「ねえ祐一」
「おうよ?」
「花火職人って、どうやったらなれるのかな?」

八月某日、水瀬家二階。
毎度の事ながらノックの一つもせずに部屋に入ってきた真琴が言い出したのは、そんな突拍子もない質問事項であった。
どうやら最近の少女漫画の主人公って奴は、随分とアグレッシブな職業に就いてるモノらしい。
真琴の発言を問答無用で”漫画の影響”と決め付けた俺は、既にその時点で真面目な答えを返す気を失っていた。

「花火職人…花火職人なぁ…」
「やっぱ江戸に修行に行かなきゃダメかなー」
「とりあえず左リール中段に暖簾を100%ビタ押しできる様になれば、周りからは”職人”って呼ばれるようになると思うが」
「……はぁ?」
「あー、スマン。 さすがにお前にやるには、このボケは判りづらかったか」
「当たり前でしょこの馬鹿。 どこの世界にそのボケで「花火は花火でも大花火の職人って事かー」って突っ込んでくれる女の子がいるのよ」
「知ってんじゃねーか!」

ボケたはずなのに何時の間にかツッコミに回らされていると言う、何とも理不尽な仕打ちが俺に襲い掛かる。
これぞ沢渡真琴の十八番、必殺ボケ殺しカウンター。
抗えば抗っただけドツボに嵌っていきそうなので、俺はひとまず深呼吸をして落ち着くことにした。
おーけい、クールに行こうぜ相沢祐一。

「で、何でまたお前は花火職人なんてキワドイ仕事に興味を持ったんだ?」
「キワドイは余計」
「何でまた、花火職人だなんて仕事に興味を持ったんだ?」
「人に夢を与える仕事って、素敵だと思わない?」
「……はぁ」
「病気で外出できない女の子の夢を叶えるために、夜空に大輪の華を咲かせるのよ。 夢を叶えてあげるのよ!」

拳をぐっと握り締める真琴。
瞳がキラキラと輝いていた。
バックには花まで咲き散らかしていた。

「舞台は昭和40年代!当時は不治の病とされていた重い肺結核を患ってしまったフユは療養と云う名目の下に人里離れたサナトリウムに隔離されてしまうの!
 自由な外出もままならず日毎に弱っていく身体に確実な死の陰を感じた彼女はせめて最後に一目だけでも幼い頃に見た夜空に咲く大輪の花を見たいと願うんだけど
 季節は折しも冬の只中しかも当時はプライベート花火なんて概念が欠片もなかった時代だからフユの願いは絶望的だと思われていたまさにその時に偶然知り合った
 花火師を目指しているナツキが厳しい親方の目を盗んでは寝る間も惜しんで精魂込めて作り上げた未熟ながらも珠玉の出来の三尺玉が星の輝く夜空を切り裂いて――」

やはり漫画の影響かと、眉間の辺りに疼く様な鈍痛を覚えながら俺はそう思った。

「あー、はいはい。 そこまでそこまで、ストップ&シャラップ。 どうせ最後は奇跡が起こってそのフユとか言う女の子が助かるんだろ?」
「そんな陳腐なもんじゃないわよこのモミアゲ馬鹿! ここからが良い所なんだから呼吸も脈拍も止める勢いで大人しく聞いてなさい!」

超怒られた。
超怒鳴られた。
え、何この自分の部屋の中なのに超ドアウェイな感じ。
ここ俺の部屋だし何処に帰ったら良いのかも分かんないけど、とりあえず言わせてもらうわ、超帰りてえ。

「あー……人に夢を与えたいとか言ったな、そこの保育士」
「言ったわよ」
「お前、それは本気で言ってるのか?」
「な、何よぅ……。 本気よ! 真琴は本気で言ってるの! 何か悪いの?」
「いや。 別に悪くないけど」
「……へ?」
「悪くない。 全くもって悪くない。 それが本気だと言うのなら、尚更に話は早い」
「へ? え? あう?」
「お前が人に夢を与えたいと言うのであれば、今すぐに薬剤師の資格を取ってハルシオンの類を大量に手に入れて、近隣住民の静脈にでも思い切り注入してこい」
「いや、その、そーゆー直接的な方法はちょっと」

