その日。
久瀬の発した大号令は、学園に存在する生徒達を二分化しつつ、それぞれを大いに動揺させた。
二つに別たれたのは、体育会系と文化系。
特に体育会系の部活動に在籍している面々は、『午後六時以降の学園敷地内在流禁止令』に大いに反発した。
本格的な夏を目前に控えたこの時期、午後六時なんかで活動を終了する部活動など一つも存在しない。
まして八月に開催されるI.Hに出場を決めている有力部活動の部員などは、命令無視も辞さないと言った様子で憤慨を顕にしていた。

一方、文化系の面々は、『以下に記す生徒は本日の16:00に第二会議室まで来ること』の張り紙に大いに反応していた。
無論、体育会系の生徒もそれなりに反応を示していたのだが。
それでも根本的な部分で文化系の生徒の方が、『ソレ』に含まれている意味に敏感な生き物なのだった。

『張り紙にて呼び出された生徒は、全員が全員共に、オカルト系活動団体の長として君臨している者である』

オカルト研究会。
東方呪術研究会。
西洋魔術研究会。
西洋錬金術研究会。
修験会。
陰陽頭。
占星研、タロット研、カバラ研、UMA件、黒ミサ会、超能開(超能力開発研究会)、云々うんたんetcetc

文化系でも体育会系でもなく、まさしく『ソレ』としか呼び様のない第三の存在。
誰もが存在を知っていながらも、誰もが積極的に関わろうとしないと言う、まさに幽鬼の如き活動団体群の代表者たち。
時は折しも『ピアノを弾く幽霊騒動』が関心を集めていた矢先のこと。
呼び出された面子が持つ強烈なまでの共通項は、皆に好き勝手な想像をさせるのに充分過ぎるほどの含みを持っていた。

そして、昼休み。

「おい相沢、知ってるか?」
「んあ?」
「生徒会だよ生徒会。 アイツら、マジでやるみたいだぜ。 いやー、盛り上がってきたなあオイ」
「マジでやるみたいって、何を?」
「………」
「な、何だよその目は」
「あー、いや。 そうだな、お前はそう云う奴だったよな」

昨冬に放送されていた超有名な大ヒットドラマですら、コイツに言わせれば「何だソレ」で終わってしまっていた。
そんな奴に向かってたかだか学園内の噂話如きを「知っているか」と尋ねたのは、確かに自分のミステイクだった。
呆れとも諦めとも付かぬ表情のまま自分の席にどっかと腰を下ろし、北川は深遠なる溜息を一つ吐いた。
さて、何処から説明すればいいものなんだかな。

「んー、とだな。 まず、ここ一週間ばかり学園を騒がせてる旧校舎の幽霊騒動は流石に知ってるんだよな」
「いや、それも初耳だが」
「……お前、本当に毎日学校で何やってんだよ…」
「……えーと、受験勉強…とか?」

そりゃ嘘だわ。
ああ、大嘘だわ。
毎日あれだけフリーダムな言動をやらかしておきながら、どの口がそんな身の程知らずな戯言をのたまえるんだか。
祐一と北川のやり取りを聞くともなしに聞いていた近隣のクラスメートが、思わず総出で突っ込んだ。

「っだー! うっせーぞ外野! んで!? その幽霊が何だってんだよ!」

謂れが無い――訳でもないが。
本人の判断によれば不当な非難に腹を立て、祐一は自分の机をバシバシと叩いた。

「出るんだとさ、旧校舎に。 そんでもって、ピアノを弾くんだと」
「……で?」
「それだけ」
「……それだけ?」
「ああ、それだけ」
「噛まれたとか、喰われたとか、連れ去られたとか取り憑かれたとか呪われたとかは?」
「一切なし」
「……なんだ、人畜無害のいい奴じゃねーか。 何をそんなに騒ぐ必要があるんだか」
「そりゃ、俺らみたいな帰宅部には関係ないだろうけどな」

汗をかき始めた缶ジュースのプルタブを開けながら、北川がどこか醒めた目で呟く。
そこには『毎日楽しく』をモットーとしながら生きてきたこの三年間に対する、若干の自虐も込められていた。
帰宅部のエースとして速攻帰宅を華麗に決めてきた日々。
バイトに明け暮れて潰してきた、放課後の時間と幾つかの血豆。
現状が不満なのではない。
だからこれは、後悔などでは決してない。
そこまで後ろ向きの気持ちではないが、それでもやはり。
毎日遅くまで部活に汗を流す、絵に描いた様な『高校生のあるべき姿』に対して思ってしまう所は、少なからずある訳で。

