その日の放課後。
豪奢な会長室の椅子に腰掛けながら、久瀬は痛む頭を抱えていた。
その原因となっているのは、目の前にばら撒かれている数枚の藁半紙。
数十余名の名前が直筆で記されているその用紙の最上部には、毛筆による立派な書体で『妖怪退治嘆願書』と銘打たれていた。
待て、相手は確か幽霊ではなかったのか。
と言うか図書委員会の貴様等、何故に唐傘連番状だ。

「……この文字は書道部部長の楮宮(こぞみや)だな。 上等だ、後で査問会を開いて締め上げてくれよう」
「かいちょー。 その場の思い付きと個人的な怨恨で、勝手に仕事を増やさないでください。 そうじゃなくても忙しいんですからー」
「面白半分で適当なタイトルをつけ、調査員の気勢を著しく削ぐ。 卑劣な行為だ、生かしておけん」
「調査員の気勢とか、元から無い物が削れる訳ないでしょう。 いいから早く活動承認手続きを取ってください」

活動承認手続き。
正式名称、『部活動及び委員会活動に属さないその他の課外活動に伴う下校時刻延長と特別活動区への出入りに関する承認手続き』。
それは、この事件に関する調査を生徒会が正式な『課外活動』として承認すると共に、それを更に学園側に報告すると言う、非常に面倒な事務手続きであった。
しかしこれが無ければ特別教室などへの立ち入りも困難であるし、下校時刻を越えての校内滞在も許可されない。
もっと簡単に言ってしまえば、調査がとても”やりにくい”。
逆に、この手続きさえ済ませてしまえば、元々の力関係が教師陣と対等かそれ以上を誇る生徒会である。
学園内における活動の制限はほぼ無くなると言っても過言ではないし、不測の事態が起こったとしても『生徒会の管轄下』と言う名目で揉み消してしまう事も可能であった。

だが。
”だからこそ”久瀬は、許可証を発行するのを躊躇っていた。
こんな三流ゴシップ誌レベルの案件に対して執行部が正式な活動免状を出す事が、今の段階になってもどうしても納得できずにいた。
しかも、調査活動するをのは他の誰でもない自分たちである。
やりたくもない仕事を、出したくもない許可を出してまで、自分は今から背負い込もうとしている。
久瀬は、とてもとても憂鬱だった。

「……なあ、沙紀」
「ダメです」
「……まだ何も言っていないだろう」
「仰られなくても判ります。 どうせ、もっともらしい理由をつけて調査を拒否するか、弱小研究会に丸投げなさるおつもりでしょう?」

オカルト研究会。
ミステリー同好会。
東方呪術研究会、
西洋魔術研究会。
修験会、陰陽頭、MMR(メイク・ミラクル・ラボラトリー)。

基本的にこの学校は『生徒自治』の理念の下に運営されているため、放課活動に関してもかなりの部分で自由が認められている。
それは、『何処にも属さなくていい』と言う帰宅部を容認するのと同時に、『何処に属していてもいい』と云う広大な権利を与える事でもあった。
無論、正式な部として承認されない限りは、専用の部室や潤沢な部費などと言った学園側からの庇護は得られない。
しかし、元より生粋のマイノリティである『彼ら』が体制側からの過干渉を好む訳もなく、むしろ放置されているぐらいがありがたいと思ったりなんかしている訳で。
結果として、この学園には実に様々な研究会や同好会が存在し、そして今現在も増え続けているのであった。

「会長、まずはその連番状に目を通してください」
「………」
「ご覧の通り、主だったオカルト系同好会の方々は、真っ先にその署名にサインなさっています」
「……何故だ。 こう云った類の噂話こそ、奴等の大好物のはずではないか」
「考えられる理由は、二通りです」

沙紀はそう言って、細い指をぴっと二本立てて見せた。

「一つは、この件が『オカルト』の範疇ではないから。 つまり、人為的なモノだと判断して興味を失ったからですね。 そしてもう一つは――」

そこまで言って、沙紀が急に声を潜めた。
紅に染まる二人きりの会長室に、不意に生ぬるい風が吹き込んだ。
はて、確か窓は開けていなかったはずだが。
首筋に嫌な悪寒を感じた久瀬が、思わずごくりと唾を飲み込んだのと同時に。
沙紀が、重々しい表情で口を開いた。

「――いかなオカルト好きの彼等とは言え、『本物』に遭遇するのは嫌だった」

それから暫く、二人は何も喋らなかった。