「ゆーういちっ」
「んあ?」

雪の降りしきる二月十四日、日曜日の午前十一時。
暖かな居間で真琴と一緒になってゴロゴロしていた俺の所へ、何やらご機嫌な様子の名雪がやってきた。
休みの日の午前中からコイツがこんなにシャッキリポンとしているとは、珍しい事もあったものである。
こりゃ雪でも降るんじゃないかと思って外を見れば、案の定白いアンチクショウがはらはらと舞い踊っていたものだから。
別に名雪のせいじゃないって事は十二分に判ってはいたのだけれども、それでも俺は恨みを込めて、小さくうぐぅと呟いた。

「ね、逆チョコって知ってる?」

俺と真琴が重なり合うようにして横になっているソファの背もたれ越しに、覗き込むようにして不思議な質問をする名雪。
逆光の中で淡く透ける長い髪が、肩口の辺りからさらりと流れ、とても綺麗に見えた。

それはさておき、逆チョコ?
「逆チョコとは何か?」ときたもんだ。
わざわざ『逆』と云うからには、普通のチョコとは何かが逆なのだろう。
思い浮かぶのはまず原材料だが、カカオバターではなくカカオパウダーの方を使ったチョコか?
いや、それじゃただのココアだな。
となると、材料ではなく概念的な問題か?
チョコは黒い。
黒の反対は、白だ。
だがおいちょっと待て、世の中には既にホワイトチョコレートなるものが存在しているではないか。
俺ですら知っているほど一般に浸透したホワイトチョコを指して、わざわざ『逆チョコ』なんて新たな名前をつけるだろうか。
考えるまでもない、答えは断じて否である。
だとすれば残る選択肢は――味だ。
そう、『チョコは甘い』と云う既成概念に対してこそ、この『逆』はかかってくるのだろう。
『甘い』の対義語は、『辛い』か『苦い』かのどちらかだ。
だが、俺はそこにあえて異を唱える。
何故なら『辛いチョコ』や『苦いチョコ』は既に市場に出回っているし、これもある程度の市民権を得ているからだ。
ホワイトチョコ同様、コレを指して『逆チョコ』と呼ぶのは少々二番煎じに過ぎるだろう。
なるほどつまり、逆チョコの『逆』とは『甘い』と云う概念そのものへの言葉なのではない。
むしろ甘さを体現するために大量投入される『砂糖』への、強烈なアンチテーゼなのだ。
砂糖を否定し、砂糖の対を成し、砂糖を逆手に取る調味料と言えば――

「塩が――」
「うん、全然わかってないね」

言葉の終わりを待たず、呆れ顔で、ため息一つ。
それから、これ以上の問答を続ける気配を欠片も残さず、名雪はすっくと上体を起こした。
それは、何やら馬鹿にされたような、それでいてどこか見棄てられたような気を起こさせるに充分な仕草だった。
別に適当に答えた訳じゃないのに。
それどころか真剣に考えた末の説得力を持った答えなのに、その反応はあんまりなんじゃないかと俺は思った。
いや、素直に「知らない」って言えない俺の純情な感情が悪いのかもしれないが。

「え、海老が?」
「んーん」
「十字が!?」
「プロレス技から離れなさいよアンタは…」

絡まり合った脚をこすり付ける様にしながら、真琴の冷たい突っ込みが入った。
「襟が!」とか「三角が!」とか言わなくて良かったと、心の底から思った瞬間だった。
いや、でも三角チョコって昔あったよな。
ほら、30円くらいの駄菓子屋さんで売ってたあの。
銀紙をめくると金券がたまについてて、はい、すいません、もう言いません。

「……で、その逆チョコがどうしたんだ?」
「んー、香里と電話しててその話になってね。 それで、ちょっとだけ欲しいなーって、思ったの。 ただそれだけ」

何でもない事の様に装いながら。
それでも、隠し切れない照れくささが少しだけ垣間見えた名雪の表情。
ここに至るまでの話しの流れから、どうやら『逆チョコ』と云うのは普段あまり気軽に手を出せないような類の物であると推測した。
それほど珍しい物なのか、それともお高い物なのか。
市場原理の中では両者がほぼ同義であると云う辺りまでを把握した俺は、そこで無粋な考えを打ち切ることにした。

「……イッケネエ、そう言えば北川と約束してたんだったゼ!」

ぽんっと掌を拳で叩き、いかにも「今思い出しました」みたいな振りをする。
真琴が視線だけで「うわ、超棒読み」と責め立てて来たのを、華麗な逆一本背負いでリビングの片隅へと投げ捨てる。
ぽかんとした顔の名雪を尻目に部屋に駆け込んで、コートと財布を握り締めて再び階下へ。
意外な所で鋭い名雪に何かを突っ込まれると厄介なので、俺はリビングを素通りして一気に玄関まで駆け抜けた。
財布をローライズジーンズの尻に突っ込み、ロングコートを翻しながら身にまとう。
そして、冷たい靴に足を突っ込むための覚悟に、ほんの数秒を要したその瞬間。
小憎たら可愛い同居人の声が、とてつもなく軽い調子で俺に投げ掛けられてきた。

「真琴のぶんは要らないから」
「ああ、ちゃんと買ってくるよ」
「そ」

全く噛み合ってないのに、何故かお互いに納得した顔だった。

「いってら」
「おう」

まったくもって適当なのに、何故かちゃんとした言葉のやり取りより暖かかった