この学園の建物は、大きく分けて三つのブロックで構成されている。
まず、全学年のクラスルームや職員室が配置されている、『教室棟』。
式典や舞踏会などの格式ばった行事が行われる、『講堂(鹿鳴殿)』
そして、音楽室や美術室、図書館等と言った特別教室が存在している、『芸術棟』である。
もっとも『芸術棟』と言うのは通称で、本来は西校舎、もしくは旧校舎と呼称されるのが正しかったりする。

今をさかのぼる事、数年前。
隣接していた広大な麦畑を学園の敷地に取り込む形で、この学園は大規模な増改築工事を行った。
そしてその際。
本来であれば現在『芸術棟』と呼ばれている部分までもが取り壊しの範囲内であったのだと、俗説は得意げにそう語っている。

だが、『何故か』西校舎は壊されなかった。
東校舎はあっけなく潰されてしまったと言うのに。
西校舎だけが『何故か』そのままの佇まいで残され、今現在も『旧校舎』と言う呼称で存在している。

「――不思議だと思いません?」
「別に」
「………」
「……わかった。 分かったから無言で懐中電灯を振り回すのはよせ。 新しい怪談にでもなったらどうするつもりだ」

怪奇! 夜の校舎を飛び交う謎の光!
人魂か! はたまたUFOか!
助けて生徒会長! 事態の早期解決を!
久瀬は思った。
全くもって冗談ではない。

「あのな、沙紀。 改築工事が行われた当時の事など、入学どころか受験すらしていない段階の私が知る由もないだろう」
「そんなの、私だってそうです」
「なら、西校舎だけが取り壊しを免れた理由も、同様に判るはずがない。 違うか?」
「そりゃ……そうですけども」

いくら生徒自治による学園運営が云々とは言え、流石に校舎の増改築に至るまでは生徒会の仕事ではない。
それに伴う計画書や見積もりなどと言った書類の類だって、その管理は理事長や後援会長クラスの人間に任せられていたはずだ。
あまりに道理一辺倒で想像を挟む余地を見せない久瀬の態度が、暗闇の校舎内では余計に冷たく感じられた。
だから沙紀は、何となくそのまま会話を終わらせる気にはなれなかった。

「でも、本当におかしいと思いませんか?」
「何が?」
「校舎の改築は、建物の老朽化による物だった。 それは確かな情報ですよね」
「学園史に記されている情報が全て真実であると仮定すれば、の話だがな」
「では、真実だと仮定してください。 そして出来れば、私の問いに答えてください」

有無を言わせぬ。
久瀬はこの言葉が持つ理不尽さを、齢十七になって初めて痛感しようとしていた。
ひょっとして夜の校舎には本当に魔物が住んでいて、沙紀はそれに捕り憑かれてしまっているのではないだろうか。
幽霊とか妖怪とかを信じようとしない久瀬がそんな事を思ってしまうくらい、今の沙紀は何だかとっても『問答無用』だった。

「現在残っている西校舎も、今では無くなってしまった旧東校舎も、確か建設時期は同じだったはずです」
「ああ。 両方とも学園創設当時に建てられた物だと聞いているが」
「同時期に建てられた物なら、老朽化する時期もまた同じのはずです。
 なのに何故、西校舎だけが手付かずのまま残っているのか。
 オカルトじみた要因以外で私を納得させられる理由があるのでしたら、どうか仰ってみてはくださいませんか?」

何故、私はこんなにも責められているのだろう。
不気味なまでに丁寧口調を貫く沙紀を斜めに見ながら、久瀬は「正直どうでもいいのに」と思っていた。
残っているのが西だろうが東だろうが、そんな事はどうでもいいではないか。
そもそも自分達は校舎を取り壊すために来た訳ではないのだから、西校舎が残された理由が明らかになったとて何も解決しないではないか。
口には出せない様々な『正論』が積み重なり、久瀬は思わず小さな溜息を吐いた。

『工事に携わった人間が、次々と奇病にかかった』
『校舎を傷付けようとすると、決まって機材の調子が悪くなったり事故が起こったりした』
都市伝説とか怪談を扱った雑誌でよく見かける、ありがちな『答え』がフワフワと浮かび上がってくる。
呪いとか、祟りとか、そんな非科学的な言葉ばかりが寄り集まって、挙(こぞ)って現状に説明をつけたがる。
だが、久瀬はそれらの『もっともらしい答え』を、容赦ないハイキックで地平線の彼方まで蹴り飛ばした。
僅かに残ったオカルトの気配すらも、キングコングニードロップで木っ端微塵にした。

下らない。
一切合財が下らない。
何が幽霊だ、何が魔王だ。
呪いだ、祟りだ、馬鹿馬鹿しい。
いると言うのなら、今すぐに出てきてみせろ。
鳴らすと言うのであれば、好きなだけピアノを鳴らしてみせるがいい。
できるものなら、今すぐに――


――――ォン


遠く
廊下の向こう

何も見えない
闇の中から

聞く者を引き摺りこむ様な
ピアノの
音が

した