はいみなさん、どうもこんばんわ。
頑張るあなたを真面目にサポート、生徒会執行部書記長の枳殻沙紀です。
実はわたくしですね、今ものすごーく困った事になっちゃってます。
いえ、別に私自身がどーこーって訳じゃないんですけどね?
ただその。
えーと。
何て言ったら良いのかよく判らないんですけど、とりあえずやばいんです。
いやだから私自身はやばくないんですけども。
そう、会長。
会長がとにかくヤバげなんです。
何しろ想像できる未来が全部血塗れって辺り、これはもうB級スプラッタ映画も真っ青です。
あう、血塗れなのに真っ青とな。
お前の血はいったい何色だー。
うん、私は何を言っているんだろうね。
誰か私を止めてくださいな。
やっぱり私の事は止めなくていいから、会長か『彼』のどっちかを止めてくださいな。
じかんをー、とめてー。
きおくをー、けしてー。
ごめん、やっぱり私の事も止めてくれると嬉しいかなー、なんて。

「……今日はいい夜だな、久瀬」
「………ああ、いい夜だ」
「……さ、散歩するにはもってこいだよな」
「ああ、鼻歌の一つも歌いたくなる」
「つ、月も――」
「月も綺麗だ。 風も心地良い。 気温も落ち着いた。 多少空腹を覚えてはいるが、それもまた軽快な気持ちに拍車をかけてくれる」

一点の曇りも無い笑顔。
穏やかな声音。
やたらと饒舌に『彼』と言葉を交わす、その後姿。
状況的に考えてまずありえないそれらの寛容な態度から、沙紀は瞬時に『久瀬君は彼の事を殺す気なんだ』と云う結論を導き出した。
決して比喩や誇張などではない。
過言だとも思っていない。
『あれ』だけの怒りの後に、『これ』だけの笑顔を貼り付けながら、『あの』相沢君と穏やかにお喋りするくらいの『覚悟』なのだ。
直後の反動で人死にの一人や二人が出るくらい、軽く許容範囲と見なくてはならない。
何せ昼日中の廊下ですら『相沢祐一と正対しつつ笑顔を見せる久瀬』なんてモノに遭遇したら、一般人はまず裸足で逃げ出すレベルである。
ましてそれが、他者の視線が存在しない夜の旧校舎で。
一連の幽霊騒動で久瀬のテンションが、危ない方向にカンストしている状態で。
おまけにその怒れる生徒会長が木刀まで所持していると来た日には、血を見ずに済ませられると思う方がどうかしているくらいであった。
と、まあそんなこんなで沙紀の思考は冒頭の混乱へと繋がっていく訳なのだが――

「こんなにも月の明るい夜だ。 気分が高揚して夜の散歩に出た事までを咎めようとするほど、私も無粋ではないつもりでいる」
「……あ、あー…」
「とは言え、今のこの学園はいささか物騒に過ぎる。 キミも恐らく知ってはいるだろうが、どうも幽霊がこの旧校舎に住み着いているらしくてね」
「…いや、その…」
「今なら六時以降の学園滞在も不問に処してやろう。 だから――――早く、帰れ」

優しい態度と言葉を連ね、しかし相手の言い分は聞かず。
最後に切れ味鋭い命令形を、一つ一つの単語を区切りながら、叩き付けるように言って聞かせる。
その前後の落差が大きければ大きいだけ、相手の反論する気概を効率よく打ち砕く事ができる。
数ある中でも特に『相手に好かれる事を前提としない』破滅型の交渉術だが、それを使用する久瀬の態度に躊躇いの色は一切浮かばなかった。
もっともそれが、『嫌われる事を厭わないから』なのか、『嫌われてもよい人物が相手だから』なのかは、流石の沙紀にも判らなかった。

「……幽霊が、出るのか?」
「ああ」
「ただのピアノ好きか、イタズラ小僧の悪ふざけって事はないのか?」
「キミの登場で九割九分までは否定された。 皮肉な物だな」
「……なあ、久瀬」
「なんだ」
「もしも今回の件が本当に幽霊の仕業で、その幽霊が目の前に出てきたとしたら、お前はそいつを――」
「殺す」