顔の前で手をぱたぱたと振りながら、俺の提案をあっさりと却下する真琴。
常日頃から物理的な手段に頼って俺に危害を加えてくるくせに、他人に夢を与えると云う分野に関してだけは直接的な手段が好みではないようだった。
まったく、何て面倒な奴だ。

「じゃあ”近々ヨハネスブルグの治安回復に国連軍が介入する”ってガセ情報でもリークして、石油とか鉄鋼の先物やってる奴らに夢を与えてみるってのはどうだ?」
「あの、いや、そーゆー俗世間の欲に塗れた夢もちょっと……てゆーかそれもう夢じゃなくてただの嘘じゃないのよ」
「その先に希望さえあれば、嘘も立派な夢になるさ。 それに、夢ってのはいつか必ず覚める妄想の事を言うんだ。 覚めない夢は、ただの現実」
「あう……真琴の好きだった祐一は、もう少し純粋な男の子だったはずなのに…いつからこんな夢のないオッサンに…」

あれ?
何だか知らないけど俺、絶望されてる?
しかも絶望される前にはさらっと告白までされてるし、そうかと思えばオッサン扱いをされている始末。
床に泣き崩れる演技の首筋や足首の辺りに無駄なまでの色気を漂わせる真琴を見ながら、話の流れとは全く関係のない所で、俺は真琴の心胆に驚愕と尊敬の念を抱いていた。
その発言が本気か冗談かの判別は置いといて、相変わらずフラットな感じでヘヴィ級な事を言ってのけるもんだな、お前って奴は。

「で、何の話だっけ?」
「花火よ、花火。 花火職人になるにはどうしたら良いのかって話」
「あのな真琴」
「あう?」
「俺の進路希望、知ってるか?」
「第一志望は東北大学の教育学部。 第二志望は北大の、これまた教育学部。 第三志望はこの家から通える範囲の文学部を適当に」
「……詳しいなオイ」
「で? それがどうしたの?」
「そこまで俺の進路希望を把握しておきながら、何故お前はそこに”花火職人のなり方を知っていそうだ”なんて言うエキセントリックな期待を挟み込もうとする」
「なんでって、そりゃ……」
「……え?」
「火遊び……好きでしょう?」

ゾクッ――!!!
瞬間的に細められた妖艶かつ壮絶なる真琴の眼差しに、俺は物凄い勢いで死亡フラグの存在を感知した。
火遊び…花火から転じて火遊びと来たか!
ヤバい、心当たりがありすぎる!

「夏休みだからって? 随分とまぁうかれちゃって……。 昨日は逆ナンしてきた娘と楽しくカラオケですってねー。 お盛んですこ、と!」
「……あぐ…あぅ…」
「その前は北川と一緒にナンパして、隣町の高校の女子生徒とダブルデート。 そのまた前には合コンに参加しちゃったりして、ノリノリで王様ゲーム」

バレている。
公務員のウィルス感染による情報流出なんか比較にならない勢いで、ここ最近の俺のお茶目な行動が全てバレている。
背筋にダラダラと嫌な汗が流れる感触を味わいながら、俺はどうにか六文字程度の疑問を口に出す事に成功した。

「……な、なぜ、それを…」
「バッカねぇ、祐一。 真琴はこれでも保育士さんよ?」

わっかんねぇ!
馬鹿だと言われようが何しようが、それだけはわっかんねぇよ!
保育士の仕事と興信所ばりの情報精度にどんな因果関係があるのかなんて、知ってもいなければ知りたくもない。
殆ど諦めにも似た思考停止の中、俺はとりあえず思った事を口に出してみる事にした。

「……まさか最近の保育士はスパイの訓練を受けているとか」
「おバカ」
「うぐぅっ」

たった三文字で切り捨てられた。
そりゃ「うぐぅ」って言うしかなくなるわ。

「子供を迎えに来たお母様方が繰り広げる、井戸端会議の内容」
「……はい?」
「これがもうホンっト驚いちゃうぐらい正確なのよねー。 しかも情報速いったらないのよまったく」
「えーと…あの?」
「特にこの時期乱れがちな未成年の不純異性交遊とかに関しては、何時に誰がどこの娘さんとどんな店に入って行ったのかまで。 完っっ璧に筒抜けなのよ、この町ではね」