「……世の中、俺やお前みたいな奴ばっかじゃないって事さ。
 幽霊ってだけで無条件に逃げ出したくなる奴もいれば、夜の八時過ぎまで汗だくになって部活に打ち込みたい奴もいる。
 オマケに二次災害として『午後六時以降は学園内に残るな』なんてお達しを出された日には、それだけでもう『無害な幽霊』なんて奴は居なくなっちまう訳だな」
「そんなもんかね……」
「単純に、『幽霊じゃなかった場合』の危険性もあるからな」
「ん? ああ、犯人がピアノ好きの変質者って線か」
「好きか嫌いかはともかく、その線だな。 むしろそっちの方が現実的で危なっかしい。 そんなこんなで確か三日前、旧校舎を活動場所にしてる奴等が生徒会に泣きついたらしい」

『生徒会』の部分で祐一の眉がピクッと動いたが、面倒臭い事になりそうなので、北川はそれを無視して先を続ける事にした。

「ところが、だ。 文化部長連名での嘆願書まで持って行ったってーのに、当の生徒会はウンともスンとも言わなかったそうだ」
「そりゃそうだ。 別に久瀬の肩を持つ訳じゃないが、どう考えたって生徒会の仕事内容にゴーストバスターズは含まれちゃいないだろ」
「ああ、俺もそう思う。 アイツなら絶対に、『で? お前は霊能力者と精神科医のどちらに紹介状を書いて欲しいんだ?』ぐらいの事は言いそうだ」

そこまで似ている訳でもない北川の声真似からですら、あの超絶上から目線の言葉と冷め切った態度が容易に想像できてしまう。
もはや脊髄反射的にイラッときてしまった祐一は、北川のジュースを奪って勝手に飲むことで幾分か気持ちをクールダウンさせた。

「生徒会が、と言うより”あの”久瀬が、幽霊騒動なんて下らない案件にマトモに付き合うはずが無い。 それは俺も含め、学園全体がそう思っていたはずだ。 ところが――」
「――『アイツらマジでやるつもり』、ってか?」
「おうよ、聞いて驚きな。 なんと久瀬の野郎、今日付けでオカルト系同好会の会長達を一人残さず放課後の会議室に呼びつけやがったんだ」
「……は?」
「お、いい驚きの表情だな。 やっぱそう来なくっちゃ、こっちとしても話し甲斐がないってもんだぜ」
「いやいやいや、ちょっと待てって。 オカ系を呼び出すって事はつまりアレだろ? その、何だ――」

腹立たしいほど合理主義で。
死ぬまで馴れ合えないと確信できるほど現実主義で。
目に見える物しか信じようとせず、『そう云った類のモノ』は頭から否定する事しかせず。
今は遠い”あの”冬の日にも何一つ判り合う事ができなかった、冷徹怜悧な”あの”久瀬ともあろう者が――

「旧校舎に現れる『ソレ』が幽霊だと認めている。
 そしてその上で、幽霊野郎をぶちのめす為の手段を欲している。 多分、現状の認識はそれで間違いないだろうな」
「……暑さで頭の回線が焼き切れたんじゃないのか? あの馬鹿」
「それにしちゃ、『三日間』って数字がやけにリアルだと思わないか」
「………」
「実際にはどうだか判らないぜ? でも、俺の知ってる久瀬は根拠もなしに、『夜中にピアノを弾く何か』を『幽霊だ』と決め付ける様な奴じゃないんだ」

依頼を受けたその日に動き出していたのならば、予断の末の勇み足だと笑い飛ばす事もできた。
依頼を受けてから一ヵ月後にようやく動き出したのなら、体面を取り繕うための『仕事をしているポーズだ』と非難する事もできた。
だが、三日間である。
長すぎも、短すぎもしない、やけにリアルで説得力のあるのが、この『三日間』と云う数字である。
無論、そこで何が起こったのかは誰にも判らない。
判るのはただ、久瀬が『三日間』と言う空白の後に出した結論だけである。
想像する事しか許されない時間の狭間。
しかし前後を円滑に繋げるためには、そこに嵌め込まれるべきピースの形も朧ながらに見えてくる。
『犯人は変質者の類である』と云う前提のもとに動いていた久瀬が、その認識を強制的に改めさせられるまでの出来事とはつまりその――

