久瀬は本来、とても優しい人間である。
少なくとも沙紀は、そう信じて疑わずに日々を過ごしている。
彼を浅くしか知らない人に限って「奴は冷血動物の一種だ」みたいな事を言うけれど、それは大いなる間違いだと沙紀は思っていた。
朝から晩までのべつ幕無し笑顔を振りまいていれば、それが優しい人間なのか。
無愛想だけど影でこっそり捨て猫にミルクなんかをを与えていれば、胸にキュンときちゃうのか。
勿論、それはそれで非難されるべき事ではないのだろうけども。
そんな『判りやすい優しさ』に目を慣らされてしまった人々の多くが、短絡的な思考で久瀬を毛嫌いしているのもまた事実なのであった。

例えば彼は、『校門の前に打ち捨てられた仔猫 in The ダンボール』なんかを発見しても、表情一つ変えたりはしない。
歩く速度を落としたりもしない。
しゃがみこんで手の温もりを与えてやる事も、コンビニまで走って餌を買い求めてやる事なんかもしない。
何故ならそれらの行動は、全て『彼』でなくても出来うる事だからである。

我等が生徒執行部会の会長さんは、捨て猫の存在を把握した時点でおもむろに手帳を開く。
そして、関係各所に連絡をする。
用務員の内藤さんにまずは一報。
「仔猫の身柄は生徒会預かりにするから保健所に連絡したりしないでくれ」。
次に保健所に一報。
「あの猫は現在我々の保護下にあって飼い主を探している最中だから、間違っても駆除委員が捕獲したりしないようお願いします」。
近隣自治体の動物愛護課に一報。
「捜索願い、もしくは里親募集を近い内にお願いする事になるかもしれません」。
そして極め付けは、沙紀の携帯に一報。
「なあ、猫好きの家を知らないか?」。

しかし、そんな彼の奔走は誰の目にも留まる事はない。
当然である、傍目には彼の姿は『ただ電話しているだけの人』しか見えないのだから。
ごちゃごちゃ集まっては飼い主候補に名乗り出るでもなく、覚えたての単語を復唱するかの如く「かわいそー」としか言葉を発しない人々は、そんな彼を「冷たい人」と罵る。
「こんなに可哀想な捨て猫を見ても、足も止めず声も掛けない冷血漢だ」と非難する。
そしてそんな評判を耳にする度に、沙紀は自分の事以上に遣る瀬無い気持ちになってしまうのだった。

足を止めないのではない。
一刻も早く『可哀想な仔猫』を救うために、彼は歩みを止める事ができないのだ。
声を掛けないのではない。
事態を微塵も進展させる事のできない単なる感想を述べる暇があるのなら、もっと他に喋る事があるのだと識っているだけなのだ。

久瀬は、不器用な人間である。
他者がそれを感じ取ってやる事ができないくらい、破壊的に不器用な人間である。
全てにおいて要領良く。
無駄な事など決してせず。
フルメタル舗装された片側八車線ぐらいの乾燥しきったハイウェイを、脇目も振らずに時速500マイルで『成功』へ向けてぶっ飛ばしている。
皆は彼に、そんなイメージを抱いている。
誰も、『不器用だからこそ”そう”生きる事しかできない』のだと云う事に気付かない。
四六時中傍にいる沙紀ですら気付いたのが第三学年にあがる直前だったと言うのだから、これはもう仕方の無い事なのかもしれなかった。

そして、今。
優しい久瀬が、ぎこちない作り笑顔を貼り付けている。
小学校低学年の夏休みの工作ですらもう少しマシな物が作れるだろうと沙紀が思ってしまうくらい、それは酷く歪な表情だった。

「お父様、ですか?」
「……どうやら祖父の指示だったようだ」

沙紀は、『何が』とまでは言わなかった。
久瀬も、省略されている言葉の部分は暗黙の内に把握していた。

地方紙の上層部に圧力をかけ、『彼女』の自殺を報道しないように仕組んだのは――

断片的な言葉と、投げ捨てるように渡された幾許かの資料。
たったそれだけで『其処』まで辿り着いた沙紀の聡明さを、久瀬は限りなく好意的に思っていた。
だが、今はその聡明さが逆に心苦しかった。
過去の『久瀬』が行った隠蔽工作には、『彼女』の死を悼む気持ちが何処にも感じられない。
確かに遺族の意向には沿った物だったのかもしれないが、それは決して『彼女』が望んだ物ではない。
たった一つの命を投げ打った『死』すらも『なかったこと』にされたのであれば、『彼女』は本当に生きていたのかさえも曖昧になってしまうだろう。
事実、沙紀は否定した。
聡明な彼女は、意図的に事実を隠して与えられた有限の資料の中から、最も妥当で論理的に破綻の無い答えを導き出した。
だから、当時の『彼ら』や『彼女ら』もきっと、同じようにして『彼女』の事を『なかったこと』にしてしまったのだろう。
そしてそれは、紛れも無く『久瀬』が首魁となって仕組んだ結果である。
久瀬にはそれが、とても辛かった。