともにリラックスしてからもう一度その書置きの文面に目を通して――
ゴミ箱に、鬼のような形相でぶち込んだ。

「水瀬。 事と場合によっては今ゴミ箱にぶち込んだ書置きが相沢の遺書になる訳だが、奴の従姉妹として何かフォローのようなものはあるか?」
「フォロー……かどうかは判らないですけど、祐一には祐一なりの事情があったんだと思います」
「ナマイキな鯖をシメるのがその事情か? どう考えてもただのサボり、しかも先生をおちょくっているとしか思えないんだが」
「えーとですね……多分、魚政さんに活きの良い鯖が入ったんだと思いますけど」
「うおまさ?」
「商店街のお魚屋さんです。 最近祐一、『俺、商店街親父連合に加入したんだぜ』って自慢げに言ってましたので」
「何だその、商店街親父なんちゃらってのは」
「商店街にお店を持ってる人たちの寄り合いだって、祐一は言ってました。 何でも、特例で加入させてもらったとか」
「それで……魚屋の親父から連絡が来たと?」
「鯖は足の速い魚だって言いますから。 だから、生で活きの良い鯖がいるって聞いた祐一は、飛んで行っちゃったんじゃないかと思います」
「シメるってのは?」
「多分、お酢で」
「………」
「………」

沈黙。
後、先生の溜息。

「水瀬」
「はい」
「お前、相沢と結婚した方が良いんじゃないか?」
「私はそう思ってるんですけど、なんか祐一にその気がないみたいなので」
「そうか」
「はい」
「残念だな」
「それほどでも」
「よーし、それじゃテキスト35P開けー。 今日は15日だから15番から和訳当ててくぞー」

淡々とした会話をそこで打ち切り、何事も無かったかのように授業を開始する英語教師。
あまりにもさらりと答えたので、名雪の爆弾発言はものの見事に皆にスルーされていた。
そんなこんなで、今日も学校は平和であった。