長髪に隠れている右耳のシルバーピアス。
だらしなく第二ボタンまで開け放たれた制服のワイシャツ。
踵を踏み潰されてくたびれてしまった中履きと、ズボンのポケットに押し込まれているであろうソフトケースの『John Player Special』。
内面を察する必要もなく、外延的な要素からですら容易に判断できるほど、綿貫雅蔭と云う男はこの学園において明らかに異質な存在であった。

「用件を聞く前に、一つだけ言っておこう」

彼の容姿は、悪くない。
それどころかむしろ、外見的な印象のみで語れば格好良い部類に属している。
痩身だが華奢ではなく、高身長だがバランスの取れている肉体。
目付きが多少鋭すぎる難点を抱えてはいるものの、高水準で整えられている顔面のパーツ。
左目の斜め下にある小さな泣き黒子が、彼にとって唯一のチャームポイントであった。
もっとも、それを「チャーミングだ」と捉えている人間などこの学園では皆無に等しいのだが、それはまた別の話である。

「諜報部【ウチ】は、中立だ。 『誰か』や『何か』に必要以上に肩入れする事もなければ、大きく不利益になりそうな情報も渡さない。 いいな」

低く、極近辺にしか届かないような声。
反論を言下に封じる厳しい口調と、威厳すら漂わせる鷹揚な態度。
『善意の協力者』と云う強い立場を差し引いたとしてもなお余りあるくらい、綿貫の言動は強者の自負に満ち溢れていた。
かつてここまで生徒会長に対して、上から目線でモノを言った人物が居ただろうか。
沙紀は自分の脳裏からその記憶を検索してみようとして、しかしすぐに思い直してやめる事にした。
何故ならその検索結果は、綿貫以外と云う条件を被せた状況では、後にも先にもただ一人の男の名前しか弾き出す事がなさそうだったからである。
ああ、そう云えば”彼”も三年B組のはずだったなあ。
何か嫌な接点を見つけてしまった沙紀は、とりあえず思考を停止する事でその場をやり過ごす事にした。
君子は地雷地帯でタップダンスを踊ったりしないものなのだ。
多分、一般人でもやらないと思うけど。

「で? 一体何を訊きたいんだ?」
「そうだな……とりあえずは、オカルト系活動団体の現状でも教えておいてもらおうか」
「オカ系。 そりゃまた剣呑な」

剣呑って、何が?
二人の会話を聞きながら、沙紀はこっそり首を傾げた。

「問題ない。 直接顔を合わせた瞬間に殴り合いを始めるような奴等であれば、所属しているのはオカ研ではなく格技研だ」
「そう云った意味だけでもないんだが、まあいい。 とりあえず最大派閥のオカルト研究会には、最近特に目立った動きは無い」
「会長の暮野はどうしている?」
「別にどうも? 昨日も元気に教室内でムーを熟読して、周囲の女子生徒を落胆させていたくらいだ」

アイツ、顔も性格も良いんだけどなあ。
実にもったいない、とでも言いたげな感じで綿貫が首を横に振った。
久瀬もそれには同意している様で、口元に小さな苦笑いを浮かべていた。
オカルト研究会会長、暮野辰彦。
校内屈指のルックスを持っていながらも、校内屈指の奇特な嗜好を隠そうともしないため、女子生徒からの評価はイマイチ低い。
そんな基本情報を脳内で反芻しながら件の暮野の顔を思い浮かべ、沙紀もこっそり「確かにもったいないカナ」と一人ごちてみたりしていた。

「東呪研と西魔研は?」
「相変わらず。 暇さえあれば互いの部員を呪いまくってるみたいだが、未だに双方実害はゼロだな」

東方呪術研究会、略して東呪研。
西洋魔術研究会、略して西魔研。
互いにうまく住み分けが出来ているのかと思いきや、近親憎悪にも似た感情で反目し合っていたりする、何とも奇妙な弱小団体である。

「西洋錬金術研究会は」
「最近のアルケミストブームに乗っかったミーハーな輩が挙って門を叩くも、濃ゆーい会長が軒並み叩き出しちまってな。
 以前と変わらず、閉店ガラガラ閑古鳥」
「修験会は」
「一年の一人が百日行に入ったくらいだ。 裏山で護摩燃やしてたのを山火事と勘違いされて通報されたって話は耳に入ってんだろ?」
「……初耳だぞ」
「そうか? ま、お前の耳に入ってこないってのは良い事だ。 非正規活動団体の、しかも学園敷地外での騒動の責任なんざ負いたかねえだろ」
「後で事実関係の確認は取る。 その上で厳重注意、必要とあらば数日間の活動停止処分が妥当だな」
「向こうが学園とは関係ないってスタンスで通してるんだから、お前も無視しとけよ。 下手すりゃ逆恨みの対象だぜ」
「……次。 陰陽頭の現状は?」
「この俺様が好意で言ってやってるってのに……ったく、頭の固い事で」