くすくすくす。
口元だけは可愛らしく綻んでいると言うのに、残念ながら目付きが人を殺せるレベルである。
井戸端会議、なるほど井戸端会議。
蛇口を捻れば溺死できるほど大量に水が出てくるこのご時世に、井戸もないのに井戸端会議。
「精神が肉体の枠を越える事などない」と何処ぞの偉い人が言っていた気がするが、どうやら現代社会において行動は単語の枠を越えるらしかった。
うむ、非常にどうでもいい。
今はそんな事を考えている場合ではない。
落ち着けー、落ち着けー。
あーいや駄目だ!
落ち着いたら間違いなく死ぬな、この雰囲気は。
思考を止めるな、勢いを殺すな。
むしろ論理を捨てろ、ついでだからプライドも捨てちまえ!
最終的にこの身には、命さえ残っていればそれで良い!
よし、まずは大声で真琴の機先を制し、そこから得意のクチハッチョーテハッチョーで――!

「いっ、井戸端会議なんぞの情報をソースに俺の私生活を!」
「おだまりこの拡散型発情期!!」
「うぐぅー…」

超怒られた。
超おっかない。
マジ無理、逆らったら死ぬ、命がデスる五秒前。
なぁ、敗戦首相の吉田茂さんよ……あんたもポツダム宣言受諾する時、こんな気持ちだったのかい?
答えが返ってくるはずもない問いは、俺の心の中だけで寂しく木霊した。
つか拡散型って何スカ。
収束させた方が良かったんスカ。
朧に抱いた疑問も当然、口に出す事なんかできやしなかった。
言いたい事も言えないこんな世の中じゃ。
助けてソリマチ。

「判決を言い渡します」
「あの、せめて弁護人…いえ、何でもありません。 はい、もう喋りません。 ごめんなさい」

まだ死にたくない。
心の底からそう思った瞬間だった。

「えーと、罪状は”誰彼見境なくさかっていた罪”ね」
「……」
「それに対する罰として。 祐一は明日の花火大会に、真琴を連れて行かなくてはなりません。 当然、二人っきりで」
「……花火、大会?」
「そ。 花火大会」
「連れてくだけで良いの?」
「屋台でたこ焼きとかラムネとか買ってくれたらもっと素敵よ?」
「あぁ…いや、その程度で許してもらえるなら幾らでも連れて行くけど…」
「言っておくけど、他の女の浴衣姿に一瞬でも気を取られたりしたら、逆さにして三尺玉の筒に叩き込んだ挙句に神速で導火線に点火して盛大なまでに打ち上げるわよ」

死にますね、確実に。
夜空に咲いて散る自分を想像してしまった俺は、花火大会に行く前にアイマスクを購入する必要があるんじゃないかと思ったりしていた。
多分、それはそれで物凄く怒られるんだろうけど。

「あのー、真琴さん?」
「何よ」
「もしも、万が一、偶然ばったり奇跡的な確率で期せずして、花火大会の会場であゆとか栞に遭遇してしまった場合とか――」
「無視しなさい」

0.2秒でした。
むしろ最後まで言わせてもらえませんでした。
沢渡真琴、音速を超えた少女(スーパー・ソニック・ガール)としての覚醒の瞬間である。

「追われたら?」
「逃げるわよ」
「捕まったら?」
「振りほどきなさい」
「泣かれちまったら?」
「笑えばいいんじゃない?」

本気の目だったので、俺はそれ以上の質問が無駄である事を悟った。
とりあえず明日一日、少なくとも花火大会に参加している間だけは、真琴と花火だけを見る事にしようと心に決めた。
多分それでも飽きる事なんか全く無いのだろうと言う、妙な確信だけが胸に存在していた。
少なくとも、こうして歯切れのいい言葉をぶつけ合っている瞬間だけは、何はなくとも確実に楽しいから困るんだよな、まったく。

「夏と言えばやっぱ花火よねー」
「いや、やっぱ浴衣だろ」
「西瓜」
「水着」
「「ぺヤング」」

懐かしいCMの文句をそのままに。
何の打ち合わせもしてないのにジャストでハモったフレーズが、何だか妙におかしくて。
そのまま二人で笑いだす。
風鈴揺れる、夏の午後。
草の匂いのする風が部屋に流れ込み、机の上で所在無く開かれていた教科書のページをそっと捲っていた。