「おはよう香里。 今日もいい天気だな。 そして俺は何色だ?」
「……おはよう相沢君。 今日もいい天気ね」

悩んだ時間、僅か2秒。
三つの文で構成された朝の挨拶の最後一文だけを華麗に無視した香里は、いつも通りの素敵な笑顔を祐一に叩き付けた。
私は何も聞こえなかったし、聞こえたとしても答える気なんて欠片もないわ。
そんな無言の圧力を付加した微笑みに、しかし祐一はまったく頓着しなかった。
気付かなかったのではなく、気付いた上であえて無視をする。
自分がした事とまったく同じ事をされてしまった香里は、これ以上の抵抗が無駄である事を今までの経験から十重にも二十重にも知り尽くしてしまっていた。
天才は無駄な努力すらも何らかの結果に変える事ができるが、秀才は筋道立てた努力からしか何も得ることができない。
たとえ今ここで得る物があったとしてもそれがこれからの自分の人生を全く豊かにしないであろう事は、それこそキラウェア火山の噴火口を覗き込んだぐらいの火を見るよりも明らかだった訳で。

「ヘイ、俺は何色だ香里! 英語で言うとワットカラーイズミー! 無視すんなこの学年主席!」
「……名雪、解説してちょうだい」

香里は、全ての抵抗を諦めた。
人生、諦めが肝心よね。

「昨日の夜にテレビでやってたの。 色診断だって」
「色診断?」
「他人が自分に抱いている印象を、色ごとに分析できるんだって」
「くっだらない。 それって中学生ぐらいの子が喜んでやる心理テストと似たような――」
「美坂おはよーう! な、な、俺って何色だと思う? 英語で言うとマイカラーイズ……イズ……今日はいい天気だな、美坂!」
「馬鹿が増えた…」

溜息とともに、思わず本音の零れてしまった美坂さん。
爽やかな朝だと云うのに物凄い倦怠感が漂っている親友の姿に、横で見ていた名雪は苦笑いの表情を隠しきれなかった。
止めない私が言うのもなんだけど、朝からお疲れさま。
でもね香里。
私はこれ、家でも毎日なんだよ。
言えない言葉を飲み込んで、今日も名雪の笑顔ははにゃーんとしていた。

「何色って訊かれても……私がもし浅葱色とか萌葱色とか答えたらどうするつもりなの?」
「日本語で答えてくれよ!」
「日本語よ!」
「幼稚園児が使うクーピーぐらいの色彩感覚が、俺と美坂を繋ぎます!」
「あーもう、じゃあ黄色でいいわよ! 二人とも目が痛くなるくらいの黄色!」
「………」
「………」
「な、何よ」

突然黙り込んだ二人に、思わず声が上ずってしまう美坂さん。
何色だと訊かれたから正直に答えたのに、言ったら言ったで黙り込むなんてのはあんまりなんじゃないだろうかと香里は思った。
ふと横を見ればこの場で唯一の味方であるはずの名雪まで「うわぁ…」な顔をしているし、二人は相変わらず何を考えているのか判らないほど複雑な表情で固まっている。
こんな事になるくらいならいっそ何も答えないで馬鹿二人を騒がせておいた方が幾百倍もマシだったと、香里が柄にもなく沈みかけた瞬間――

「……どっちだ」
「……え?」
「俺と北川! どっちの方が香里の中で黄色度数が高いんだ!?」

叫ぶ祐一。
神妙な顔をしている北川。
って言うか黄色度数なんて言葉初めて聞いたわよ、と香里は思った。

「この黄色勝負で相沢に負けたら俺は……正直死ぬかもしれない」
「奇遇だな北川。 俺もお前に負けたら、そこの窓から飛び降りようと思ってたところだ」
「な、何でそんな――」
「香里、香里、ちょっと」
「名雪?」

馬鹿二名の無駄な猛りに怯えた香里に、名雪が耳打ちの体勢でそっと囁いた。
「黄色ってね、そのね、あのね……セックスフレンドにしたい相手の色、なんだって」、と。

「まさに男のコカンに関わる大勝負!」
「それを云うなら沽券だろ! でも間違っちゃいない辺りがさすが相沢だぜ!」
「だーっはっはっは」
「ぶわーっはっはっは」
「………」

祐一は笑った。
北川も笑った。
香里の手が通学鞄に伸びた。
それを見た名雪がダッシュで逃げ出した。

「どこに行くんだ水瀬。 もうすぐホームルームだぞ?」
「保健室と二年生の教室、どっちが良いと思います?」

首を傾げた石橋の耳に、祐一と北川の悲鳴が聞こえてきた。
栞ちゃんを呼んで香里を止めるのは間に合わなそうだから、やっぱり保健室から赤チン借りてくる方がいいかなと、名雪は思った。
黄色は注意。
赤は危険。
幼稚園児でも知ってるのに、馬鹿だなー、あの二人も。
青は進めの名雪さんは、今日も元気に廊下を走りながらそう思うのであった。