溜息を吐きながら頭をかく綿貫。
涼しい顔で先を促す久瀬。
先ほどまでとは微妙に変化しつつある空気を感じ取り、沙紀は再び二人の関係がよく判らなくなり始めていた。

「陰陽頭も大きな変化はない。 遅刻の言い訳に「方違えです」って言って荒川をブチキレさせたくらいだな」
「……阿呆か、奴等は」
「お前らが廊下での反閇を禁止したりするから、他にやる事無くなっちまったんだろ。 かわいそうに」
「廊下で珍妙な動きをする集団を見て半泣きになってしまった女子生徒の方が余程かわいそうだ。
 それこそ、半泣きになっていたのはお前の幼馴染ではなかったか?」
「アイツは箸が転んだ程度でもべそべそ泣く様な奴だ。 一々マトモに相手してられるか、下らねえ」

冷たく切り捨てるような辛辣な言葉は、彼の本心なのか。
それともただの、照れ隠し故の産物なのか。
綿貫と交友の無い沙紀にはその辺の機微など全く判らなかったが、久瀬の表情や空気から判断するとどうやら後者の様なので、自分も後者なのだと思い込む事にした。
何せ『感情も得体も知れない情報屋』よりかは、『幼馴染の事に触れられてそっぽを向く高校生』の方が、百万倍くらい可愛いし扱い易いに違いない。
ちなみに。
集団反閇を目撃して半泣きになった綿貫の幼馴染の名前は佐伯夕菜と言うらしいが、話の本筋には関係無さそうなので、沙紀はその辺の情報をスルーする事にした。
それよりも今は、『何故オカ系団体を呼び出すことが剣呑なのか』と言う情報の方が重要である。

「さて、と。 ま、オカ系ったらこんな所かな」
「……綿貫」
「”あいつ等”はオカ系なんかじゃない。 ただのマジキチだ」
「幽霊なんかと真正面から対峙しようとしている時点で、私もマトモとは言い難くなっている。 気にするな」
「………」

何かの言葉を飲み込んだ綿貫が、チラリと沙紀の方を見た。
まさか自分に視線が投げ掛けられるとは思っていなかった沙紀は、反射的に身を竦めて脅える様な態度を取ってしまっていた。

「いいのか?」

綿貫の言葉。
それは意外にも、沙紀の事を思いやる優しさに溢れていた。
聞かれたくない話なのか、聞かせたくない話なのか。
話の流れ的に恐らく後者の類なのだろうが、どちらにせよまさか自分が綿貫に気を遣われるとは思っていなかった沙紀は、当然の事ながら大いに狼狽した。
だが。

「……沙紀。 席を外す気はあるか?」
「ありません」

沙紀は、その心遣いをあえて受け流す事にした。
これから先も生徒会書記長として久瀬の傍らに侍るつもりであるならば、ここで席を外す訳にはいかないと直感した。
「剣呑」
「マジキチ」
「マトモとは言い難い」
断片的な会話の要素からですら、ここから先の領域は聞いていて面白い類の物ではないと判断できる。
そして、特に親交の深い訳ではない綿貫が気を遣ってくれた事からも、その事は痛いくらいによく判る。
だが、それでもなお枳殻沙紀は、この場から立ち去る訳にはいかなかった。
理由を訊かれると、ちょっと困る。
意志の確認ではなく「席を外せ」と言う命令だったら、渋々ながら従ってしまいそうなくらいでもある。
だけど、久瀬がそこに選択肢を残しておいてくれたから。
「席を外す気があるか」と問えば「ありません」と応える事が確実に判っているくせに、それでも質問の形を取ってくれたりするものだから。

彼が、『私にこの場に居てほしい』と思っている、なんて己惚れるつもりはない。
でも、『この場に居ても構わない』くらいに思ってくれているんだなって事は、確信できた。
そしてそれさえ確信できたのなら、もう沙紀に怖い物なんてなくなってしまっていた。
さあ、ドンとこーい、超常現象!

「MMRは二日前に『魂の置換実験』と称して、六匹のウサギを殺している。
 その死骸は黒ミサ会が引き取って更に裁断し、血の祭壇に供物として捧げたそうだ。 幸い、悪魔はまだ降臨していない」

よし、ちょっとお手洗いに行ってこようかな。
沙紀は自分の膝がガクガク震えている事を感じながら、「もうやだこの学園」とかなり本気で呟いていた。