「――同じ様に、とは?」
「………」

沙紀の質問に、久瀬は答えなかった。
その代わりにまたしても、新しいコピー紙の束を沙紀に投げて遣した。
この人は一体、一晩の内にどれだけの資料を集めたのだろう。
沙紀は半分呆れながらも、書記長としての従順さで渡された藁半紙に目を落とした。
そして、ものの数秒でその紙面から目を逸らした。

「また新聞ですか……」
「今度のは全国紙だ」

そーゆー問題じゃないんですけど。
ならこの次は、ニューヨークタイムスでも持ってくるおつもりですか。
そんな軽口を叩こうとして、しかし沙紀はその瞬間、視界の端に映った複数個の単語に精神を全て持っていかれた。
比喩表現抜きで『言葉を失う』と云う感覚に見舞われた沙紀は、失くしてしまった言語を取り戻すのに、たっぷり数十秒を必要とした。

全国紙の三面。
三段ぶち抜きで組まれた白抜きゴシック体の見出し。
そこには、『女子高生』、『自殺』、『ピアノ』、と言った、今の沙紀にとって看過できない単語ばかりが散りばめられていた。

「か、かいちょ、これっ――」
「読んでみろ」

言われるまでもなく!
弾かれたように記事を読み始めた沙紀は、そこで改めて言葉を失う破目となった。
事実のみが簡潔に述べられている新聞記事の中で、『彼女』は実にスムーズに”死んでいった”。
この学園に通い。
ピアノ奏者として皆に認められ。
不幸な事故で視力を失い。
全てに絶望して死んでいく。
『彼女』の歩んできた短い一生が、それよりも遙かに短い文章に纏められ、全国紙のスペースを埋めている。
活字に起こされた地元の町や学園の名前を読んでみても、沙紀にはそれがどこか遠い世界の物にしか思えなかった。

「他の新聞も読むか? 関連記事には全て付箋を付けてあるぞ」
「いえ……結構です」

その前に、状況整理の方が必要だった。
『関連記事には』と言う久瀬の言葉から察するに、他の全国紙にも何らかの形でこの一件が掲載されているのだろう。
嫌な言い方になるけれど、『ピアノ奏者の女子高生の身に起きた悲劇』と言うフレーズは、それだけで他者の興味を惹きやすい。
まさか複数の全国紙がガセネタを誇らしげに記事にするはずもないし――
『彼女』の自殺に代表される一連の騒動は確かな事実としてあった事なのだろうと、この段階で多少強引ながらも納得はできる。
だが、そこで問題として浮上してくるのは、この件に関して完全なる無視を決め込んでいた地方三紙の存在であった。

全国紙よりも遙かに地域に密着した記事作りをしているはずの地方紙が、それも三社とも事件を『なかったこと』として扱っている。
陰謀史観はあまり好きではないが、これはあまりに不自然すぎるだろうと沙紀は思った。
まるで何らかの権力が、”それ”を記事にする事を妨害したかのようだ。
そう考えれば、地方紙と全国紙の扱いの違いも納得できる。
要するに、『それ』を行った者の限界が、『地方紙は掌握できるが全国紙までは手に余るぐらいの権力である』と言う事になるのであった。

そうすれば後は、この記事を差し止める事によって得をする存在を考えるだけである。
その筆頭は勿論、この学園と『彼女』の遺族だろう。
『この事件を隠蔽すると言う方向で双方の利害が一致した』と、久瀬もつい先ほど語っていた。
つまり、隠蔽は学園と遺族双方としての方針だったのだ。
だが、『彼女』の両親にその様な力が有ったのかと云えば、その答えは否である。
また『学園』その物にも、新聞社に圧力をかけられるような権力は無い。
あるとすればそれは理事長、もしくは後援者の個人的な力量に他ならない。
そしてここまでくれば、その結論に達するのは最早必然だった。
『新聞社に圧力をかけられる権力』を持ち。
『学園の運営に密接に関わっている』存在。
小さな小さなこの町で、片手に収まるほどしかない紳士録の中――

――その条件に当て嵌まるのは、『久瀬』と『倉田』の家に限られる。

此処に至って沙紀はようやく、先ほどの久瀬の泣きそうな笑顔の真意を理解した。