間髪入れないどころのハナシではない。
祐一の言葉すら遮る勢いで吐き捨てる。
「幽霊と云うからにはもう死んでるんじゃないのか」とか、「霊能力者でもないお前がどうやって」とか。
そんなステレオタイプなツッコミを入れる事すらはばかられるくらい、久瀬の声は本気の時の『ソレ』だった。

「殺すが適当でなければ、行為の呼称など何でも構わん。 言葉尻を捕まえて宗教的な論争がしたい訳でもない。
 要するに、学園の平和を乱す『何か』が二度とこちら側に干渉できなくなるようにすると云う、ただそれだけの単純な話だ」
「……その、手にした仕込み刀でか?」
「し、仕込刀ぁっ?」

沙紀の素っ頓狂な声が、張り詰めた緊張感の中に響き渡った。
振り向いた久瀬の眼が多分に呆れを含みつつ「何だ気付いていなかったのか」と物語っている事には、知らない振りをする事にした。

「人聞きの悪い事を。 これは最初から刀として持ち歩いている物だ、別に暗器の類ではない」

や、そういう問題じゃないでしょう。
心の中だけで、沙紀は思い切り突っ込んだ。

「鍛えた鉄は、魔を祓う。
 大蛇(オロチ)討伐に代表される日本神話に限らずとも、刀剣の類は霊異への有効な対抗手段だ。
 ならば今この時の私がそれを携帯していたとして、何の不思議がある。
 ましてそれを招かれざる闖入者に非難がましい目でねめつけられる覚えなど、私の方には欠片もないのだが?」

そう言って、久瀬は手にしていた『白木作りの木刀』を勢い良く斜め下方に振り抜いた。
リノリウムの床に『何か』が激しく撃ち付けられ、場違いなほどの騒音と共に闇の中へと転がり落ちていく。
沙紀が音の行方に気を取られたのは、ほんの一瞬。
だが、振り返った視線の先にはもう、妖しく光る抜き身の日本刀だけが残されていた。

久瀬は退かない。
何故なら、退く理由がどこにも無いからだ。
彼の正義には偽りがない。
打算も無い。
その代わり、一切の慈悲や容赦も存在していない。
何故なら、それは彼にとって疑う余地のないくらいの『正義』であるからだ。
単結晶の様に純粋な、『信じるに足る行動理念』。
それに殉じて動く限り、際限なく響き渡る自己肯定の共振現象は、彼に無尽の力を提供する。
正論を吐くのに躊躇う必要もなく。
正道を踏破する事に戸惑う事もなく。
『迷いのない』と言うただそれだけの事で人は、どこまでも強く。
どこまでも高く。
そして、どこまでも残酷になれる。

「……本気なんだな」
「当然だ」
「本気でお前は、『殺し』に行くんだな」
「行為の呼称など何でも構わないと、私はついさっきもそう言ったはずだが?」
「……そうか……そうだよな…」

久瀬の揺るがぬ信念を前にして、祐一はついに交渉の余地を失った。
だが、それでも彼は、その場を動こうとはしなかった。
今の今まで身に纏っていた、落とし所を見つけられずにいた不安定な態度が消える。
先程までの、どこか昼行灯を気取っていたような薄い作り笑いも立ち消える。
そうしてその場に残されたのは、明確に『冬』の気配を纏ったままの、『睦月事件』終焉以前の相沢祐一であった。

「しょうがねえ……お前があくまで『そう』在り続けるって言うんなら――俺もここを退く訳にはいかねえな」

ここに至って初めて明確にされた、相沢祐一が『ここに居る理由』。
それは沙紀が大方予想していた通り、執行部の任務遂行を阻害するためであった。
『何故』と問い質すべきなのか。
それとも『やはり』と無条件に頷くべきなのか。
反目し合う二人の緊迫感に弾かれ、まるで蚊帳の外に置かれてしまった沙紀の視点からでは、何も判りはしなかった。