布団に頭を突っ込んで足をバタバタさせていたら、そのまま寝入ってしまったらしい。
翌朝、妙にすっきりした頭でベッドから起き出した沙紀は、まだ白み始めたばかりの町並みを見詰めながら、「このままではいけない」と呟いた。
着ながら寝てしまったために、皺だらけになってしまった制服も。
朝まで布団に突っ込んでいたが故に、実にフリーダムな寝癖のついてしまっている頭髪も。
それらの元凶とも言える生徒会長に対するアレやコレも、そのまた更に原因となった幽霊騒ぎも、全てまとめて「このままではいけない」と沙紀は思った。

クローゼットから、クリーニング済みの制服を引っ張り出す。
お気に入りのインナーを胸に抱きしめて、脱衣所のドアを勢いよく開ける。
まだしばらくは家族の誰も起き出してこない事を壁掛け時計の針の位置で確認した後、沙紀は何かを決心した様に制服の裾に手をかけた。
制服、失神した屈辱、シャツ、幽霊に与えられた恐怖、ブラジャー、色々と『やってしまった』と云う羞恥心、そしてショーツ。
次から次に脱衣かごに放り込む。
もう、脱ぎ捨てる物は何もない。
真っ裸のカラダ。
真っ更なココロ。
昨夜から引き摺ったままの『何か』を全て脱ぎ捨てた沙紀は、自分の身体が驚くほど身軽になった事を感じていた。

後は、『彼』の記憶から昨日の失態を取り除けば完璧だ。

そう思った沙紀は、まずは行水マスターであるカラスもびっくりするくらいの速度でシャワーを浴びた。
そして、自分史上最速のスピードで身支度を整え、朝食も摂らないままに家を飛び出した。
目指すは学校、もっと具体的に言えば会長室。
そんな彼女の最終的な目標は、『久瀬よりも早くに登校してお茶の準備を整えておくこと』であった。

昨日の夜に『あんなこと』があったばかりだ、久瀬はかなり早い段階で登校してくるだろう。
そして登校するや否や会長室に引きこもり、コーヒー豆を丸かじりしたような苦々しい顔をしたまま、朝のSHRが始まるまでの時間を過ごすのだろう。
真一文字に結ばれた口元。
眉間に刻まれるマリアナ海溝級の皺。
過去を振り返れば幾度も幾度も
同じ様に、久瀬はそうやって会長室で『誰も近寄るんじゃねえ』オーラを発していた事があった。
そしてそれは決まって、『厄介な問題事』を悩みとして抱えている状況下での事であった。
だから沙紀は今回も、久瀬が同じ様な事をするつもりに違いないと確信していた。
まったくもって進歩のない、とは思わない。
何故なら我らが会長は、そうやって過去の無理難題を全て解決に導いてきたからである。
でも、「そんなに一人がいいのか」とは思う。
「たまには頼ってくれてもいいのにさ」とも思う。
思うくらいはしてもいいだろうと、彼が居ない所で少し不貞腐れて唇を尖らせた事も一度や二度では済まなかった。

だから、今回こそは私が先手を打つのだ。

久瀬が一人きりで頭を抱えるつもりなら、私はそんな彼を出し抜いてやろう。
紅茶の香りが漂う部屋で、彼を余裕の表情で迎え入れてやろう。
沙紀はその時の久瀬の表情を数パターン想像し、そのどれもが自分にとって満足のいく結果である事に気付き、頬が緩んでいくのを抑えきれなかった。
うろたえる会長。
微笑を崩さない書記長。
この構図さえ整えてしまえば、昨夜の失態を彼の記憶から消し去ってしまう事も可能だろう。
否、消し去ってしまわなくてはならないのだ。
昨日の私の弔いのため。
明日の私への餞(はなむけ)のため。
この、青き清浄なる世界のために。

校門が開く。
身をよじる様にしてその隙間をすり抜ける。
走る。
昇降口で靴を脱ぎ、履き替える。
そしてまた走る。
誰もいない廊下。
誰もいない学校。
本質的には昨日の深夜と同じ様な状況であるはずなのに、心の在り方一つでこの世界はこんなにも清清しい。

途中でしばし立ち止まる。
だけど十数秒の思考の後には、ぶんぶんと頭(かぶり)を振ってまた走り出す。

あと5メートル。
4メートル。
3、2、1――。
枳殻選手、今一着で会長室のドアをあけまして――

「む? 今日は随分と早いな、沙紀。 昨日の夜は大分混乱していたようだが、あの後はちゃんと眠れたのか?」
「………」

沙紀は、がっくりと膝から崩れ落ちた。