「ご明察だな、北川。
 お前の想像している通り、久瀬はこの三日間で旧校舎の幽霊ちゃんにコテンパンにやられちまって、宗旨替えを余儀なくされたのさ」

二人きりの世界に没頭していた、祐一と北川の意識の外。
喧騒とは一線を画した明確な『介入』の意志を持った声が、不意に二人の会話を切り裂いた。

「……綿貫」
「面白そうな話してるじゃねえか、俺もちょっと混ぜてくれよ」
「まあ、久瀬が凹まされたって話は確かに『面白い話し』の部類に入るが……」
「だろ? ちょっと自分の理解の範疇超えた事が起こったぐらいで、テンパイ即リーのオカ系招集だ。 イレギュラーに弱い優等生様にも程があるだろうがよ」
「って事は、久瀬はやっぱ本気なのか?」
「本気なんてレベルじゃねえ、今のアイツは頭オープンリーチだ。 ここまで来ると逆に幽霊の方に同情したくなってくるぜ。 なあ、相沢」

そう言って綿貫は、意味ありげな視線を祐一の方に送った。
あまりに不自然かつ唐突な話しの振られ方をしたので、祐一は曖昧な相槌を打つ事しかできなかった。
だが。

「そう言えば【睦月事件】の時も、ちょうどこんな感じだったよな。 なあ、相沢」

二度目にはもう、曖昧な返事など許してはもらえない状況に陥っていた。
綿貫の言葉は明らかに祐一を対象とした物であり、そこには信じられないほど多量の意図が含まれていた。

「旧校舎で奇怪な事件が起こって。 久瀬がぶち切れて犯人探しをして。 遂にはソレは全校を巻き込む騒ぎになって」

滔々(とうとう)と【睦月事件】を語る綿貫の目は、祐一を見てはいなかった。
だが、当時の回想に耽っていると勘違いさせるほど、彼の視点は虚ろな物でもなかった。
観衆には遠すぎて察する事ができない。
祐一では近すぎて判らない。
唯一、近くに身を置き心を遠くに置く術を知っている北川だけが、綿貫の視線が焦点を結んでいる先を理解していた。

綿貫雅蔭は、『真実』を睨み付けている

「あれ? でもアレって結局、川澄センパイが真犯人だったんだよな。 署名活動のおかげで裁定が覆っただけで――」
「……おい」

たった二音節。
祐一が身動ぎ一つせずに発したそのたった二音節だけの言葉で、彼等二人を中心とした半径数メートルの空気は一気に凍りついた。

「……言いたい事があるならハッキリ言え」
「訊きたい事があるのは、お前の方じゃないのか?」

ピキッ――!

空気に亀裂が入る音なんて初めて聞いた。
不幸にもこの場に居合わせたクラスメイトの荒井賢二は、この時の状況を後にそう語った。

相沢祐一と綿貫雅蔭。
敵対関係になった事など一度も無いが、双方共に『一般生徒』では括れないだけの背景を持つ人間である。
もしくは単純に、二人とも平素の時点で目付きが悪い。
そんな彼等が険悪な雰囲気で睨み合ったりしているものだから、周囲の圧迫感ときたら尋常な物ではなかった。
雑談が止まる。
笑顔が消える。
菓子パンを咀嚼する事すら自重しなくてはならない様な空気の中。
気の弱い事で有名な佐伯さんなど、教室の端の方に居るにもかかわらず涙目でおろおろしてしまう始末であった。
このまま放って置いたら、遅かれ早かれ何かしら面倒な事になるだろう。
「こりゃそろそろ止めに入らないとまずいかな」と、北川が億劫そうに腰を浮かしかけた、まさにその時――

「本気になった久瀬なら、”幽霊を殺す”ぐらいの事はやってのけるだろう。
 それは『真面目な生徒達のための生徒会』として、何ら迷う必要の無い行動のはずだからな」

それだけを言い捨てて、綿貫が一方的に席を外した。
雰囲気的に肩でもとっ捕まえて引き止めるんじゃないかと思われていた祐一は、意外にもその場に座ったままだった。
張り詰めていた空気が弛緩し、再び教室に昼休みの喧騒が戻ってくる。
そんな中。
綿貫が最後に残した、周囲で聞いていた人にとってはあまりに普通で面白みの無い言葉の羅列が、祐一の耳からは何時まで経っても消える事が無かった。