旧世紀は終末を迎えてしまい、私が生きている今は前例の全く無い新世紀。
確かなものなど何も無いこの世界で、たった一つだけ私が言える事がある。
私は、サドだ。

(回想)

虫事件(前回)の後も、部活動は続いていた。
そして、私も何故か立ち去らずにそのまま書道部室に留まっていた。

時はエピタフによって吹っ飛ばされ、午後七時を回って久しい頃。
校内に生徒指導課のアナウンスする放送が響いた。
キンコンカンコーン。

『文化祭活動で校内に残っている生徒は速やかに下校しなさい 繰り返します―――――』

要するに、『とっとと帰れ』と言う事だった。
外を見れば漆黒。
夏の夜空に月。
加えて文化祭直前の昂揚感。
俳句でも一つ捻ってやろうかと私に思わせるに充分過ぎる情景だった。
やんなかったけど。

「お先にしつれーしまーす」
「お疲れさまー」
「また明日ー」

続々と帰路に着く書道部員。
私にも挨拶をくれる辺り、なかなかに心地の良い部員達だった。
書道部でもよかったかもしれない。
そんな事を5秒くらい考えて、あまりに想像がつかないのでやめた。
私には書道よりも武道の方が似合っている。

「てか、速くしろよお前は」
「ご、ごめんね……あとちょっと」

例によって例の如く、沙紀(仮)は後片付けが遅かった。
一生懸命に部活をしていたが故なのだろうが、その分を差し引いたとしても遅すぎる。
なんで筆すら洗い終わってないんだお前は。

別に、待っている義務など私には無い。
早く帰りたいのならば、沙紀(仮)を放って置いてさっさと帰ってしまえば良いだけの事だ。
私以外誰も居なくなってしまった部室に、沙紀(仮)をたった独りにしてさっさと帰ってしまえば良いだけの話だ。

「っとに……トロいな、お前」
「がんばってるんだよ、これでもー」

まるでそうするのが当然の様に、私は沙紀(仮)の片付けが終わるのを待っていた。
まるでそうするのが当然の様に、沙紀(仮)は私を待たせている事に恐縮していた。
『先に帰る』とも、『先に帰ってて良いよ』とも、言わなかった。
宵闇が、校舎内を侵食していた。

突然。
悪魔が、囁いた。
私の耳元で、『イッヒッヒ』と嘲笑った。
『電気、消してみようぜ。 沙紀(仮)のことだから、きっと素敵なリアクションを返してくれるぜ!』
次に。
天使が、叫んだ。
私の耳元で、毅然とした態度で言い放った。
『よし、やろう!』
私は根っからのサドだと思った。

そーっと出口ににじり寄る。
気付かれぬ様に、距離をあける。
よし、今だっ。

ぱちぱちぱちぱちっ(電気を全て消した
がらがらがらがらピシャッ!(ドアを閉めた

自分でも驚くほど、闇は粘質だった。
瞼を開けても、そして閉じても。
映る映像に『色』は全く無い。
ただ、ただ、黒い。
これなら人間が本能的に『闇』を恐れるのも無理は無いと、思った。

「やっ! で、でんきっ? なんでぇっ!? ひぃやあぁぁぁ!」

沙紀(仮)のリアクションは、それはそれは素晴らしいものだった。
そこまで驚いてくれるとは、私も悪戯のし甲斐があると云うものだ。

「どこぉー? 見えないよぅあきゃあっ!」

がたーん、どがっしゃーん!

突如響いた音に、多少驚きながら電気を点ける。
『色』を取り戻した世界に写し出された光景は、それはもう私のツボに直撃するものだった。

整然と並べられた机の列の中、一箇所だけやたらと乱れている場所。
床に落ちた書道道具。
床に座りこんでいる沙紀(仮)
転んだのか、お前。

「………っくくくく……お前、面白い」
「な、なんで電気消すのー!」
「転んでやがる……高校生にもなって椅子に躓いて……っくくく」
「笑うなぁー!」

ぷんすか怒る沙紀(仮)を諌める為、しょうがなく片付けを手伝ってやった。
途中で見回りに来た先生に『さっさと帰れこのバカチンが』とか云う主旨の台詞を言われて、バカチンとバチカンは何処か似てると思った。
その後、照明の全て消えた廊下を二人で歩いた。

「なーんであんな事するかなぁ」
「なんだ、まだ怒ってたのか」
「優しいのか意地悪なのか判んないよ、もぅ」
「っは。 俺が優しい? お前にしては面白いジョークだ」
「ジョークとか……」

一歩の距離を0.8倍くらいに狭めながら。
一歩に要する時間を普段の1.2倍くらいしながら。
私は、自然と込み上げてくる薄笑いを隠せずに、普段はあまり見せない笑顔のままに廊下を歩いた。
隣を歩く、沙紀(仮)の速さに合わせつつ。